2010年11月15日月曜日

目指せ・・・芸術の秋!!

こんにちは。
食欲の秋・スポーツの秋・芸術の秋・学問の秋・・・
みなさんは、どのような日々をお過ごしですか?
今年の夏は、猛暑でとても大変でしたね。
みなさんは、お変わりなかったですか?


私のご主人様は、
世間で騒がれていた・・・脱水症を起こしていました。
その時のご主人様は意識が朦朧としていて、ずーっと眠っているばかり・・・
大好きなお魚も・美味しいお水も一切口にしなくて、このままひょっとして
天国に行っちゃうの・・・・?と心配しました。
先日、ご主人様はその時のことを「・・・全く覚えていないよ」と話していました。

《心配していた私?》


☆顔は、失礼します☆



脱水症は本当に怖いと・・・再認識しました。
近頃は、とても気持ちいい季節になりました。
心配していたご主人様は、食欲の秋! を楽しんでおられます。
なんか信じられないぐらい、太った??? -----→




《ご主人様?》



私は今、テーブル制作に勤しんでいます。
ギコギコ・トントン・バリッ・・・のこぎりと金槌、悪戦苦闘しています。
完成までには、もう少し・・・。                                

       
昨夜はとても澄み切った夜空に、三日月が出ていました。
満月までには、テーブルを仕上げて・・・
お月見をしながら、お団子・・・(やっぱり秋刀魚!)を一杯いただきたいと思っています。
またもや今年も、
行き着くところは・・・
食欲の秋!?

2010年11月8日月曜日

トンネル内のコンサート

湊川隋道をご存知ですか?
連日の猛暑にぐったりの8月のある日、
湊川隋道の一般公開とミニコンサートの情報を得たので出かけてみました。
するとどうでしょう! 
神戸のど真ん中にこんなに涼しい場所があるなんて…。


湊川は本学のある長田区のとなり、兵庫区に位置します。
湊川界隈といえば大きな商店街があり、新鮮な野菜や魚などが安く手に入ることで有名です。
また、商店街より少し西には会下山…
ここは楠木正成が足利軍との決戦の場所として知られている小高い丘ですが、
春は桜でとてもきれいなところです。


湊川とはその地を流れる川の名前ですが、
その昔、湊川は石井川や天王谷川の合流点付近から現在の湊川公園を経て、
新開地方面へと流れていたそうです。
しかし、天井側で堤防が高いために東西の交通が不便であること、
神戸港に土砂が流れ込むこと、
幾度もの洪水被害に遭ったことなどの理由で、
流路の変更が行われました。


現在の新湊川に至るまでに何度も工事が行われていますが、
兵庫区会下山をくり抜く、わが国初の河川トンネルとして、
1901年(明治34年)8月に湊川隋道(会下山トンネル)が完成しました。
2000年(平成12年)に新湊川トンネルができたことで、
湊川隋道は役割を終えましたが、その後も貴重な土木遺産として保存されています。













入り口からなだらかな坂を下るようにトンネルの内部に入ると、
アーチ型に組まれたレンガ造りの広い空間で、
外の暑さがうそのようにひんやり・しっとりとした空気が感じられます。
周囲の壁からは地下水が滲み出て、水滴が落ちてくることも…。
薄暗い明かりのもと、トンネルを進むと30脚ほどのパイプいすと小さな舞台がありました。
その日のコンサートは中・高の同級生で結成したという「まるしん」というバンドで、
アラ50には心地よいニューミュージックのカバー曲を演奏してくれました。
トンネルの中に響く歌声とギターの音。とても幻想的な体験でした。


一般公開・ミニコンサートは無料で、湊川隋道保存友の会が主催しておられます。

2010年11月1日月曜日

読書の秋によせて

夏の猛暑も去り、ようやく秋の兆しが感じられるようになりました。
秋といえば「スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋」など言われますが。
今回は「読書の秋」について述べたいと思います。


「読書の秋」で思い出すのが「読書週間」。
新聞・雑誌広告などでお目にかかったことがあるのではないでしょうか。
「今年も読書週間は○月○日から○月○日まで・・」など。


この読書週間についての歴史をひもとくと、始まりは終戦間もない昭和22年からでした。
当時まだ戦火の傷跡がいたるところに残っている中、
「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、
出版社・取次会社・書店と公的図書館、そして新聞・放送マスコミ機関も加わって、
11月17日から、第1回『読書週間』が開催されたようです。


