2011年2月14日月曜日


214といえば・・・!?

今日は・・・。そう、バレンタインday

と・いうことで、今日は世界のバレ

ンタインについて書いてみます。

まず、日本でバレンタインと言えば、思いつくのが“チョコレート”や“女子から男子へ愛の告白”といったところでしょうか。基本的に女子から男子へ贈り物をするというのが風習です。しかし、世界のバレンタイン事情を覗いてみると、日本とは少し異なるようです。例えば、アメリカではバレンタインデーに男の人から女の人に花やチョコレートやキャンディーをプレゼントするのが普通とのことで、女の

人から男の人にプレゼント、というのはあまり多くないそうです。フィリピンでは、男性から女性へ愛を伝える日となっており、バレンタインデーはクリスマスの次に重要なイベントだそうです。面白いものとして、韓国ではさらに、4月14日に「ブラックデー」というイベントがあり、このブラックデーという日は、バレンタインデーに何ももらえなかった男性が、韓国料理のチャジャン麺を食べて自分を慰めるという日になっています。

これだけ書いたのだから、今年のバレン

タインは男子から素敵なプレゼントが届くこと間違いなし!!と思っているのは私だけでしょうか・・・。[]

とにもかくにも、今日というこのよき日が、みなさんにとって幸多い1日となりますように・・・。



2011年2月7日月曜日

空が好き~

キャンパスに向かう時,誰もが歩く通称,常盤坂。
実は幼い頃から坂道,ハイキング,登山が苦手な私・・・
勤め始めた当初は,西代に,あるいは新長田に着いてからのひと踏ん張りがハードでした。

今でもハードなことには変わりないのですが,楽しみを見つけました!
私は随分と前から,ルートを変えて正門へと向かう道を歩くことにしました。
そこには西門へ向かう道にはない楽しみが・・・・
ついつい煙突と言ってしまいそうになる阪神高速の巨大な換気口?を目指すと・・・
お天気がいいと空の青さと木々の緑と綺麗に映ります。








車が通るので十分に注意しないといけないのですが,
この道は空の面積の大きさを感じることができて,気持もいい感じになれます。
坂を登り初めに首を右に向けると(左に向けると山側なのでだめです)・・・
視野に空がいっぱい入ってきます。








そして,最初のカーブに向かう頃に・・・つかの間のお空満喫~








カーブを超えるとこの楽しみがなくなるので,後はひたすら足元の白線を見ながら・・・
真上の面積の小さい空を見上げながら・・・・
息があがりかけつつ,最後まで登って行きます。
(登ると言ってもたいそうなことではなく,わずか5分程度のものですが・・・)

ちょうど数日前は,天気のいい満月で夜空も満喫できました。
坂道を下りながら写真撮影を試みたものの・・・・カメラの性能が耐えられませんでした。残念。
この季節は,南にオリオン座が探しやすいです。
月と換気口とオリオン座が並んで見えていました。
季節限定のオリオン座と季節に関係ない月のことを,勝手に私のお友達と呼んでいます~

(間違えずに探せる数少ない星だから。呼ぶくらいは自由でしょうし・・・・)

先日プラネタリウムで学んだ有名な冬の大三角形も目視確認しました~
オリオンは大きいのと小さいのと2匹の犬を連れているそうで,三角形ができるとのこと。
(オリオン座のベテルギウス・こいぬ座のプロキオン・おおいぬ座のシリウスの3つ)

天文学部出身でもなく,得意でもないので,書くにあたり調べなおしましたが。。。。

勝手にお友達と呼んでいた割には知らなかった。
おまけに,おうし座とふたご座も近くにいるとのこと・・・奥が深すぎる。
私は平野部の街中で生まれ育ったので,なかなか首を真上にせずに空を眺める機会がなく,
神戸に来るようになって以来,空を感じやすくなって満喫しています。

