2012年10月15日月曜日

山中君、おめでとう!!

10月9日の朝刊で、「山中伸弥教授、ノーベル賞受賞」の超特大活字が眼に飛び込んできました。神戸大学の同級生として、数年前からいつもこの季節にはテレビでノーベル賞の発表をドキドキして見ていたのですが、今年に限って風邪をひいてしまい、発表翌日の朝刊で知ることになりました。
学生時代は特に親しかったわけではないですが、いつも教室の後ろの方で仲間達と楽しそうにしていた姿が記憶に残っています。当時、彼が研究者になるとは夢にも思いませんでしたが・・・
iPS細胞で大ブレイクして超多忙ななかを、2年前の同窓会に参加してくれました。彼と一緒に映った写真は今や大事な宝物ですね。同窓会での講演で、留学後に研究者として進路を定めた後の苦しかった時期の話もありましたが、彼の朴訥な人柄が伝わってきて、ほのぼのとした気持ちになりました。「ごちゃごちゃ考えて悩むよりも、まずは手を動かせ、行動しろ。」と自らに言い聞かせてがんばり抜いた山中先生に心から祝福を送ります。また、彼を見ていてつくづく思うのは、若いうちは伸び伸びと好きなことをめざして進むのが大成への道であるな~、ということです。
私の専門は血液内科ですが、現在山中先生のiPS研究所では、iPSから血液細胞、特に血小板の産生をめざしています。収率やコスト面ではまだ課題がありそうですが、それほど遠くない日に、iPS由来の血小板を、患者さんに輸血できる日が来るのかな、などと、彼の研究の発展をこれからもワクワクしながら見守っていきたいと思います。

2012年10月8日月曜日

Letter from a USA patient:

医学研究に携わって多くの論文を書いてきましたが、研究内容が地味(?)なため、また基礎研究で重箱の隅をつつく内容(?)であるため、今まであまり注目を集めることはありませんでした。また治療に直接関与していないため、患者さんから感謝の言葉をいただいたこともありませんでした。しかし、先週初めて以下のようなmailを、面識のない患者(病院名、患者名は個人情報のため伏せさせていただきます)からいただき、インターネット情報はすごい、研究論文を書くことで患者に情報を発信し、時に役に立っているのだと実感することができ喜んでいます。どのような内容の論文であるか興味のある方はhttp://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1440-1827.2011.02773.x/full をご参照ください。


Dear Dr. Kakudo,
I wanted to write and thank you for publishing your comprehensive review of the literature on encapsulated thyroid tumors, and your related papers. I am referring to Classification of thyroid follicular cell tumors: with special reference to borderline lesions (2011), and Encapsulated papillary thyroid carcinoma, follicular variant: a misnomer, (2012), which make many salient points and provide an excellent review of the literature for both professionals and interested patients.
I am a patient who was diagnosed with an encapsulated, mutation-negative, non-invasive thyroid cancer in 2011 in the United States. The pathology report read that it was an encapsulated classic PTC. I did wonder a bit at the time whether there could be some kind of question or error about the diagnosis because the tumor did not appear to have been behaving in a way that could be construed as aggressive. There was no spread to the nodes or outside the thyroid, molecular tests revealed no known genetic mutations and I was also tg undetectable, both basal and stimulated. I was puzzled, and I did see while looking online that there was some kind of controversy about encapsulated FVPTC, but I was told that I didn’t have FVPTC and also that there are many cases of mutation negative thyroid cancer. I was also told that I was “low risk” but on the advice of my endocrinologist I submitted to a treatment of radioiodine (50 mCi).
Like many or even most patients, when I was diagnosed I really had very little idea of the definition of thyroid cancer according to tumor classification and how that plays into the reasoning of a given pathologist. I had no way of contextualizing “thyroid cancer” in a more meaningful way. It seems that the hospital that I used treats classic encapsulated PTC the same as garden variety non-encapsulated PTC. I had no idea that encapsulated PTC could be regarded as being under the same umbrella as encapsulated FVPTC until I did a Google search about it and saw your papers, which elucidate very effectively the problems of inter-observer variation among pathologists and also the questionable ascendency of PTC-N as a major diagnostic criterion. I would even go beyond that and say that any patient with this type of thyroid tumor who has been diagnosed with cancer and who can read and understand your reports will probably come away feeling rather disturbed, or at the very least disconcerted by the implications. A cancer diagnosis entails a considerable psychological burden even when the prognosis is good. It really surprised me to learn of the observer-dependent nature of the line between benign and malignant in certain situations. But I guess what unnerved me the most is the realization that pathologists and other clinicians at times actually do not know with certainty the true nature of some lesions due to the limitations of current knowledge. Yet these cases will nevertheless often be translated to the patient as definitively being cancer. How is a patient to react when confronted with this actuality, other than by experiencing a lessening of confidence in the way in which thyroid pathology is being conducted in many hospitals and also with nagging uncertainty about whether their case has been over-treated? I feel that I was not empowered as a patient and that more transparency is needed in medical practices as to the gaps in understanding in the current classification system, and the resultant gray zones in diagnosis which directly impact the lives of patients like me.
It seems to be the case that there is a certain segment of patients who are the unwitting “poster children” of this gray zone in thyroid pathology. My case proceeded on the basis of PTC-N (FNA and pathology) alone because the molecular results were negative. These uncertainties which have been unmasked by your reports suggest to me that a borderline category based upon degree of invasiveness is a very sensible solution until more hard data becomes available. At least I can attest to what a difference it would have made to me personally. Had I known of your research before I had my surgery and treatment, I may have insisted on a lobectomy and almost certainly would not have agreed to receive RAI ablation. Since I saw your papers I conferred with a second pathologist from New England about them, and he confirmed that the diagnosis of these “very low grade lesions” is subjective and sometimes even amounts to a “suggestion” from the pathologist. I only wish that my original pathologist could have somehow conveyed this information to me. Maybe many pathologists and clinicians in the USA and elsewhere feel that their hands are tied due to legal concerns, but I think that for patients a borderline category makes very good sense and most likely will prevent overtreatment and psychological trauma. It would have made such a difference for me in that it would have allowed for a lesser degree of treatment while preserving appropriate follow-up.
Thank you again, Dr. Kakudo.

