2010年7月19日月曜日

学会での出来事

去る5月末に、3年ぶりに日本産業衛生学会に参加した。
日本産業衛生学会は、産業保健に関連することが全て範疇に入るので、研究内容も多岐にわたる。
参加者も医師を中心に、看護・心理系・歯科系・理学療法系などのコ・メディカルや学術研究者が集結する大きな学会だ。
授業の合間を縫って、関係者との打ち合わせも兼ねて1日だけ参加した(領域の先生方ご理解ありがとうございました)。
前日遅くに福井に到着して前泊。
翌日は朝から学会特有の高揚した雰囲気の中で、旧知の人たちと話ができた(これもまた学会の楽しみ)。


打ち合わせを兼ねて同席した産業医と一緒に、
60歳以後の定年退職後の労働について考えるシンポジウムに参加した。
定年退職後の再雇用をしている企業の取り組みや、
高齢者の体力や運動能力に関する第一線の研究者の発表は、
コホート研究やエビデンスを基にした大変立派な発表内容で、
当初は参加予定にしていなかったが、介護予防に携わっていることもあって、興味深いテーマだった。
しかしどの発表にも高齢者の生活実態が見えてこないことに違和感を感じていた。
例えば、高齢者の活動を男女で比較し、
女性は生活行動(家庭内の活動)が多く、男性は運動行動(外で長く早く歩く)が多いため、
下肢の筋力に差がでて、女性は転倒しやすくなると。
高齢者の生活を知っている者からすれば当たり前のことだが、
加速度計を用いて活動量をMetz換算し統計処理をしてデータで示されると、なるほどと納得。
でも介護予防に参加する女性の高齢者が外を長く早く歩けないのは、
膝痛や骨粗鬆症による腰痛、外反母趾など身体的な要因があることを調べたことがあるため、
そのことを質問するとそういった要因は解析していないとのこと。
老齢期の特性から、歩かないのか・歩けないのかを分析することが大事だと思うのだけど。

ある演者は、外国のデータから働くことが生きがいとなり、
健康維持のために働きたいという高齢者が増えているという内容を示していた。
確かに働くことが生きがいとなることは否定しないけれど、
日本の高齢者が働きたいのは、生活のためであり生きるためでは?
悠々自適の生活を送っている高齢者は極少数で、
わずかな年金で爪に灯をともすような生活をしている高齢者の方が多いだろう。

するとシンポジウムの終了間際、みるからに高齢だとわかる男性が手を挙げ、
「私は86歳の高齢者であり、皆さんの研究対象の一人として一言発言したい」と静かに語りだした。
現在の高齢者の生活格差の大きさを例に挙げ、
エビデンスの活用も大事だが、今後このテーマに取り組むのであれば、
まずは日本の高齢者の実態を把握して、
その実態に対応した取り組みを考えていくことが必要ではないかと実に説得力ある言葉で語ったのだった。
シンポジウムの時間はオーバーしていたが、
会場の参加者も発表した研究者も、その言葉の重みを感じていたようだった。
そしてその男性の発言が終わると、大きな拍手が寄せられた。
最後に心地よいシンポジウムになった瞬間だった。

2010年7月12日月曜日

神戸と六甲の山々~ハイキング・登山の勧め~

神戸は今年、阪神淡路大震災15周年を迎えました。
大きく様変わりした街もあれば、昔ながらの住宅が軒を並べる地域もあります。
明治維新以来、日本を代表する国際港湾都市として発展してきた神戸ですが、
今年の大河ドラマの主役・坂本龍馬とも所縁が深く、
現在の阪神高速京橋インター近くには海軍操練所がありました。
市街からはすぐ後ろの六甲山地を眺めることができます。
昔から「山が見えたら北、海が見えたら南」と教えられてきましたが、
今でも元町のデパートの掲示にその名残がうかがえます。
神戸のように、街からすぐに山に入れる都会は世界的にも珍しく、
その山上には道路も通じており、他の地域から来たハイカーは驚かれます。
明治7年(1874年)に3人の外国人が六甲山地を登ったのが近代登山の発祥とされるほど、
神戸と登山は縁が深いと言えます。