ちなみに,夜空はカメラが耐えられなかったので,少し前に撮った
始発電車に乗って着いた朝焼けの空を代わりに・・・・。







先ほどの換気口は,よそさまの物でありながら常盤のいい目印です。
なんとなく親しんでいるので一緒にパチリ。
朝焼けも素敵です~

ここ長田区から見る神戸の海は,六甲アイランドやポートアイランドがあるような東側の海とは異なり,
大型の船も結構近くを通っているのが見えます。
お天気が悪いとかすんでしまい,大きな空と一体化してしまうのですが,
対岸の大阪側がはっきりと見えるような日は,
行き交う船や神戸空港あるいは関西空港から飛び立つ飛行機も見えます。(飛行機好きな私~)
あ~~~~,夜空だけではなく,船や飛行機がちゃんと写るカメラを1つ買うべきだと・・・と思いました。(次回への課題です)

2011年1月31日月曜日

兵庫県は広い

兵庫県は広い!ですね。
瀬戸内海も日本海もあります!(当然といえば当然なのですが・・・)

今週、学生が実習でお世話になっている保育所に行って来ました。
まだ!雪が残っていて、先週なら雪だるまが溶けていなかったのに、
とおっしゃっていました。凍結防止のために水道の水を出しっぱなしにしていたら
1メートルほどの立派な氷柱(つらら)ができていたそうです。
その周辺は一谷ごとに10センチずつ雪の量が増えていくそうです。

氷柱、見たことありますか?
氷柱の保育所も来年度から幼保一体化になるとのことで、
今、大きくてきれいな建物を建設中だそうです。
所長先生は、新しい施設への引っ越し準備も急がなくちゃいけないし、
保育所は3月31日まで開けておかないといけないし、4月1日開園だし、と本当にお忙しそうでした。

十年位前だったか、幼保一体化になった施設に学生が実習でお世話になっていて、訪ねました。
その年は開園の初年度だったので、ものすごく大変そうでした。
でも、その建物はとっても素敵です。森の中に建っていて、ログハウス風です。
オゾンもたっぷり、居ながらにして森林浴ができるし、お花畑も畑も中庭にあります。
去年伺ったらびっくり!卒業生が園長先生になっておいででした。

あちこち回っていたら、思わぬところで卒業生に出会います。
みんな素敵な先生になっていて見違えるようです。わたしはというと、見違えるように・・・涙・・・。

それから、スタバの先生へ(リレーブログではないのにごめんなさい。)
「ユー・ガッタ・メール」というメグ・ライアンとトム・ハンクスの映画を思い出しました。
その映画の中で、スタバに行って注文するとき口が勝手に動いて、
自分の思い通りの(低脂肪乳入りでとかバニラシロップ入りでが、言えない)ものが買えない、
それどころかほしくないものを頼んでしまう、という場面がありました。
先生のブログを読んで思ったのです。
人間には2種類ある。スタバに行って思い通りの注文ができる人とそうでない人。



ところでこれを読んでくださっているあなた。あなたは、どっちですか?

2011年1月24日月曜日

コーヒー好きです。

といっても、豆の挽き方、焙煎の仕方等にこだわりがあるわけでもなく、
また産地にこだわりがあるわけでもなく、
思いつくまま気になったコーヒーを飲んでいるという、
ぬるいコーヒー好きです。

かつての私にとっては、コーヒーといえば明治のコーヒー牛乳であり、
コーヒーに牛乳を入れないでブラックで飲むのは、
疲れたサラリーマンのすることだと思っていたほど、
コーヒーに頓着がなかった私に変化が訪れたのは、
サンフランシスコに住んでいた友達を大学生の冬休みに尋ねた時のことです。

「お茶でもしよう」と連れていかれた場所は、
いまや日本のカフェ文化の王道であり、誰もが知るスタ-バックスコーヒー。
その香ばしく甘い香りが充満したイタリアンテイストの店内、
アメリカのフランクな感じも手伝って、
注文したトールラテを一口飲んだ瞬間、
身体いっぱいに広がる風味の虜になりました。
当時、日本にはまだスタバがなく、神戸に帰ってから、
サンフランシスコでそれはそれは美味しいコーヒーを飲んだことを家族や友達に自慢したものです。