その反響は素晴らしく、
翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心とした2週間)と定められ、
全国に拡がっていきました。
そしてこの『読書週間』は、日本の国民行事として定着し、
日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。


昨今、電子メディアの発達(インターネット、電子書籍など)、「本」離れも始まり、
情報伝達の方法が変わりつつあります。
しかしながら私たちは、その流れを受けつつもまだまだ「本」とは縁を切れないのが現状です。

ちなみに今年の『読書週間』の標語は「気がつけば、もう降りる駅」だそうです(上記ポスター参照)。




通勤・通学途中の状況が目に浮かびますね。
読書の秋、通勤電車の中、専門書ばかりではなく他の本で脳の一休みをしてみませんか。
(このように薦めながら、やっぱり私は「食欲の秋」かな?!)

2010年10月28日木曜日

長田地区消火技術会に参加しました。

さる10月14日、西代蓮池公園で
長田地区自衛消防隊連絡協議会主催の
消火技術会に参加しました。










この技術会には20年以上の歴史があり、
一般の事業所等がオープン参加をするようになってから
5年目だそうですが、神戸常盤大学としては今回が
初めてのエントリーでした。











内容については、 長田区の約30の事業所が参加し、
消火器やホースを使った競技種目を競いましたが、
みなさん真剣に競技に取り組む姿勢がとても印象的で、
大きな震災の経験が今にいきているということを
再認識することができました。


競技終了後は、小型動力ポンプの模範演技があったり
鼓笛隊によるパフォーマンスが催されたりと、
和気あいあいとした雰囲気の中にも日ごろからの
防火意識を深めるためにはとてもよいイベントでした。










来年以降は教職員共々、学生さんも参加できるような
流れになっていけばとてもいい機会になると思います。

2010年10月18日月曜日

三角点

 秋晴れの週末、仕事を少々片付けるために大学に来ました。時間があったので久しぶりに学内の遊歩道を歩いてみました。1号館と4号館の間、テニスコート横の階段を登って細い道を北に進むと高さが20cmほどの小さな四角い石柱があります。側面には「国地院」と刻んであります。形は四角いけれどこれは三角点です。三角点は「三角測量」のときの基準になる点で国土地理院が管理・設置しているそうです。三角点には一等から四等までありますが、国土地理院の2万5千分の1の地形図には△の中に・のマークで全ての三角点が表示されているとのこと。本学の三角点は四等ですが、もちろんちゃんと地形図に載っています。地形図で見るとこの三角点があるところは細長い尾根上の小さなピークで、標高76.8mと記されています。



 三角点のあるピークを過ぎて少し下ると、北側の展望が開け高取山の全容を見ることができます。長田区のどこからでも望める「独立峰」の高取山、見晴らしが良いところに設置されることが多い三角点が当然ありそうなものです。でもWebで閲覧できる国土地理院の「ウォッちず」の地形図には△に・のマークは見あたりません。本当にないの?・・・確かめるべく高取山に登ってみました。山頂にはありませんでしたが、西側の少し低いピークにある見晴らし抜群の広場にありました。ピークに登る階段の下には「階段の上に三角点あり」、階段を上ると「三角点すぐそこ」と懇切丁寧な案内の看板。さらに三角点の横にはその経度、緯度、標高などが記された立派な説明のパネルまで。現地ではこんなに三角点!三角点!と主張しているのに、地形図上にマークがないのはどういう訳?あとで確かめたら、刊行されている地形図にはちゃんとマークがついていました。やれやれ・・・・。




 高取山へは大学の西門を出てそのまま道なりに北に登るだけ、頂上には高取神社があってこの道はもともとこの神社への参道だったそうです。確かに以前は大学の西門から少し下った三叉路に、とても大きな石の鳥居と灯籠がありました。1995年の阪神・淡路大震災で鳥居はその形のまま南向きに倒れ、石灯籠も上部が落ちてしまいました。山頂までの山道は舗装された緩やかな階段で、登りは大学から30~40分程度、往復しても1時間と少しです。もみじや桜の木も多く、春はお花見、初夏は新緑、秋が深まった頃には紅葉が楽しめそうです。2限目か3限目が空いているときにお弁当を持って行って、景色を眺めながらのランチタイムというのも良いかもしれませんね。


 そうそう、三角点を破損すると測量法の規定によって2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるそうですよ。学内の三角点も大切に。