ご存じの方が多いかと思いますが、
本学の広場からも六甲山地の一角を占める、高取山を眺めることができます。
毎日、学生さんを汗いっぱいにする「常盤坂」も、
実は高取山頂にある高取神社への参道であると同時に、主要な登山道でもあります。
高取神社は高取山一帯を神域とし、
神功皇后が武甕槌尊(たけみかづちのみこと)をお祀りしたのが始まりだと言われています。
地元では「たかとりさん」と呼ばれ、毎日登山の人々を多くみかけますが、
その名前の由来が興味深いです。
なんでも昔、この辺りを襲った大洪水で山が水没した際、
山上の松に絡んだ蛸を捕獲したことから「蛸取り山」と呼ばれたという話や、
江戸時代までは「神撫山」と言われていた話があります。
神功皇后が休憩した時に石を撫でたところ、急に大岩になり、
ついには山になったことから「神撫山」と名付けられたといいます。
鷹の巣が多く、鷹狩りもされていたが、
麓住民への年貢の厳しさから「鷹」を「高」に変えたという話も残っているようです。
高取山は、“単独行”で有名な登山家、加藤文太郎が愛した山でもあります。
新田次郎の小説『孤高の人』(新潮文庫)のモデルでもあり、
最近では原作をもとに漫画化され、40万部の大ヒットだそうです。
実は、その加藤の下宿が今の常盤女子高近くの「池田上町」、
結婚後の新居が長田神社に近い「池田広町」にあったといいますから、
とても親近感がわきます。その加藤が『孤高の人』の中で、山に登る理由を語る場面があります。
「なぜ山に登るのか」という問いに対して、
登山家ジョージ・マロリーの「そこに山があるから」という返答は有名です。
これは『孤高の人』のテーマでもあるのですが、
加藤はただ「汗をかくために登る」と答えています。
この加藤の単純明快な回答をどのように感じますか?


今、世間ではアウトドアブーム、登山ブームと呼ばれ、
多くの若者が富士山や屋久島に向かいます。
六甲の山々でも中高年の方々に混じり、多くの若い「女子」の姿が見られます。
いわゆる「山ガール」と呼ばれる方々で、
女性雑誌でも特集が組まれるほどです。
ダイエット目的の人もいるかもしれませんが、
多くの方々はただ単純に山に登ることで普段の生活では味わえない何かを感じているのではないでしょうか。山の空気に触れ、花や鳥などの自然の姿を都会のすぐ後ろで味わえるのは大きな喜びです。
また、山では見知らぬ人同士が自然に
「こんにちは!」「おはようございます」
と挨拶を交わす姿が見られます。
車からゴミを投げ捨てたりする人もいる中、
多くのハイカーは自分のゴミはきちんと持ち帰っています。
そんな当たり前ですが、マナーある“普通の”人間としての姿を見ることもできます。
いろいろと楽しいことが多い世の中ですが、
せっかく神戸で生活しているので街のすぐ後ろに山があるメリットを活用してみたいと思います。
本学の「女子」にも是非とも六甲の山々に触れて欲しいと思います。
まずは、本学のお膝元、高取山からチャレンジしてみるのもいいでしょう。
心地よい疲れを感じると同時に、爽やかで新鮮なものを感じることができることと思います。
加藤文太郎のように、難しいことは考えず、
ただただ純粋に汗を流し、山歩きを楽しんでみたいと思っています。

看護学科
福田和明

2010年7月5日月曜日

「おやつ@インドネシア」

「おやつ」と聞くと、幸せな気持ちになりますね。
今の世の中、メタボだのダイエットだの、騒々しいですが、
私はおいしいものをしっかりといただく生活をモットーとしています。
三度の食事は人生の基本、3時のおやつは人生の楽しみのひとつです。
おいしいお茶やスイーツは心身の疲れを癒し、気持ちを豊かにしてくれます。


