2014年11月3日月曜日

宮津にて・・前尾繁三郎文庫と「偉大なる暗闇」

  今を去ること5年前の200931日。前日から京都府宮津市において「近畿臨床検査技師会OB会」が開かれたその翌日のことである。参加した各病院の先生方々は朝から帰途につかれたが、私は宮津の町を何回もツーリングで通過はしたが、ゆっくり見たことがない。この機会にゆっくり見学することにした。宮津はかっては「丹後ちりめん」の取引で大変にぎわっていて遊郭などもあったとのこと。いまは当時の面影はなく静かな町並みである。宿を出て西へ向かうと宮津から兵庫県豊岡に向かうKTR(北近畿丹後鉄道)宮津線の線路が見えてきた。その手前に「見性寺」という鄙びたお寺があり、何気なく案内板を見ると「与謝野蕪村と見性寺」看板の文中に、寺内には俳人正岡子規の弟子、河東碧梧桐揮毫による蕪村の「短夜や六里乃松に更け足らず」句碑があるという。
 「これは見ておく価値がある」と思い境内に入り立派な句碑を見ながら、あまりの静謐さについ往事を偲んだのである。見性寺を後にして「重要文化財旧三上家住宅」「カトリック宮津教会」などを見学。そして海辺の「前尾繁三郎記念館」を尋ねた。前尾繁三郎といえば昭和24年~54年まで自民党衆議院議員を務めその間、通産、国務、法務の大臣、衆議院議長を務めた人物で、当時のニュースや国会中継でその名前を聞かない日はない存在であった。この記念館で驚いたのは前尾氏の蔵書の多さである。前尾繁三郎文庫といい彼の蔵書35千冊を収蔵している。
 この数は2013年度の高校図書館平均蔵書約25千冊よりも1万冊多い数である。最近の政治家はTVを通じたパフォーマンスで詭弁を弄することには熱心だが、とてもこれほど勉強しているとは思えない。
 あまりの本の多さに圧倒されながら開架された本をあちこちと熱心に読んだりみたりして1時間以上過ぎた。帰り際に司書の方と話をするうち、前尾繁三郎の著書「私の方丈記」という本を貰ってくれませんか?。とのこと。ありがたく戴いて帰宅後読んでみた。面白く思ったのは前尾が関東大震災の年に旧制一高に入り2~3年時に独乙語、3年で哲学を習った岩元禎先生の事である。その一部を抜き出してみると。

前尾繁三郎「私の方丈記」より
「先生は学問の上でもわが道を行く孤高の人であったが、私生活においても全く孤高の人で、カントやケーベル博士にならって、一生独身であった。鹿児島の藩士の家に生まれ、西郷幕下の部将で城山で戦死された岩元垣成の甥に当たる先生は、老母と姪御さんの三人暮らしであった。その潔癖さはトイレが二時間、着物を全部着換えて行かれる。入浴が二時間。その上食物がやかましい。鮨に蝿が一匹とまっても捨てさせる。大の愛書家で、一切の本は本箱に立てないで風呂敷に包んで横に置かれる。本が傷むからである」
                        中  略
「夏目漱石は先生を『偉大なる暗闇』と評されたという。我々は先生に対してガンのニックネームを伝承していた。岩元の岩も元もガンの音であることにもよるが、ガンは頑固の頑に通じ、ガンガン誰彼かまわず叱りとばされる先生に対する畏怖の歌声でもあった」

 前尾が岩元に習った当時、英語教師をしていた漱石からしても岩元の生き方は、よほど面白かったか印象的だったのだろう。漱石の友人子規の弟子河東碧梧桐揮毫の見性寺に始まり、前尾繁三郎記念館での漱石の小説「三四郎」に記された「偉大なる暗闇」の逸話。ちょっとした好奇心が宮津の地で漱石由来の人物を繋いでくれた。目的なき見物は意外性をもって歴史の円環をつないでくれたようだ。
「偉大なる暗闇」大学の面白さは結構こんな所にあるのかも知れない。かって本学にも「偉大なる暗闇」氏がいたように思う。 
 いま、朝日新聞紙上にて106年ぶりに漱石の「三四郎」が再掲されている。上記のことをふまえて再読するとより興味が深まる。
 現代はいろんな手段で情報が得やすい時代だが、それは殆ど「今」の情報である。過去の情報から普遍的なことを掴むにはやはり「本」が一番よい。若いうちに多くの本を読んでおくことを特に勧めたい。
                                               

 