それからというもの、
後に日本上陸を果たしたスタバの商品はほぼ全種類を制覇、
タンブラー購入はもちろんのこと、
「低脂肪乳で」とか「バニラシロップ入りで」というカスタマイズを楽しんだり、
タリーズやドトールコーヒーにも積極的に入るようになりました。
ついには、ネスプレッソのエスプレッソマシンを自宅に買って自宅カフェ。
「ヴォーノー」などと呟きながら、気分はイタリアのバルでした。気分だけですが。

その後ちょうどエスプレッソコーヒーに飽きた頃、
自宅近くの隠れ家的イタリア料理店に行った時に出てきたコーヒーにはまったんです。

ドリップなのに、夜飲んだら明後日ぐらいまで眠れなくなるのではないか
というような濃厚な味わいと深い香り。
店主に豆のメーカーを訊ねネットで調べてみたところ、
1948年からイタリアのナポリで製造している
「パッサラックア社のメハリコーヒー」 (HPはイタリア民謡が流れていて雰囲気満載)とのこと。

早速、教えてもらったお店で購入。
やっぱり深い味わい!私の朝のお供となりました。
しかも、そのパッケージもお気に入り、可愛らしいマスコットガールが舌を出しているんです。
でもよく見たら・・・日本でもこんな人形みたことありますよね(笑)

ちなみに、不二家のアイドル「ペコちゃん」誕生は1950年…
うーん、微妙だなあと思いながら、今日も濃厚な味わいを楽しんでいます。

2011年1月17日月曜日

“ケアリング”に思う

 本学の保健科学部の「教育研究上の理念、目的」の一つに、“トータルヒューマンケアの視点を身につける”とあります。また、看護学科の教育目標に「看護の対象の個別性・特性を尊重し、“ヒューマンケアリング”を行うことのできる能力を養う。」とあり、医療検査学科では「ト-タルヒューマンケアを身につける。」とあります。では、各学科において、“ケアリング”“ヒューマンケアリング”について定義や概念を学ぶ科目がどのくらいあるのでしょうか。教職員や学生はどのように認知しているのでしょうか。私自身、どのように認知し取り入れているか、十分ではないことを反省しています。

 私は、若い頃、“ケア”という用語を使うのは看護職だけだと無意識の中で思っていました。しかし、哲学者ミルトン・メイヤロフ(Milton Mayeroff)の著書「ケアの本質~生きることの意味~」に出会い認識を変えられたのです。

 「ケア」について、メイヤロフは、「ケアの本質~生きることの意味~」の〈序〉において、『ケアすることを一般的に記述すること、ケアすることがどのようにして全人格的な意義を持つか、その人の人生にどのような秩序づけを行うか』の説明を主題とし、ケアする経験、ケアされる経験について詳細に述べ、ケアの主要素として、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気を挙げて説明しています。

 ◇ケアとは;「一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。(略)相手が成長し、自己実現することをたすけることとしてのケアは、ひとつの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方であり、それはちょうど、相互信頼と、深まり質的に変わっていく関係とをとおして、時とともに友情が成熟していくのと同様に成長するものなのである。」
   「他の人をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、ケアする人は自身の生の真の意味を生きているのである。の世界の中で、私たちが心を安んじていられるという意味において、この人は心を安んじて生きているのである。それは支配したり、説明したり、評価しているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのである。」

 ケアは決して医療関係や看護の世界だけのものでなく、一般に母子関係や親子関係、友人関係、教育における教師と学生(生徒)の関係においてもいえることであり、ケアの対象は、常に特定の誰か、特定の何かという具体的なものです。

 看護学や教育学においてもケアリングの研究は進められ、発展しています。
 看護学では、マデリン・レイニンガー(Madeleine M Leininger)、ジーン・ワトソン(Jean Watson)、パトリシア・ベナー(Patricia Benner)など看護理論の展開のなかで説明している理論家は少なくありません。

 文化ケア理論の創始者であるレイニンガーは、文化人類学の手法を取り入れて患者とその家族の価値観や人間関係のあり方の研究をとおしてヒューマンケアリングを系統的に研究し、“ヒューマンケアリングこそが看護の本質である”と述べた最初の人として知られていて、レイニンガーは、「ケアは看護の真髄であり、看護の中心的、優先的で中心をなす焦点である」とする命題を提案しました。
 レイニンガーは、ケア、ケアリングを以下のように定義しています。

