同時に「おもてなし」の言葉も流行語となったりで、近年なおざりにして忘れられがちな日本の伝統文化を後の世代に継承することに念を押されたようで、とても喜ばしいことと思う。
新年早々姪に「おばあちゃんから家庭の文化を受け継いでいる?」と尋ねられ、はたと
返答に困ってしまった。私が母から家庭の文化を伝授してもらう機会は当然いくらでもあったはずなのに、現在90歳を超えた母と暮らしていて、ことに最近ではなににつけてもこれは母の教えを受けたことだと意識することはなく、そればかりか近ごろの若者はこの問題にあまり関心を示さないものと思っていたのに、文化の継承という大切なことを問われる形になってしまった。姪のこの一言はかなりのショックであったが、忘れていた大切なことを見直すきっかけとなった。
わが家庭の伝承文化を再認識するには、育ってきた環境を顧みるのが早道だ。
私は、まさに自然の恵みである食材を分け合い、これを伝承の技法で共に調理し、さらに
賞味する時間を共にすることで親族や地域との絆を深め合うという環境の中で育ってきた。
食事は年中行事と密接に関わっていて、季節の行事もそれに伴ってありついた御馳走の味と一緒になって記憶の中に残っている。
特にお正月の「おせち料理」、「正月飾り」、春の「雛祭」、初夏の「端午の節句」、その他にも季節ごとのお祭りもあり、これらの四季の行事と共にそれぞれに伴う食文化も大切に伝えられてきた。
しかし私達の世代が経験してきたように時代の推移と共に生活様式全般がことに戦後急に変化して飽食の時代になり、外食産業が軒並み盛況を謳歌し核家族化という現象も原因して家庭の食も家族の絆というには風情があまりにも希薄化して、私達の世代が懐かしむ「ちゃぶ台」を囲んで家族が談笑する風景はいまや皆無と言ってよいだろう。
「おせち料理」ひとつをとってみても、各々の家庭で作るよりも見た目も手際よく豪華な商品が出回っていて、もはや料理自慢の主婦も出番がない。新年に楽しむあの七草粥もいったいどれくらい家庭にのこっているだろうか
私自身の体験から家庭の文化について考えてみたいが、まずは新年ということで我が家のお正月の行事やおせち料理を振り返ってみたい。
私の記憶にあるお正月は、門松を立て正月飾りとおせち料理を作って迎えた新年の行事が想い出される。祖母や母におせちの意味や由来を聞かされながら大笹の葉に豆腐を載せて七輪で焼き、お煮しめを一色づつ炊いて重箱に盛り合わせたり、石臼に杵でついた餅を丸めるのが楽しかったことなどが思い出される。
当時、豆腐は大豆を豆腐屋へ持って行って豆腐と交換するという具合だったことも懐かしい。正月飾りも、神棚の飾りは祖父がしめ縄を藁で編んで作り、柳の木に紅白の餅花を咲かせ、鏡餅には干し柿と蜜柑を載せ、間に譲り葉を敷いていた。その意味を当時は考える由もなかったが、鏡は本来神の宿る所で、神そのものとも考えられていて鏡餅は年神のご神体なのだそうだ。また譲り葉は親子草とも言い、新しい葉が成長した後で古い葉が落ちるので、親から子へ、また子から孫へと子孫が長く続くことを願って飾られ、串柿についても柿は長寿の木で、幸せをかき集め、厄をかき取って嘉来とするという因縁があるらしい。
永田 久氏の著書[年中行事を科学する]によれば、元旦とは唐の暦法を採用し、年の初めの日を元旦といい、元旦には年神を迎える。「年」は「稔」であり、稲穂が実って熟すことを祈りつつ念ずる意から、稲が実って一順する期間を「年」としたという。新年を祝福する「おめでとうございます」という言葉は人間を相手に言うのではなく、新たな年に迎えられた年神を讃える言葉として交わされるものだといわれている。
今回、体験をふりかえってみることによって、親から子へ家庭の味や行事、文化を伝え、家族や地域の人たちとの絆を深められていたことをあらためて感じさせられ、その大切さを若い姪から気づかされた。少子化・高齢化の傾向が進んでいる中で、日本の伝統文化を伝えて行かなければならない私達の役割の大きさを知らされ、またこのお正月にはあらためて「新年明けましておめでとうございます」と言い交すその意味を知り、なんだか新鮮な気分に浸っている私である。