2010年10月18日月曜日

三角点

 秋晴れの週末、仕事を少々片付けるために大学に来ました。時間があったので久しぶりに学内の遊歩道を歩いてみました。1号館と4号館の間、テニスコート横の階段を登って細い道を北に進むと高さが20cmほどの小さな四角い石柱があります。側面には「国地院」と刻んであります。形は四角いけれどこれは三角点です。三角点は「三角測量」のときの基準になる点で国土地理院が管理・設置しているそうです。三角点には一等から四等までありますが、国土地理院の2万5千分の1の地形図には△の中に・のマークで全ての三角点が表示されているとのこと。本学の三角点は四等ですが、もちろんちゃんと地形図に載っています。地形図で見るとこの三角点があるところは細長い尾根上の小さなピークで、標高76.8mと記されています。



 三角点のあるピークを過ぎて少し下ると、北側の展望が開け高取山の全容を見ることができます。長田区のどこからでも望める「独立峰」の高取山、見晴らしが良いところに設置されることが多い三角点が当然ありそうなものです。でもWebで閲覧できる国土地理院の「ウォッちず」の地形図には△に・のマークは見あたりません。本当にないの?・・・確かめるべく高取山に登ってみました。山頂にはありませんでしたが、西側の少し低いピークにある見晴らし抜群の広場にありました。ピークに登る階段の下には「階段の上に三角点あり」、階段を上ると「三角点すぐそこ」と懇切丁寧な案内の看板。さらに三角点の横にはその経度、緯度、標高などが記された立派な説明のパネルまで。現地ではこんなに三角点!三角点!と主張しているのに、地形図上にマークがないのはどういう訳?あとで確かめたら、刊行されている地形図にはちゃんとマークがついていました。やれやれ・・・・。




 高取山へは大学の西門を出てそのまま道なりに北に登るだけ、頂上には高取神社があってこの道はもともとこの神社への参道だったそうです。確かに以前は大学の西門から少し下った三叉路に、とても大きな石の鳥居と灯籠がありました。1995年の阪神・淡路大震災で鳥居はその形のまま南向きに倒れ、石灯籠も上部が落ちてしまいました。山頂までの山道は舗装された緩やかな階段で、登りは大学から30~40分程度、往復しても1時間と少しです。もみじや桜の木も多く、春はお花見、初夏は新緑、秋が深まった頃には紅葉が楽しめそうです。2限目か3限目が空いているときにお弁当を持って行って、景色を眺めながらのランチタイムというのも良いかもしれませんね。


 そうそう、三角点を破損すると測量法の規定によって2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるそうですよ。学内の三角点も大切に。

2010年10月11日月曜日

飛行機

 子供の頃から飛行機は好きでした。まず紙飛行機、といっても折紙飛行機、次いで、竹ひごと紙と細い木とで作る小さなグライダーやゴム動力機になり、これが次第に大きくなって翼幅1mほどの角胴のグライダーやゴム動力機になって行きました。その後、ラジコン機も手がけましたがエンジン音が凄まじく、周囲に迷惑をかけるとのことで止めさせられました。ラジコン機の経験は浅く、うまく飛ばなかったのを覚えています。

 この間に、私にとっては衝撃的なことが起こりました。プラスチックモデル(プラモデル、プラモ)の出現です。それまではソリッドモデルと称して、木を削って「飛ばない模型飛行機」を作っていました。胴体断面図や翼断面図を参考に、飛行機の形を削りだして行くのです。時間のかかる細かな作業でした。そこにプラスチックが出現したのです。私が最初に手にしたのはジープのプラモデルでした。先輩から、息子のためにアメリカ土産として持ち帰ったけれども息子が幼いので作ってやってくれと、依頼されたのです。飛行機ではありませんでしたが、ジープはあっという間に組み立てられました。車体は、あの、ジープ独特の色のプラスチックで予めつくられているので、接着と差し込みを繰り返して行くだけでかなりの細部まで再現されたジープが出現しました。これが衝撃だったのです。ソリッドモデルはソリッドモデルで、味のある面白いものでしたが、模型の精度が全く違います。それ以来、プラモデル作りが続いています。対象は、勿論、飛行機ですが、制作機数は多くありません。自動車のプラモデルには全く興味はなく、カー・レーシングやラジコンカーもやりませんでした。飛行機のプラモデルでも、細かい時代考証に基づく塗装だの、だれそれの搭乗機の塗装だのといったことには全く興味は無く、コクピット内の計器盤などを細かく再現することにも興味はありません。プラモデルに爆弾をぶら下げて兵装を再現するなどということもしません。興味があるのは、機体のスタイル、空力的魅力です。