昨年末、インドネシアのジャワ島に行ってきました。
そこでいただいたおやつが素晴らしかったので、
魅惑のインドネシアンスイーツをご紹介します。


インドネシアのお菓子は、イモ類のでんぷんを材料とするものが多く、
素朴でやさしい味がします。
写真には飲茶でおなじみのゴマ団子やエッグタルトもありますが、
インドネシアは多民族国家なので、
様々な文化の香りがするお菓子が並びます。
おやつと共にいただくお茶はジャスミンティーであることが多く、
ほとんどの場合が砂糖入りです。
東南アジアでは、甘いお茶を飲むことが多いですね。



飲み物といえば、ココナッツの実を割り、
果汁に砂糖を入れて飲みましたが、これがまたおいしいのです!
ココナッツを注文すると、ストローとスプーンが付いてきます。
ストローで果汁を飲んだ後、中身の白い部分をスプーンでこそげ落として食べるのです。
フレッシュなココナッツの味と香りが魅力的で、最後の一片までいただきました。











今回訪問した季節は雨季、果物の豊富な時期でした。
街には果物売りの屋台が立ち並び、日本では見られないものも多くありました。
写真にある茶色の果物の名前は忘れましたが、
梨のような歯触りで爽やかな甘みがあり、食べ始めると止まりません。
訪問先は果樹があるところも多く、ランブータンはもぎたてをご馳走になりました。
ライチに似た味で、とてもおいしい果実です。



日本はこれから果物がおいしい季節を迎えます。
夏らしい冷菓も、今年の新作が楽しみです。

おやつのような日々の小さな楽しみを大切にしながら、
毎日を笑顔で過ごしたいですね。

2010年6月28日月曜日

 神戸市長田区にある本学に私は長年勤務してきました。神戸と言うと三宮や元町を中心としたエキゾチックな国際都市のイメージが強く、長田やその周辺は神戸の下町として、どちらかと言うと隅に追いやられています。しかし、私はそうは思いません。鴨長明の方丈記の「治承四年水無月の頃都にわかに移り侍りき。」と書かれているように、平安末期、平清盛は、本学の北東にある平野・福原の地に都を遷都しました。古代や中世そして近代に至るまで本学がある神戸西部の方がむしろ神戸の中心地だったようです。そのせいか長田区やその周辺には、長田神社を始めとして、平清盛が築いた大輪田泊(和田岬)、須磨寺といった歴史的な建造物が多く残っています。

 今、私は800年以上昔の源平の頃、木曽義仲に京の都を追われた平家一門がこの地で源氏との間に激しい戦いで打ち破られ、名ある平家の武将が討たれていったことに思いを馳せています。平忠度(ただのり)は西の城戸口・一の谷(現在の須磨区の鉢伏山付近と言われている)の大将軍でした。彼は、歌人としても有名で、都にいるときは藤原俊成の門下生の一人で、都落ちするとき、いぶかしがる平家の人々の視線をものともせず自作の和歌を渡そうと、牛車を俊成のもとに反した程でした。

 一の谷の戦に敗れ、長田の駒ヶ林めざして落ち行く途中、源氏方の岡部六弥太と戦い、六弥太の首を討ち取ろうとしたところを、六弥太の家臣に右腕を切り落とされてしまいます。忠度はついに静かに念仏して討たれました。その箙(えびら、矢をいれる筒)には、「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主ならまし」という歌が書かれた紙片が結ばれていました。長田区駒ヶ林町には忠度の切られた腕を埋めた場所に腕塚として慰霊碑が立っていますし、付近には腕塚町という町名まであります。