2012年10月1日月曜日

食習慣とアルツハイマー型認知症

最近よく話題にのぼる「糖質ダイエット」、皆さんよくご存知ですよね。少し前に、同じ理論による「インスリンダイエット」なんていうのもありました。最近これに関する新たな話題を耳にしました。先日のNHK「ためしてガッテン」の放送内容です。なんとこのダイエットがアルツハイマー型痴呆症の予防につながるという話題です。ご覧になっていなかった方のために、以下番組の受け売りで内容を御紹介しましょう。

アルツハイマー型認知症は、脳組織にアミロイド βという繊維状の蛋白質が蓄積し、これが神経変性を起こすことにより発症するとされています。このアミロイド βを分解し、蓄積を押さえる蛋白質(仮に酵素Aとします。)の存在が注目されています。この酵素Aが「インスリン分解酵素」であることが明らかにされたのです。インスリンは糖質が摂取され血糖値が上昇した時に分泌されるホルモンで、これにより細胞は糖を細胞内に取り込みます。インスリンがつくられない、あるいは働かない場合糖尿病となります。酵素Aは、糖質の過剰摂取でインスリンが大量に分泌された時に、インスリンを分解する働きを持ちます。この酵素Aが、副業として、アミロイドβを分解しているのです。しかし、慢性的にインスリンが多すぎる状態にあると、酵素Aは本来の働きであるインスリンの分解に終始し、アミロイドβの分解にまで手が回らなくなります。つまり、インスリンが多く分泌され続けると、アミロイドβが蓄積しアルツハイマー病の発症につながるわけです。

炭水化物の重ね食いを続けたり、高脂肪なものなどを食べ過ぎたりする食習慣で、慢性的にインスリンが高くなります。このような食習慣を絶つことは、メタボリックシンドロームの予防だけでなく、アルツハイマー病の予防にも重要ということになります。食生活ってほんとに大切ですね。 

                                                      教員

2012年9月24日月曜日

新しい出生前診断について


















新型出生前診断

米国の検査会社が開発し、米国で昨年10月から始まった。仕組みは左記のように妊娠10週前後の妊婦の血漿から成分には、わずかに胎児のDNAが漂っている。妊婦の血漿からDNAを取り出し、23対ある染色体のどれに由来するか分類する。たとえばダウン症の場合は21番染色体に由来するDNAの割合が、通常よりわずかに多ければ「陽性」と判定される。(毎日新聞、9月1日版)

 8月・9月のニュースや新聞等で「新しい出生前の診断」についてお知りになっていると思います。私もこのニュースを知り「これは人々にとってセンセーショナルなニュースになる」と気になったため、新聞各紙の論調や意見を検索してみました。それぞれの新聞で特色のある見出しで書かれていました。以下はその抜粋です。

 朝日新聞:新型の出生前診断「安易な実施は謹んで」学会が声明(2012・9/2)
 産経新聞:妊婦の血液でダウン症診断、5施設で9月以降導入、中絶大幅増の懸念も(2012・8/29)
 日本経済新聞:胎児の健康な状態を調べる「出生前診断」新手法始まる、十分なカウンセリングや説明が不可欠(2012・9/7)
 毎日新聞:新型出生前診断、今月にも開始、高い精度、心のケアに遅れ(2012・9/1)
 読売新聞:出生前診断「命の選別」助長せぬルールを(2012・9/9)