 ライト兄弟が、人類最初の動力機飛行に成功した1903年から100年を超える歳月が流れました。この間の飛行機の発達は本当に素晴らしいものです。飛行機の発達は、エンジンの発達、使用場所に応じた材料の進歩、などのハードとともに、空力というソフトの進歩によるところもありました。そのようなことを思いながら、作り上げてた機体の中から適当なのを選び、前から後ろから、右から左から、あるいは上から下から、飽きることなく眺めています(と云いたいところですが、なかなかゆっくりできないのが現状です)。

 なお、数年前から電動ヘリコプターを飛ばしています。非常に良くできていて面白いのですが、意外に大きな音が出るので困っています。


写真のプラモデル・キットは、朝日新聞社「神風号」です。昭和12年、亜欧連絡飛行(立川-ロンドン)に使用され、当時としては画期的な94時間17分56秒(実飛行時間51時間余)でこれを成し遂げました。もとはといえばこの機体は、三菱が当時の日本陸軍の指示を受けて製作した高速偵察機の試作第2号機です。

2010年10月7日木曜日

夏休みを振り返り、後期に思うこと

暑い暑いと言いながら、何をするでもなく終わってしまった夏期休業期間。里帰りしてきた孫と遊んでいる内に8月も半ばを過ぎてしまい、減量目標であったはずの職員検診も昨年並に終わってしまい、まとめるはずの論文も殆ど手つかずのまま、という不甲斐なさ。そんな中で、唯一、大きな刺激を受けることができたのが国際免疫学会。8月23日から27日まで神戸ポートピアホテルで開かれた。朝のポートライナーのラッシュに驚き、ランチの交換券が早々となくなってしまうのに呆れ、初日のシンポジウムがさっぱり理解できないのに愕然とし、ワークショップの質問の行列に若かりし日に免疫学会で発表したときの恐怖を懐かしく思い出し、晩ご飯の一時を昔の恩師や仲間達と楽しみ、最終日のMaster Lectureに感動し、「もっともっと勉強しなければ!」との思いを強く持ったのですが・・・
後期が始まり、待ったなしの仕事を一夜漬けでこなす日々の中で、国際免疫学会で感じた免疫学の新たな発展の予感を、血液学の分野に持ち込んで何かおもしろいことがやれないかな~、と、ついつい思索(妄想)にふけり、勉強は手つかずのまま・・・やはり不甲斐ない私でした。

2010年9月27日月曜日

時々思うこと・・・

パソコンが私たちの生活の中に登場してから、何年たつだろう。
子どものころ、「コンピューター」といえば、
ピカピカの大きな部屋に大きな大きな機械があって、
長い紙がウネウネと吐き出される、
といった映像がイメージとしてあった。
まさか、自分たちの日常の生活にこれほど浸透してくるとは思わなかった。

私個人に関していえば、以前の勤務先で1人1台与えられていたデスクトップパソコンが最初の出会いである。
しばらくして自宅用にもデスクトップを購入することになった。
インターネットは、子どもの頃に百科事典のページを繰った時と同じようなわくわく感を味わわせてくれた。
ひとつ検索すれば、また知りたいことが出てくる、これは何?あれは何?この言葉を調べてみよう…とキリがない。