◇ケアとは、「人間の状態や生活の仕方を改良、改善するために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他者に働きかけ、または他者のために経験と行動を助け支援し、できるようにすることに関係した、抽象的なそして具体的な現象を指す」
◇ケアリングとは、「人の状態や生活の仕方を改良、改善したり、死と立ち向かわせるために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他の個人や集団を助け、支援し、それができるようにすることに向けられた行為や活動を指す」
  →ケアは現象であり、ケアリングは行為・活動である。

 ワトソンは、ヒューマンケアリング理論の提唱者です。
 ワトソンは、「人と人との関係のなかでケアリングは成り立ち、ケアリングによって健 康がもたらされ、ケアリングを実践することが看護の目指すところである」と述べ、看 護のあるべき姿について論じています。

◇ヒューマンケア(human care)とは、「看護の道徳的な次元での理念」であり、「ヒューマンケアとは、感情とか、関心、心構え、人のためになりたい願望といったものではない。看護を道徳的理念から観た場合に、ケアといわれるのであって、そこにおいては、人間的尊厳を守り、高め、維持することが目的とされている。」

 ワトソンは、トランスパ-ソナルな関係性を重視し、近年では、ケアリング理論の基盤となるものを「トランスパ-ソナル、ケアリング」であると述べている。

◇トランスパーソナル(transpersonal:人間と人間のとの間の、または間人的、個人を超越したという意味)とは、人間対人間の間主体的な関係を指し、看護師という人間が、もう一人の人間に影響を与えると同時に影響を与えられる関係のことを言います。
◇トランスパーソナルケアリング(transpersonal caring)とは、「人と人との結びつきであり・・・お互いがお互いの人間の核心に触れ合うもの」と定義されています。


 ケア/ケアリングを行うには、単に感情’(優しさ)だけでは成立しません。メイヤロフ がいうように、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気などがそ こになくてはなりません。また、ワトソンが言うように、お互いの人間の核心に触れ合う結びつきでなければならないと思うのです。それは人間として、その上に看護専門職人として、教育者として・・・。
 看護学では重要な理論と考えられています。ケアリング理論の真髄が、「看護師が患者とともにそこにいる意味をを示すものであり、看護独自の専門性を支えるものである」というところにあります。

 難しいですね。私も、今、学習の途上で、十分にケアリングを伝えられません。
 学生の皆さん、一度ケアリングについて学習してみませんか?

★全学生(看護学科以外の学生の皆さんにも)の皆さんにお勧めです。
1)ミルトン・メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳、「ケアの本質~生きることの意味~」、ゆみる出版、2000.

★看護学科の学生、看護のケアリングに関心のある学生さんにお勧め
2)Ann Marriner-Tomey著、都留伸子監訳、「看護理論家とその業績」、医学書院、1991.
3)マデリン M. レイニンガ-著、稲岡文昭監訳、「レイニンガ-看護論~文化ケアの多様性と普遍性」 、医学書院、1995.(4900円+税)
4)Watson, J.著、稲岡文昭監訳、「ワトソン看護論~人間科学とヒューマンケア」、医学書院、1988.
5)Jaqueline Fawcett著、太田喜久子、筒井真優美監訳、「フォ-セット~看護理論の分析と評価」、医学書院、2008.(4000円+税)

★その他
6)Em Olivia Bevis、Jean Watson著、安酸史子監訳、「ケアリングカリキュラム~看護教育の新しいパラダイム」、医学書院、1999.(3800円+税))
7)中野啓明著、「教育的ケアリングの研究」、樹村房(発行所)、2002.

