今日は入学式だ。大学生として、人生の新たなステップへと踏み出す晴れがましい日であり、希望に満ちている、はずなのだが、なんなのだろう、なんだかモヤモヤする…。
嬉しくないわけではない。こうやって買ったばかり(ほんとは「買ってもらったばかり」)のスーツを身にまとい、フレッシュな気分ではある。合格が決まったあの日、確かにぼくは喜んだ。オフクロもオヤジも喜んでいた。その晩はご馳走だった。
でもこの大学を選んだ理由って、なんだったっけ。自分はなんとなく理系だったけど、それは日本史とか世界史とかをやりたくなかったから。暗記モノは嫌いなのである。そして化学は嫌いではない。
進路を決めなくてはいけなくなったときに、とりあえずは大学には行こうか、と。なぜなら、まだ働きたくはないから。ではどの学部にするか。工学部に行ってエンジニア?ピンとこない。農学部?食糧問題は深刻なのだろうけど、自分が農業をするイメージがわかない。理学部に行ったら、なにを勉強するのだろう?医学部?入れるわけがない。
そんなときオフクロが、とりあえず資格がとれるところに行っておいたら、と言った。まだまだ不景気だし(て言うかほんとに「不景気」なの?)、普通の大学へ行ったら就活大変なんじゃない?医療系の資格とっといたら食いっぱぐれないだろうし、って。高校の担任もほとんど同じことを言った。まあ、それもワルくないかな、って思い、受けてみたらなんだか受かってしまったのです。
こんな不真面目なぼくが、この大学に来ていいのか。ここは医療従事者とか、学校の先生とか、そういった専門家になりたい人たちが集うところでしょ。きっとみんな、やる気満々なのだろう。自分たちが目指す専門職について、熱く語り合う人々に違いない。そして、みんな勉強にはほんとに真面目にとり組む…。ああ、ぼくは絶対に浮いてしまう、なんでこんなやる気のない奴がこの大学に来たの?と思われ、軽蔑されるんじゃないだろうか。
大学に着いた。女子ばっかりじゃないか。話には聞いていたけど、ここまでとは。工学部に行った友達は、
「オレのところは男ばっかりや。オマエのとこは女の子が大半らしいな。羨ましい。」
って言ってたけど、冗談じゃない。ぼくは女子と話すのが苦手なのです。18才にして。高校の時だってそうだった。女子となにを話していいのかわからない。そんな自分が恥ずかしかったけど、それをさとられるのも嫌だった。で、自分は硬派でありハードボイルドなのだ、映画も小説も全部そっち系、ちゃらい男は男じゃない、で、女なんて…、ってことにしてシブい自分をきどっていた。でもほんとは女子とどう接していいかわからなかっただけなのである。ぼくはこんな情けない自分に気づいている。気づいているからこそ、よけいみじめである。でもこんな自分をさとられるわけにはいかない。
ぼくは4年間、こんな調子でみじめに過ごすのだろうか。4年間、と考えている時点で、なにさまなの?とも思う。なぜなら4年間で済む、という保証はないのだから。あー、なにをグダグダと考えているんだ、天気もいいのに、と思っているとき、となりの奴が今にもぼくに話しかけようとしていることがわかった。根拠はないけど、絶対そうだ。自分には決してできない髪型をしたちゃらい男が、でもちゃらく見えて、実はきっと資格獲得に熱い思いを抱いているであろう男が、ああ、切り出してきた…。
「なあ、首の後ろ。ほら、襟からネクタイはみ出てんで。それ、わざと?」
つづく…
2012年5月28日月曜日
2012年5月21日月曜日
買い物から・・・
週末の休みに1週間分の食料確保で両手に持てないくらいの買い物をします。
しかし、週の半ばには不足し、買い物のために閉店前のスーパーに駆け込みです。
とりあえず、主婦の感覚で商品を手に取ってはかごの中に入れて、会計に急いで並びます。
早く帰らないと・・焦った気持ちでいっぱいです。