自宅では、よくネットショッピングをする。
お中元・お歳暮やお祝いも、全てネットで手配する。
某巨大サイトでよく本を買うのだが、午前中に注文すると、
ほぼ翌日の午後には配達されることもあってとても重宝している。
また、チケットやホテルの予約をするときには、
価格を比べて安い所を探したり、口コミで評判の良い所を探したりするのが結構楽しい。
旅程を決める際にも、これまでだとガイドブックだけが頼りだったのが、
ネット情報を併用するので穴場情報(地元の人に評判のよい場所など)が得られて、これもまた楽しい。

しかし、こんなに便利で本当にいいのだろうかと時々思う。
こういった便利さの陰に、もしかしたら私の知らない誰かの身に、
過重労働や、過積載や、何か無理なことが生じているのではないだろうか。
便利さ、スピード、快適さを1人1人が追求するあまりに、
何かに、あるいは誰かにしわ寄せがいってしまって、
事故を誘発してしまうこともあるのではないかしら、と思うのである。

なぜこんなことを考えるのかというと、
子どもの頃に読んだアーシュラ・K・ル=グウィンの小説「ゲド戦記」が記憶に残っているからである。
はっきりと憶えているのではないのだが、そこに「世界の均衡」ということばがあったように思う。
「東の海域に雨を降らせれば、西のどこかで干ばつが起きるかもしれない、だから、魔法は慎重に使わなければならない」といった意味合いのことだった。

インターネットはある意味「現代版の魔法」である。
世界がつながっているのは素晴らしいことだし、便利さはとてもうれしい。
しかし、私という個人が「早く本を届けてほしい」と思うことが、
私の知らない世界に何か歪(ひずみ)を生み出しているのであれば、
あまり便利さや快適さを追求しない方がいいのではないかと、思ってしまうのである。
といいつつ、明日当たり届く予定の荷物を心待ちにしている私がいる・・・。

2010年9月20日月曜日

暑い、熱い夏

とうとう夏休みも終わりですね。
今年の夏は、とびきり暑く、その上長い期間でした。
この夏は、気候だけでなく息子たちも暑い(熱い)青春の日々を過ごしていました。
この暑さの中、ラグビー漬け❢❢
関西の頂点を目指すため、毎週末の練習と日々の自主練習。
日々の食事や睡眠もこの期間はラグビーのための身体作り。
様々なラグビースクールから選ばれた選手たちは、お互い昨日までの敵。
その敵同士が1つのチームを作り、最高の仲間になり、切磋琢磨して、自分たちの最大限の力をぶつけるために暑い日々を過ごしていました。
自分に厳しく、仲間に厳しく、周りで見ていると声もかけられないほどの迫力です。
これから始まる感動と充実感のために、どこまでも自分たちを鍛えます。












結果は残念でしたが、最高な夏でした。
その満足度は、息子の成長を見ていて感じます。(親バカです(^_-)-☆

次には秋の県大会。仲間が分かれてこれからはライバル❢
まだまだ続くラグビー漬け……受験生のはずなのに…(>_<) みなさんは、青春を熱く、過ごしていますか?
必死になって自分をぶつけることができる何かを持っていますか?
大学生といっても、まだまだ青春❢❢古臭い言葉かもしれませんね。
「一生懸命」することは、しんどくてめんどうくさいことかもしれません。
結果が必ずしも良いとは限りません。
しかし、勝っても負けても、成功しても失敗しても、「一生懸命」に過ごした時間と心は、必ず報われます。
何もしなければ、何も得られません。
手を抜けば、それだけの満足しか得られないものです。
今、大学生であるこの期間だからこそできる「一生懸命」を何かしてみませんか?