2011年1月10日月曜日

明けましておめでとうございます。

今年はお天気にめぐまれたお正月でしたね。

お正月といえばお節料理ですが、みなさんは料亭や百貨店のお節を買う派ですか?手作り派ですか?
我が家は、「みんな食べないのにどうしてお節料理なんて作るの?」と子どもたちに言われながらも、
数品は作ります。その中でも毎年欠かせないのが黒豆です。

 子どものころ、お正月に実家に集まる母や親戚のおばさんたちが、各自作った黒豆を持ち寄り、品評しあう姿を目にし、幼心に黒豆というものはただの煮豆以上の価値がこの人たちにはあるのだろうと思ったものでした。そして主婦となり母親となった私にとって、お正月の黒豆は、家族の希望の品であろうとなかろうと、主婦としての面子がかかった一品となっているわけです。

 毎年、12月30日の晩に、黒豆を重曹と鉄玉子という名の小さな玉子型の鉄をガーゼに包んだものとを一緒に水につけておき、翌日大晦日の朝から砂糖と醤油を加えて煮ます。ここで大活躍するのはシャトルシェフという保温鍋です。長時間とろ火で煮なければならない黒豆は、すぐに吹きこぼれてしまうので、目が離せないという面倒くささがあるのですが、この鍋を使うと、沸騰してから20分だけ気をつけて煮たら、火を使うことのない保温のための外鍋に2時間入れておき、その後10分また火にかけて煮た後は、外鍋に入れっぱなしにしていれば、柔らかいつやつやの黒豆が夕方には出来上がるのです!

 もちろん、昨年末もいつものように黒豆を煮たのですが、毎年お正月の悩みの種は、ちょっとだけ作ることができない黒豆は、4人家族で食べきられる以上の量ができてしまうので、残ってしまうことです。主婦の威信にかけて作った黒豆を、最後は一人で食べ続けなければならないのは本当にむなしいものです。

 そこで、今年は強硬手段に出ることにしました。黒豆をお重に詰めて各自取ってもらうのはやめにして、私が小皿にこんもり盛った黒豆を家族4人の前にそれぞれ置いておくことにしたのです。いやおうなしに大晦日のお夕飯から3日まで、小皿に山盛りの黒豆を家族全員に食べてもらった(食べさせた?)結果、大量にあった黒豆3日の夜にはすべてなくなったのです!
 できも悪くなかったうえ、3日で完売した黒豆に、幸先のよさを感じられたお正月でした。





このブログのためにもう一度作った黒豆です。
私の家族はこれからまた4日間黒豆を食べ続けることになります。

2011年1月3日月曜日

山バァ-バの石鎚山制覇!!

この夏に、山ガールならぬ山バァーバの私は、四国随一の山、石鎚山
の頂上に立ちました。翌朝は、遥か太平洋の彼方から、まるで湧き上っ
てくるかのような御来光に、心洗われる感動をしました!










 1982メートルの石鎚山は、荒々しい岩稜から成り、古くから山岳宗教の山として開かれています。今も修験道の鎖場という険しい岩場に鎖が備え付けられた場所があります。ほぼ垂直に切り立った巨岩に身がすくんでしまいます。もちろん私はその鎖場を迂回する道を選びましたが、それとても、垂直の岩稜を螺旋状に取り巻くように鉄柱を打ち込んだ細
い網目の高架の道ですから、下を見れば目がくらみます。
 今回の登山の起点は、石鎚山登山口からロープウェイとリフトを乗り継ぎ、石鎚神社成就社(標高1280メートル)からでした。健脚ならば3時間のところを、約5時間。頂上への到着時間は午後5時過ぎとなり、学生時代以来の山小屋泊まりを体験しました。
 「人はなぜ山に登るのか?」、有名な登山家は、「そこに山があるから…」と応えました。私は「そこに頂上があるから…」としましょう。ハァハァと苦痛に喘ぎながらの道程。でも、登山路のそこ此処で出逢う、可憐な花々に励まされながら、頂上へと向う。











 “なすべきことはただ1つ、後ろのものを忘れ,前のものに全身を傾けつつ…目標を目指してひたすら走ること(聖パウロ)”の心境なのでしょうか。物事を成し遂げねばならない時、人は山頂を目指すのです!

 看護学と看護学科の頂上を目指して、皆さんもバァ~バを追い越してゆくべきです。