2010年10月11日月曜日

飛行機

 子供の頃から飛行機は好きでした。まず紙飛行機、といっても折紙飛行機、次いで、竹ひごと紙と細い木とで作る小さなグライダーやゴム動力機になり、これが次第に大きくなって翼幅1mほどの角胴のグライダーやゴム動力機になって行きました。その後、ラジコン機も手がけましたがエンジン音が凄まじく、周囲に迷惑をかけるとのことで止めさせられました。ラジコン機の経験は浅く、うまく飛ばなかったのを覚えています。

 この間に、私にとっては衝撃的なことが起こりました。プラスチックモデル(プラモデル、プラモ)の出現です。それまではソリッドモデルと称して、木を削って「飛ばない模型飛行機」を作っていました。胴体断面図や翼断面図を参考に、飛行機の形を削りだして行くのです。時間のかかる細かな作業でした。そこにプラスチックが出現したのです。私が最初に手にしたのはジープのプラモデルでした。先輩から、息子のためにアメリカ土産として持ち帰ったけれども息子が幼いので作ってやってくれと、依頼されたのです。飛行機ではありませんでしたが、ジープはあっという間に組み立てられました。車体は、あの、ジープ独特の色のプラスチックで予めつくられているので、接着と差し込みを繰り返して行くだけでかなりの細部まで再現されたジープが出現しました。これが衝撃だったのです。ソリッドモデルはソリッドモデルで、味のある面白いものでしたが、模型の精度が全く違います。それ以来、プラモデル作りが続いています。対象は、勿論、飛行機ですが、制作機数は多くありません。自動車のプラモデルには全く興味はなく、カー・レーシングやラジコンカーもやりませんでした。飛行機のプラモデルでも、細かい時代考証に基づく塗装だの、だれそれの搭乗機の塗装だのといったことには全く興味は無く、コクピット内の計器盤などを細かく再現することにも興味はありません。プラモデルに爆弾をぶら下げて兵装を再現するなどということもしません。興味があるのは、機体のスタイル、空力的魅力です。

 ライト兄弟が、人類最初の動力機飛行に成功した1903年から100年を超える歳月が流れました。この間の飛行機の発達は本当に素晴らしいものです。飛行機の発達は、エンジンの発達、使用場所に応じた材料の進歩、などのハードとともに、空力というソフトの進歩によるところもありました。そのようなことを思いながら、作り上げてた機体の中から適当なのを選び、前から後ろから、右から左から、あるいは上から下から、飽きることなく眺めています(と云いたいところですが、なかなかゆっくりできないのが現状です)。

 なお、数年前から電動ヘリコプターを飛ばしています。非常に良くできていて面白いのですが、意外に大きな音が出るので困っています。


写真のプラモデル・キットは、朝日新聞社「神風号」です。昭和12年、亜欧連絡飛行(立川-ロンドン)に使用され、当時としては画期的な94時間17分56秒(実飛行時間51時間余)でこれを成し遂げました。もとはといえばこの機体は、三菱が当時の日本陸軍の指示を受けて製作した高速偵察機の試作第2号機です。

2010年10月7日木曜日

夏休みを振り返り、後期に思うこと

暑い暑いと言いながら、何をするでもなく終わってしまった夏期休業期間。里帰りしてきた孫と遊んでいる内に8月も半ばを過ぎてしまい、減量目標であったはずの職員検診も昨年並に終わってしまい、まとめるはずの論文も殆ど手つかずのまま、という不甲斐なさ。そんな中で、唯一、大きな刺激を受けることができたのが国際免疫学会。8月23日から27日まで神戸ポートピアホテルで開かれた。朝のポートライナーのラッシュに驚き、ランチの交換券が早々となくなってしまうのに呆れ、初日のシンポジウムがさっぱり理解できないのに愕然とし、ワークショップの質問の行列に若かりし日に免疫学会で発表したときの恐怖を懐かしく思い出し、晩ご飯の一時を昔の恩師や仲間達と楽しみ、最終日のMaster Lectureに感動し、「もっともっと勉強しなければ!」との思いを強く持ったのですが・・・
後期が始まり、待ったなしの仕事を一夜漬けでこなす日々の中で、国際免疫学会で感じた免疫学の新たな発展の予感を、血液学の分野に持ち込んで何かおもしろいことがやれないかな~、と、ついつい思索(妄想)にふけり、勉強は手つかずのまま・・・やはり不甲斐ない私でした。