 
見性寺 河東碧梧桐揮毫 蕪村句碑
 「短夜や六里乃松に更け足らず」

前尾繁三郎記念館 文庫の写真
こんな蔵書も「カンニングの研究」
 

2014年8月25日月曜日

散歩

 我が家には、ポメラニアンのオス5歳がいます。私は、毎日、「散歩させてもらって」います。

 我が家の犬に限らず、犬はとにかく散歩が好きです。散歩に行く時の私の行動パターンを把握しているようで、私が、これをしてあれをすると散歩に行けるとよんでおり、そわそわしだします。
 雨が降ろうが、雪が降ろうが毎日朝と夕方には散歩です。先日の台風の時でも、猛烈な雨風にもかかわらず散歩に行きました。

 はじめは散歩に連れて行ってあげないと犬がかわいそうだと思っていました。ですから、しぶしぶ行くということも結構ありました。しかし、最近は、「犬に散歩をさせてもらっている」と思うようになりました。

 まず、自分一人では毎日歩くということはしないでしょうし、やっても長続きしないと思います。犬がいるから4年も続いているのでしょう。朝夕合わせると結構な時間歩いています。散歩をしている人の中に、81歳の方がいます。歩き方もしっかりしてお元気な方です。80を過ぎても元気な秘訣はと聞くと、「これです」と犬を指さしました。毎日散歩で、歩あるいているそうです。


 以前は、仕事中心の生活をしており地元に知り合いはほとんどいない状態でした。しかし、散歩をするうちに何人かの人と顔見知りになり話をするようになりました。今でも、散歩を通じて顔見知りの方が増えています。

それで、最近は、犬の散歩をしているのではなく、私が犬に散歩させてもらっていると思いだしたのです。

                                  井上 文雄

2014年8月4日月曜日

「食」が繋ぐ

夏が近づくとワクワクした気分になります。四季の中で一番好きな季節だと言うこともありますが、大好きな海遊びができるからです。海のきれいな沖縄に毎年行くようになってもう10年になります。沖縄の虜になったそもそもは、やはり最初の目的の海遊びです。果てしなく続く紺碧の海の中は、別世界です。そして、もうひとつの理由は「食」です。今や沖縄料理は神戸でも食べられるくらいメジャーになっていますが、仲良くなった地元の友人から珍しい家庭料理をご馳走になることがあります。ある出来事がありました。「中身汁(なかみじる)」を食べたとき、初めてなのに懐かしく感じたのです。友人にレシピを聞いて帰り、母に尋ねてみると謎が解けました。「中身汁」というのは、豚のモツ(内蔵)をカツオの出汁でお吸い物にしたものです。沖縄では豚を好んで食べますが、モツも豚が多いようです。母の話によると我が家のホルモン焼きは、豚のモツだったかもしれないことがわかり、母の作るお吸い物はいつもカツオのお出汁でした。どちらも私の思い出の味だったのです。長年、食べたいと思っていた味をまさか旅先で食し、母と思い出話をすることになるとは思ってもみませんでした。そして、沖縄との縁を深く感じて、ますます虜になりました。 6月に行われた「野菜を食べようキャンペーン」に発案した学生のひとりが、試作品を「母の日」のプレゼントにして喜んでもらったと話してくれました。「食」は、いつの時代でも親子を繋いで行くものなのだと痛感しました。ついつい職業柄、健康食ばかりに捕われがちの自分自身を振り返り、今年の夏は楽しく幸せになれる「食」を大切にしようと思います。

2014年7月7日月曜日

ハーブビネガー

夏になると欲しくなるハーブビネガー。
今年もそろそろ作ろうか・・・・と思っていたら・・・
フィトセラピー(植物療法)を共に学んでいる
Y子さんが素敵なチャイブのビネガー漬けを紹介してくれました。

漬けたては、透明ですが、















2~3日で、こんなに素敵なピンク色になります。




















チャイブは、ユリ科ネギ属の多年草で、葉は玉ネギのようなまろやかな香りと風味があり、お料理によく使われます。春先に咲くピンクの花はハーブビネガーやサラダに用いられます。




















ビネガー(酢)には疲労回復、食欲増進効果、
また、チャイブにも食欲増進効果があると考えられています。 

蜂蜜を加えて、水や炭酸水で薄めて飲むと美味しくいただけます。
夏バテ予防、疲労回復におすすめです。

さらに、塩、こしょう、オリーブオイルを加えるとドレッシングに、
薄めて、ヘアリンスとして使用するとサラサラの髪になります。

今年の夏も植物と共に・・・元気に過ごそう(*^_^*)!