2010年9月13日月曜日

野宿の人々への支援フィールドワーク

8月26日と27日
猛暑の名古屋での野宿の人々の支援フィールドワークに参加しました。
看護職ボランティアやキリスト教系のNPOにお話を伺いました。


高速道路下の公園ゲートボール場、夜は、炊き出し会場となります。
市民が行き交っている生活道路のすぐ傍らで、散髪や生活相談などの支援活動が行われています。






8月26日は、南山大学のボランティアが炊き出しを担当し293人が利用されました。











健康相談は、ここでしています。
ここに来れば、なじみの人がいるという居場所づくりを兼ねた看護職のボランティア活動です。







自由に血圧や体重等を測るコーナーの横で、当事者のお話をゆったりと聴かせていただきました。











ささしま共生会「野の花」
6月に始ったばかりのデイケア施設です。








住宅街の一軒家で、入浴、シャワー、洗濯などを野宿の人々に提供し、憩いの場となっています。














「からし種の家」

知的障がいの特性を考慮に入れたシェアハウスです。







「ただいま」と帰れる人間関係の基地です。10歳代と50歳代の2人の住人にお部屋を案内していただきました。











「若宮大通公園」は、都会の真ん中、100メートル道路として知られています。

若宮大通の真ん中にある東西に長い公園で、名古屋高速2号東山線の高架橋に覆われ、高速道路下に、野宿の人々の生活根拠であるブルーシート小屋が点在しています。

高架橋下の部分に柵(トラ柵と呼ばれているらしい)を上手く利用して、衣類が干されていました。

2010年9月6日月曜日

東尋坊の夕日に思うこと

 8月27日に福井大学医学部の附属病院で開かれた放射線被爆医療のプログラムに参加しました。これは、日本災害看護学会のプレ企画による講演と演習で、日頃、イメージしにくい放射線被爆医療の現場に触れました。養生訓練と呼ばれた演習では、まず被爆者を運び込む部屋が汚染されないようにシートを床に敷き詰め、壁にも貼っていくところを見学しました。養生シートは意外と薄くて、こんなに薄くても効果があるということを知りました。


 次に、参加者の中から、看護師役が選ばれ、放射線の影響を受けないような服装を整えて行きました。オペ着の裾や袖口等を養生テープでぐるぐる巻きにして、放射線が全く入り込む余地が無いようにしていきます。もちろん、空いている背中も隙間が無いように養生テープが貼られていきます。顔にはゴーグルとマスク、頭には帽子を被ります。この時点で、もはや誰が誰だか分からなくなってしまいました。そのため、体の前後に名前を大きくマジックで書き、個人が識別できるようにしました。見るからに暑そうです。実際に看護師役になった人に話を聞くと、実はこの部屋、震える程にクーラーが効いていたのですが、完全なサウナ状態だったと言います。


 準備ができると「被爆した可能性のある患者」という設定の模擬患者さんが運び込まれて来ました。運び込まれる患者も養生シートで覆われていました。そこで、サーベイメーターという放射線の測定器具を用いて、放射線の測定を行うのです。もちろん、模擬患者さんですから、放射線に被爆してはいません。その代わりに、自然界にあり人体に影響がない程度の放射線を出している岩石を使って、サーベイメーターの変化を実地に体験しました。そして、汚染している部位が分かれば、その部位を洗い、改めてサーベイメーターで放射線を測定します。この過程を「除染(じょせん)」と呼び、これが済んで初めて一般の救急室へ搬送されます。


 座学で基礎的な知識を学んだ後の1時間半程度の演習でしたが、放射線が目に見えないものだけに念には念を入れて養生し、除染するたいへんさに圧倒されました。除染が済んでも、看護師役が着ていたオペ着なども放射性廃棄物として扱われます。安全を守るということが如何に多くの手順を踏みながら行われるかということを知りました。


 プレ企画に参加した帰りに、学会の事務局のみなさんのご配慮で、東尋坊に立ち寄りました。グッドタイミングで東尋坊から夕日をみることができました。その美しさにこころが洗われる思いがしました。海から吹き上げてくる風の心地よさを感じながら、安全を守ることの難しさと重要性を再認識したひとときでした。