 高速長田駅付近には別の悲劇の慰霊碑があります。合戦の東城戸口・生田の森を守っていたのは平知盛(とももり)でしたが、激戦を経て、気付けば味方はほとんどいなくなっていました。残るは、長男の知章(ともあきら)と家臣の監物太郎の主従三騎のみでした。 海岸に向かって落ちてゆく知盛に馬を寄せて首をはねようとした敵の源氏の大将との間に入って、父を助けようとした長男の知章は、その大将に組みつき落馬しました。知章は大将の体を抑え、腰刀を抜いてその首を取りましたが、立ち上がろうとした瞬間、無残にも別の童武者に討たれてしまいます。家来の監物太郎は弓矢の名手、落ち行く知盛を助けようと、敵に散々矢を射かけたが、最後は矢がつき、討ち取られてしまいます。 その後、知盛は沖までなんとか逃げのび、無事に船に乗り込みます。 しかし、そのとき語った、知盛の言葉がとても哀れです。

「自分を助けようとした子供を見捨てて逃げ帰ってきたとは何とあさましい。他人のことなら、そう非難していたでしょう。しかし、いざ自分の身になるとこんな状況であっても命は惜しい。ここまで人は命に執着するものなのか。」

 そんな、悔悟の念に苛まれた知盛でしたが、翌年の壇ノ浦の合戦では平家軍の総大将になり源氏と最後の決戦で果敢な武者振りを発揮します。しかし、戦いに利あらず、もはやこれまでと思い、近くで鬼神の働きをして源氏の将兵をなぎ倒している平家一の剛の者である平教経に向かって「既に勝敗は決したからこれ以上罪作りなことはすべきではない」といさめて、「見るべきものは見たし、やるべきことはやった」と言い残し、鎧を2人分身につけ錘とし、海に飛び込み自害して果てます。


 高速長田駅から北に歩いて20分のところにある明泉寺境内の梅の花。このお寺の北方にある北の谷のモンナ池近くで平知章は討ち死にする。季節は早春。寄せ手の中にも風雅をわきまえる者もいた。生田の森の合戦で戦った梶原景時の嫡男・景季は生田神社の境内の梅の枝を折り、箙につけて合戦に臨んだという。(写真は明泉寺住職の冨士荘貴様のご提供)

 夜遅くまで大学の研究室に残って仕事をしていると、風に乗って遠くから微かに馬のいななき、甲冑の擦れ合う音、合戦の鬨の声が聞こえてくるようです。15年前の阪神大震災で壊滅した長田が見事に今日のように蘇ることが出来たのは、実現しなかった福原京への思いを抱きつつ、不遇な死を遂げていった平家一門の人々が具現してくれたからではないかと考えるのは、私一人でしょうか?

2010年6月22日火曜日

臨床検査技師の世界(その2)

 血液型の検査はおもしろく夢がありました。特殊な遺伝形式を示すAB型(シスAB型:AB型とO型の親子関係が成立する血液型)の人は、なぜか徳島県の出身者であることが多いという地域集積性を持つのです。また、ABO血液型についてはすべて分かっていると思っていたのに未だ不明な点があり、明らかに親子で間違いないと思われる親子が、従来のABO血液型の遺伝学説では説明できないのです。極めて少数例ですが謎で、まだ解決できないでいます。スウェーデンに多いp(スモール・ピー)型という血液型が何故か、瀬戸内海のある島の出身者の方に多く見つかるのです。これなどは遠い昔の十字軍の東征、チンギス・ハーンのヨーロッパ遠征、シルク-ロードによる東西の交流などなど、遙か古の人の交流を想像させ、私たちに大きな夢とロマンを与えてくれます。

