東日本大震災から1カ月以上が経ち、
少しずつ復興に向けて進んできているように感じています。
当大学からもボランティアセンターから炊き出しに行かれていましたね。
本当にお疲れさまでした。
少し、私の経験をお話させてもらいます。
私は、阪神淡路大震災の時は、神戸に住んでおらず、
被害の大きさや避難所での生活について、
ニュースでしか知りませんでした。
震災から5年が経ち、街も整備されたころ、
復興住宅でのコミュニティ作りを目的としたボランティア活動に参加し、
健康相談やレクリエーションを教員と一緒に行っていました。
学生だった私は、このボランティア活動に気軽に参加しました。
神戸の街が復興するとともに、震災があったことも風化していたのでしょう。
しかし、健康相談などに来られる方とお話することで、
被災することの意味を知りました。
街は整備されても、生活は元には戻りません。
何十年と暮らしてきた家も、家族も失う辛さ、
学生の私には、受け止めきれないものがありました。
お話を伺いながら、涙を堪えるのに必死だったことを覚えています。
私には何ができるのだろう。。。そんな気持ちでいっぱいでした。
復興住宅で新たな地域での生活に慣れることは、
容易なことではありません。
ましてや、コミュニティを形成していくのは難しい。
だからこそ、家に引きこもるのではなく、
学生の元気をもらうために行ってみようと思ってもらえるように、
月1回の活動に参加しようと考えるようになっていました。
卒業とともに、ボランティア活動は終わりましたが、
16年経った今でも、震災のお話をされると、涙ぐまれる方もいらっしゃいます。
被災体験というものは、最期を迎えるまで、心に残っていることを忘れず、
被災していないから、被災地を知らないから、というのではなく、
被災された方の思いを感じとれる感性を磨いていきたいですね。