2014年6月30日月曜日

藤の花から思いをめぐらし

 花は、なぜか人の心を惹きつけます。花は昆虫たちを引き寄せる力があるので、自然の法則として何か魅力があります。毎日の生活の中で、迷い・悩み・どうにもならなくなった時に、花に癒され、花に近づきたくなるようです。特に、気分が落ち込んだ時こそ、花の生命力を通して癒されたり考えさせられたりします。

  5月の末に和田山の藤まつりが行われており、無性に藤を愛でたくなりました。3日間限定だったこともあり、夜のライトアップされた藤を見ようと、車を走らせて藤に会いに行きました。そこに広がる光景はとても美しく、藤の特性を存分に引き出し、独特な世界を創りあげていました。

 藤は蔓(つる)科の植物で、他にも蔓科の植物に、葛(かずら)があります。どちらも蔓を巻き付けながら成長していく植物なのですが、この2つの植物の名前を合わせて「葛藤」という言葉がつくられています。まさに絡まり縺れる様は、葛藤している人の心の様を表しているのでしょう。


 その日のライトアップされた藤は、蛇や龍のように広がり、舞子さんの髪に揺れる簪(かんざし)を想像させ、壮観で威風堂々たり、そして妖艶な姿を見せてくれました。そんな姿を見ていると、葛藤することは悪くないものだと思えるようになった。こんなにも壮大で美しいと感じる情景は、人も様々な葛藤を通して、藤のように成長し花が開くのだろうと思わせてくれます。あの時の葛藤が、今の私を創っているのだと感謝することができれば、成長の証なのかもしれないと思う今日この頃です。

2014年6月25日水曜日

3年に一度開催される、国際臨床化学会(IFCC)での発表と会議への参加でイスタンブールを訪れ、せっかくなのでトルコの地から発信を。
関西空港を土曜の22時半頃に出発し、約13時間後にイスタンブールへ到着。時差がマイナス6時間あり、現地は日曜の朝5時半。入国手続きも荷物の受取も終わり、イスタンブール市内への車窓から青い空と静かな水面の向こうにモスクが垣間見え、異国へ来た感じはヒシヒシと高まる。約30分ほどで新市街地へ着き、会場隣接のホテルへ到着。荷物を預けるつもりが、部屋は空いているのでもう使ってよいとのこと、これはラッキー。
会議は朝からすでに始まっており、会場に入ったらアメリカの友人がちょうど居合わせ、さらに台湾、イタリア、オーストラリア、アルゼンチン、カナダなど友人と次々に出会う。あー、やっぱり国際学会と懐かしむ間も無く慌ただしい日々のスタート。
サマータイムで21時でも十分に明るいテラスで初日はワイン片手に、目の前に広がるボスポラス海峡を眺めながらのオープニングセレモニー。この位の楽しみが無いと、やってられないかな。
翌日からのセッションではこの分野でのホットトピックスがつかめ、助かる。かと思えば、参加中に丸2日はクローズドミーティングと言って非公式な分科会があり、こちらは午後の丸々4時間を数人で会議するのでこれは神経を使う。ここでの決め事がIFCC基準として世界基準にもなることがあるので、この会議はホントに緊張。ただこの会議も17時には終わるので、21時過ぎまで明るいことを有効利用し、イスタンブールの探訪も。
イスタンブールはアジアとヨーロッパの交流地点だけあり、かつてのにぎわいが今も残るエキゾチックな町。有名なモスクが現存する旧市街と、その後に開発された新市街。新市街と言っても歴史は古く、見応えは十分ある。時間があれば郊外でいろんな遺跡を見ることが出来るのだが、それはプライベートで訪問するまでの楽しみに。
次回のIFCCは3年後に南アフリカのダーバン。仲間達とは暫しのボンボヤージ。

写真は新市街にあるガラタ塔(1348年完成)からの眺め。眼下に広がるのが新市街で、橋の向こうが世界遺産もある旧市街。水と空の青さが目に染みます。

2014年5月12日月曜日

ツバメ

ピチュ、ピチュ、ピチュ。
頭上で一際大きく響く鳥の鳴き声。早朝の澄んだ空気の中、よく響きます。
 どんな鳥かなと見上げても1羽だけしか見当たらず、声の大きさに驚きました。
尾の先が二つに分かれて、白い腹を見てすぐに「ツバメ」だなと分かりました。 

ツバメは春に南国から日本にやってくる渡り鳥ですが、何千キロもの道のりを集団ではなく1羽で渡ってくるそうです。きっとお相手を探していたのかもしれません。 

ところで、ツバメというと黒と白の燕尾服のイメージがあるのですが、実際の色は黒ではなく、藍黒色だそうです。深みのある綺麗な色です。

(ウィキペディアより) 

鉄道や野球の球団名など「ツバメ」の名は親しまれていますが、日本では害虫を食べてくれる益鳥として重宝され、人の住むところに巣を作ることからツバメが巣を作った家は安全だとか繁栄すると言われてきました。 

あのツバメはお相手がみつかり、巣作りを始めたのでしょうか?残念ながら我が家の軒下は選ばれなかったようですが。
もう少ししたら小さなツバメたちが飛ぶ練習を始めるのでしょうね。