 自然界には分かっているようで分からないことが、まだまだたくさんあります。そして「新しい発見はそれまでの常識の中にはない」という当たり前のことを仕事の中で学びました。私は幸運にも「世界第1例」の事例をいくつか経験する機会に恵まれました。後から考えて、その時にそれまでの常識の中で処理をして終わっていたら「世界第1例」を経験する事はなかったと思います。頭で考える前に身体を動かし、事実を確認することを行ったからこそ、新しい発見に遭遇し、心を揺さぶられる喜びを経験できたと思っています。また、自身の行った仕事の1つに「サイトメガロウイルス陰性者の確保と登録制度の導入」という日本で最初の仕事があります。多くの仕事仲間の助けでなし得た仕事ですが、骨髄移植の成功率の向上とその後の脳死患者をドナー(臓器提供者:心臓)とする心臓移植に多いに貢献できました。我が国の再開第1例から10数例まで、脳死ドナーによる心臓移植手術時に必要なサイトメガロウイルス陰性血液の確保で関与できた事は、望外の喜びでした。生涯で1人の人の命を救える事に関係できることがあれば、素晴らしい人生だと考えていた私にとって臨床検査技師という職種を選んだことで、幾人もの人の命を救うことに間接的にでも関与できたことはこの上ない喜びでした。本当に臨床検査技師の仕事を生涯の仕事として選んでよかったとつくづく思っています。今までに幾度か「早く朝になってくれないかな~。早く職場に出て思いついたアイデアを確認してみたい」と思ったことがありました。そのときは充実感、生き甲斐、やりがいを全身で感じていました。限りある人生に意味を持たせて生きてみませんか!辛いこともありますが楽しいですよ。是非、臨床検査技師の世界へ飛び込んで来てください。世界を相手に仕事ができますし、大いに夢が見れて、やりがいがありますよ。


医療検査学科  永尾暢夫

2010年6月21日月曜日

臨床検査技師の世界(その1)

 臨床検査技師の仕事は人の命に関わり、その検査結果に基づいて医師が診断・治療をするという大変責任の重い仕事です。その分やりがいがあり、一生の仕事として選択しても悔いがない仕事だと思います。自身の努力で世界の第一発見者になることも可能です。努力すればその分だけ報われる大変興味の持てる仕事だともいえます。何と言っても自身の仕事が、かけがえのない人の命を救うことになるのですからこれほどやりがいのある仕事は、他にそうないのではないでしょうか。

 一言に臨床検査技師の仕事と言っても結構細分化されていて、幅広いものがあります。大別して患者さんを直接検査する生理機能検査と、尿や血液等患者さんの身体から採取した試料を用いて検査する検体検査に分けられます。生理機能検査は、さらに心電図、心エコー、脳波、肺機能検査などに分けられ、検体検査は、生化学検査、血液学検査、血清学検査、輸血・移植学検査、細菌学的検査、一般検査、病理学検査などに分けられます。そして、これらすべての検査を習得して行う人と、どれか1つを専門として行う人に区分されます。
職域も大学の医学部の研究室で働く技師、大学病院・国公立・私立の病院の検査室で働く技師、保健所、製薬会社、検査センターで働く技師等、広い分野で自身に適した職場を選択して、活躍することができます。中には博士号を取得し、海外で研究する技師などもいます。

 私は臨床検査技師になってから赤十字病院、赤十字血液センタ-で輸血検査を主な仕事として来ました。そして結果として、短期大学卒ながらも論文で博士号を取得することができました。自身が携わった輸血検査の中で赤血球、白血球、血小板の各血液型とその抗体とそれらの血液型が異なることで起こる母児不適合妊娠の検査では、生命の尊うさを体感できました。55歳からはその経験を活かし、現在の大学で輸血・移植分野の教鞭を執っています。私が輸血検査を始めた頃は、結果がすぐ患者さんの生死に関わること、検査内容に緊急性があることなどからあまり自ら進んで検査に携わる人はいなかったように思います。そのことで稀少価値が生じ、輸血検査を行っていたことが自分の人生にとってはプラスに働いたのではと思っています。   

