今年度の入学式で学長が紹介された宮沢賢治の詩、
あるいは学外オリエンテーションで後藤学科長が紹介された
茨木のり子の詩、私はハッとしました。
詩の言葉は、砂にしみこむ水のように疲れたからだ、
心に入ってきます。
今、なぜ私たちの心は詩歌に揺さぶられるのでしょうか?
詩というのは、選びに選び抜かれた言葉に力と
意味があると思います。
さらに、声に出して読んでみるとリズムや間を感じ、
それによって読んだ人それぞれの想像力が
動き出すのではないでしょうか。
新しい環境になった今、再び感銘を受けて、
自分自身の背筋を伸ばし、
生き方を見つめ直した詩をひとつ。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子 『倚りかからず』
こども教育学科 瀬川和子