 これらの記事を読みながら、この生殖医療の進歩がもたらした波紋の大きさ、重さを痛感しました。特に今回の検査は上記の米国の検査の説明にも書かれていますように、ダウン症の診断が主です(他の13番、18番染色体も判定化のであるとも述べられていました)。ダウン症の子どもたちは現在多くの人の支援を受けながらそれぞれの人生を送られています。私も臨床の場面でダウン症の子どもたちと多くの時間を過ごし、子どもたちや家族から学ばせていただきました。それらの子どもたちの権利や家族の思いを考えると、この出生前診断を手放しで受け入れられない感があります。医療の進歩は素晴らしことです。しかしそれを使う私たち医療者はその使い方を誤ってはいないのだろうか、われわれが創りだしたものを前に、今一度立ち止り、考えていかねばならないと思いました。

2012年9月17日月曜日

実習で思い起こすこと

 今月末から、看護学科の3年生は長いようで短い、短いようで長い臨床実習期間に入ります。
実習期間を迎えるこの時期いつも思い浮かぶのが、何年!?も… 何十年!?も前の自身が看護学生だったときの実習です。
 1・2年生の時は、部活動に打ち込み初めての関東での暮らしを満喫していていました。新宿、池袋、有楽町、上野、中野に荻窪、吉祥寺…等々をブラブラ(^○^) 部活の遠征でいろんな大学の見学(#^.^#)
 大学内での学修は、あまり覚えていないようです。なのに実習のことはいろいろ思い浮かんでくるのです。
 朝起きるのがまず大変❢
 ラッシュに挟まれ実習先へ❢❢
 朝の計画発表で指導者に駄目だしをくらう(T_T)
 帰ったら記録❢❢❢実習グループのメンバーがそろってこたつで記録と明日の計画(@_@;)
 とっても大変だった実習でしたが、最初に思い出すのは一緒に頑張った実習メンバーの笑顔。そして患者さんとの出逢いです。色々な方と出逢い、命の重さ、人の優しさと脆さ、自分の不甲斐なさ…いろんなことを感じ、いろんなことを教えていただいた。 今思うと、この時感じた色々なことが現在の自分の基盤となり看護観を形成したように思います。
 実習と言えば、緊張し勉強に明け暮れる大変さばかりが気になりますが、色々な方々と出逢い、学内では分からなかった仲間の本質と大切さを知り、そして自分自身を見つめる良い機会になると思います。

 Do your best❢❢

 この実習期間で大切な何かを得られるはず❢❢

2012年9月10日月曜日

「お月様」

どこにいても、お月様が見えるか、星が見えるか、気になり夜空を見上げます。
夜空を見上げながら、明日は雨かなぁ、今日は・・・と、物思いにふけるのが大好きです。








〈見ましたか? これは 8月31日のお月様です〉





そろそろ中秋の名月・・お月様を見ながら秋の夜長を楽しみましょう。

2012年9月3日月曜日

キ ジ バ ト

4年前の夏の夕暮れ時、帰宅しようとすると、緑風館の近くでキジバトがいました。ちょっと追いかけてみましたが、飛ぼうとしないので捕まえてみると痩せ細っていました。おそらく翼を電線にでも打ったため飛べなくなり、空腹のためエサをさがしていたのでしょう。このままでは外敵にやられてしまうと思い、家に持ち帰ることにしました。帰宅までの2時間近く、命が持つか不安でしたが大丈夫でした。早速、ガレージ内で小さな籠に入れて、エサと水を与え、しばらく様子を見ていました。しかし鳥目で蛍光灯の明かりでは暗いのか、一向にエサをついばもうとしなかったので、「このままでは朝までもたない」と思い、消化の良さそうなものを選んで、無理やり嘴を開いて数粒放り込んでやりました。「これで明朝自発的にエサを食べることができれば、回復は間違いない」と思い、その夜は愛犬に、「よく番をしておくように」頼んでおきました。
 翌朝見に行くと、昨夜容れていたエサが減っていたので、「これでよし」とそのままにしておきました。二日目の朝には元気になったのか、籠の中でガサガサとしていたので、やや大きい小屋に移してやると、落ち着きました。それから1週間程経ったころには、翼の状態も良くなり、体力も回復したのか、バタバタと外に出たそうにしているように見えました。そこで小屋の扉を開けました。しばらくじいと外を眺めていましたが、チョコチョコと扉のところまで歩いてきて、パタパタと飛び出し、生垣の上に止まりました。「やはり飛翔はまだ無理であったか」と思った次の瞬間、近くの杜の方に飛んで行きました。「助かってよかった」とほっとしました。。
 また面白いことがありました。以前から野鳥にエサをやっていたので、キジバトも食べに来ていましたが、ガレージには犬がいるので、中まで入って来るハトはいませんでした。しかしそれ以降、平気でガレージの中をウロウロするキジバトを見ました。「きっとこのキジバトは連れて帰ったハトに違いない」と確信しました。秋ごろまでそのような光景を目にしましたが、その後来なくなりました。新しいペアーが誕生し、別のところへ行ったのか、あるいはハトには帰巣本能が備わっているので、遥か六甲山を越えて、パートナーが待つ神戸常盤大学の森に帰ってきたのかもしれません。