そのような気持ちの時に、丁寧に「いらっしゃいませ」とレジの方が声をかけてくれますと、ホッと心が和みます。
私も自然と笑顔になり「こんばんは」「ありがとう」の言葉がでてきます。
また、「ありがとうございました」と笑顔で返されると、ほっこりした気持ちになる瞬間です。
レジの方も、閉店前で疲労が見られる時間だと思うのですが、不思議な心のやり取りを感じます。
たまにですが、順番待ちしているとき周囲を見て心に棘が刺さったようなやるせない気持ちになることがあります。
支払うお金を投げるように出す人、怒っているような表情の人、「袋」という言葉だけで相手に要求する人など、いろいろなお客を見かけます。
ふと、自分は同じようなことはしていないのかな? と考えてみました。
一番気を許せる家族に「しんどい」を言い訳にして、横柄な態度や言葉足らずなところはないのだろうか。
一つ、二つと心当たりがあり、気をつけなければと思う一日の終わりでした。
教員
しかし、週の半ばには不足し、買い物のために閉店前のスーパーに駆け込みです。
とりあえず、主婦の感覚で商品を手に取ってはかごの中に入れて、会計に急いで並びます。
早く帰らないと・・焦った気持ちでいっぱいです。
そのような気持ちの時に、丁寧に「いらっしゃいませ」とレジの方が声をかけてくれますと、ホッと心が和みます。
私も自然と笑顔になり「こんばんは」「ありがとう」の言葉がでてきます。
また、「ありがとうございました」と笑顔で返されると、ほっこりした気持ちになる瞬間です。
レジの方も、閉店前で疲労が見られる時間だと思うのですが、不思議な心のやり取りを感じます。
たまにですが、順番待ちしているとき周囲を見て心に棘が刺さったようなやるせない気持ちになることがあります。
支払うお金を投げるように出す人、怒っているような表情の人、「袋」という言葉だけで相手に要求する人など、いろいろなお客を見かけます。
ふと、自分は同じようなことはしていないのかな? と考えてみました。
一番気を許せる家族に「しんどい」を言い訳にして、横柄な態度や言葉足らずなところはないのだろうか。
一つ、二つと心当たりがあり、気をつけなければと思う一日の終わりでした。
教員
2012年5月13日日曜日
2012年5月6日日曜日
1期生を見送って
この春、保健科学部看護学科としての第1期生76名が卒業しました。
4年間担任として彼らを間近で見守ってきましたが
18歳から22歳までの4年間が、人生の中でどれほど揺れ動く時期であるかを
改めて確認することとなりました。
そして人としてもまだまだ未熟な中、
看護専門職としての厳しい研鑽の毎日を潜り抜け、国家資格を得ることが
どれほど大変であるかということも、実感しました。
それだけに、彼らが受取った学位記の重み、流した涙の熱さは、
言葉にすることができないものです。
卒業し看護職に就く、ということは、彼らにとってやはり「夢」であったのだな、と
喜びにあふれた姿を見て、しみじみ感じました。
学生たちの夢を支える、今の自分の役割を
これからも全うしようと改めて思う春になりました。
看護学科 鈴木ひとみ
4年間担任として彼らを間近で見守ってきましたが
18歳から22歳までの4年間が、人生の中でどれほど揺れ動く時期であるかを
改めて確認することとなりました。
そして人としてもまだまだ未熟な中、
看護専門職としての厳しい研鑽の毎日を潜り抜け、国家資格を得ることが
どれほど大変であるかということも、実感しました。
それだけに、彼らが受取った学位記の重み、流した涙の熱さは、
言葉にすることができないものです。
卒業し看護職に就く、ということは、彼らにとってやはり「夢」であったのだな、と
喜びにあふれた姿を見て、しみじみ感じました。
学生たちの夢を支える、今の自分の役割を
これからも全うしようと改めて思う春になりました。
看護学科 鈴木ひとみ
登録:
投稿 (Atom)