医療検査学科  永尾暢夫

2010年6月14日月曜日

キッズ・ごっこ・ランド



去年の秋のことですが、学園祭で『 キッズ・ごっこ・ランド』の催しをしました。

幼児~小学校低学年が対象で、各学部・学科を体験してもらいます。いわゆる職業体験です。
看護学科と医療検査学科が合同で行い、
看護学科は『 看護師になろう! 』、医療検査学科は『 科学者になろう!(臨床検査技師になろう!)
をキャッチフレーズにいくつかの体験項目を用意しました。

幼児教育学科は『 保育士になろう! 』、口腔保健学科は『歯科衛生士になろう! 』をキャッチ
フレーズとして 人形劇や歯磨き指導を行いました。


『 看護師になろう! 』、『 科学者になろう!(臨床検査技師になろう!) 』の流れは・・・
〈 1 〉 白衣を着て、紙で作ったナースキャップを被って写真撮影する

小さい白衣。
よく似合っています。








〈 2 〉 手洗い
手洗い前
※手に光るクリームを塗りました。
手の甲全体が青く光っています。
これを汚れとします。






石鹸をつけて、手洗い




手洗い後
爪が光っているのが
わかりますか?
光っている部分は
汚れが残っている証拠です!


〈 3 〉 聴診   聴診器で自分の心臓の音をきく


〈 4 〉 顕微鏡   顕微鏡でヨーグルトの乳酸菌、納豆の納豆菌を観察する

顕微鏡の写真ではありませんが、
キッズ・ごっこ・ランド担当の学生が
絵を描いてくれました。
左上に『 乳酸菌』  生きているようですね。





〈 5 〉 超音波画像   超音波でゼリーに何が入っているかを当てる
ゼリーの中にはパイナップル、みかん、さくらんぼ、マッシュルーム、ヤングコーン、
れんこん、たこの足を入れてみました。
   
みかん! わかりますか?
普段、検査では心臓、肝臓などを写し出しますが、
その画面から みかん が見えるとは、感動でした。






〈 7 〉 遺伝子(DNA)模型を作る

集中しています







担当の学生が準備(部屋の飾りつけ)の時に
完成見本を作ってくれました。
集中して作り続けていたら
1m20cmくらいの長さになり、
すてきなオブジェになりました。
天井からぶら下げてみたのですが、いかがですか?



DNA模型

このように盛りだくさんの体験項目を実施することになりました。

このイベントの計画、準備の段階では、たくさんの子供たちが参加し、楽しんでもらうにはどうしたらいいのかを、担当学生と教員で考えました。


まず、私たちの医療検査学科の学生は臨床検査技師になることを目指して勉強に励んでいます。 
その勉強している項目のなかから、子供たちが喜びそうなものは?と考えて、思いついたものは・・・
「 実習で試薬の希釈をすることがある 」からということで 「 カルピスを希釈してみる 」でした。
はじめは子供たちが理解できるもの(簡単)で、楽しいものは何かと考えていましたが、
「 体験することで興味をもち、楽しんでもらえるのでは 」という考えに変わりました。
また同じ医療系ということで看護学科と合同で計画した結果、盛りだくさんの項目を実施することになりました。


項目が決まってからもまだ考えることはあります。
まず、子供たちが体験したいと思うキャッチフレーズを考えること。
担当学生が考え抜いて、医療検査学科の案として提出したのは 『 あつまれ!未来の科学者たち! 』。
元気があっていいと思いませんか? これは医療検査学科のキャッチフレーズの副題としました。
あとは盛りだくさんの項目をどうしたらスムーズに実施できるか。体験の順番を決めるのか、項目ごとに担当を決めるのか。
また、楽しそう!と思える部屋の飾り付けはどのようなものか。

計画して、準備して、実施して。
担当した学生は大忙しだったでしょうが、参加した子供たちには楽しんでいただけたのではと思います。
また、この企画は大人の方にも楽しんでいただけると思います。
今後、このような企画があれば、参加、体験してみませんか?