2013年4月29日月曜日

幼児の知的なこころの発達を願って

 子どもは、生まれながらにして好奇心と探究心を持ち合わせているといわれます。それは、500万年程前に、人類の祖先が森林生活からサバンナへと移り、二足歩行を獲得して、未知なる物へ、好奇心と探究心を働かせて進化してきたという歴史が、私たち人間の本性として、現在も受け継がれているからなのです。


 この好奇心と探究心を持って、無心に遊ぶ幼児期の子どもを観察すると、遊びの中で、実に多くのことに気付き、学び、発達のきっかけを得ていることが分ります。そこには、五感を働かせ、子どもなりに考え工夫しながら試し、失敗を繰り返し気付いていく過程があります。子どもの気付きは、大人の目から見れば些細なことであったり、当然のことと思えるものであったりしますが、子ども自身にとってはひとつひとつが意味のある発見であり、体験から得た大事な知識なのです。


 幼児期の子どもの遊びの充実には3つの「間」が必要だといわれます。ひとつは、時間。誰にも邪魔されないで、集中できる間、ゆったりとした雰囲気が保たれている間、自由な雰囲気に満ちた時間です。次は空間。安全で、十分に楽しみつつ、発達が保障されるような環境です。そして三つ目は人間(仲間)。共通の願いを持った友達や自分を理解し支えてくれる大人です。


 レーチェル・カーソンは、これから子どもを育てようとしている若い両親に向けて、幼児期の子どもに寄り添う大人の役割について次のように述べています。「生まれつきそなわっている子どもの『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』をいつも新鮮に保ち続けるためには、私たちの住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくとも一人、そばにいる必要があります」※


 日々の生活の中で、良き出会いの時を分かち合える大人に見守られれば、子どもは、自ら伸びようとするエネルギーを発揮できるというのです。ですから、先回りして教えようとしたり、大人の判断を子どもに押し付けたりして、子どもの育ちの邪魔をするのではなく、ともに楽しみ、時には、遊びのヒントを与えたり、一緒に考えたり、励ましたりする、よき援助者であることこそが、大人の役割であるというのです。


 考える、分かる、知るなど、幼児期に望まれる「知的発達」の芽は、日々の遊びの中で、好奇心と探究心に支えられた基本となる経験を十分にすることを通して、はじめて培われていくものです。子どもが何に気付き、何に心を動かしたかを受け止め、見逃さず、ともに感じようとする大人がそばにいることによって、子どもは、次への意欲を得ることができるのです。子どもが試したり、失敗したり、繰り返し夢中になって遊びこめる環境を作り出し、それぞれの気付きや発見を大切にしたいと思います。


 他の霊長類に比べて、長く特別な期間であると言われる人間の幼児期を、大切にゆったりと、育んでいきたいものです。


                                 上月素子


※『ザ・センス・オブ・ワンダー』(佑学社)より。アメリカの女性海洋学者であり、地球環境の汚染を鋭く告発した『沈黙の春』の著者でもある。

2013年4月22日月曜日

兵庫県立「淡路夢舞台国際会議場」

 少し前の話になりますが、今年の2月10日(日)~11日(祝日)を利用して、兵庫県立「淡路夢舞台国際会議場」に見学を兼ねて遊びに行ってきました。

と言うのは、来年度2014年夏に、当大学の教授が集会長をする学会の会場候補地として見学をさせていただきました。私は、大阪、京都、横浜などの国際会議場は何度か学会で行ったことがありましたが、兵庫県の大学に勤務していてお恥ずかしい話ですが、この国際会議場を見るのは初めてでした。
 国営明石海峡公園の中にあり、各会議室(いろいろなサイズの会議室)を見学させていただきましたが、ほとんどの会議場から海が見え、素敵なところでした。

 私が訪れた時は、甲南大学のゼミの何十周年記念講演会のようなものが開かれていました。

 当大学の卒業研究の研究室も、今はまだ2期生が出たばかりですが、いつか研究室の在校生、卒業生もこんな風に集まってゼミができればいいなとそんな勝手なことを考えてしまいました。卒業研究を通して、先輩・後輩がみんな集まって成果を議論しあえるような研究が続けられるように努力しなければとも感じました。

 ここに見学に来たもう一つの目的は、この会議場の中にある「茶室」でした。私は、学生に頼まれて「茶道同好会」なるサークルの顧問をしています。サークルを自分たちで立ち上げて2年間頑張ってきた彼女たちに、何かみんなでもう少しゆったり、また気分を変えて(サークルの小旅行みたいな、ちょっと非日常的な)お茶を楽しんでもらいたいという気持ちもあったので、茶室があると聞き、それにも興味があって今回の見学に来ました。

 安藤忠雄さんの設計だけあって、一風変わったお茶室でしたが、素敵で、サークルのみんなの顔を思い浮かべていました。残念ながら、学生をサークルで大学から連れていくことは責任重大で、「いいな」と思っただけで、こちらもまだ実現はしていません。

 学会会場候補地見学が、小さな会議室も充実していたことから当学科の卒研研究室の未来像に夢をはせてしまった一日でした。



                                M科 教員



2013年4月15日月曜日

  部屋を片付けていると昔から良く聞く胃腸薬の一成分「クレオソート」の臭いがしたので誘われて箱を取り出すと、写真のような虫が標本になって入っていた。昔が思い出される。その名前は「ヨコヤマヒゲナガカミキリ(Dolichopurosopus yokoyamai) 」という。左が雄,右が雌。知るひとぞ知るカミキリ虫だがこれを追い求めている採集家は今も多いようだ。この日本固有の種は都道府県で違うようであるが準絶滅危惧に指定されている結構貴重な存在らしい。他にも3匹が箱に入っていた。いつまでもブナ林に存在していてほしい。
  その箱は「インロー式」とか称した桐製?の標本箱で年齢的に高価な買い物だったが,さらに高質な茶褐色に彩られたドイツ製のものがあったような記憶がある。これは足繁く通った志○昆虫店でいつかはと構えて羨望の目でみていたが,高嶺の花で結局購入できず-----------------------。
  体力の保持・増強を兼ねて生態写真でも撮りながらの復活も悪くない。ただ,木を揺さぶるのは禁物である。時として,2013年の干支が頭の上で“ご挨拶”となりかねない。

2013年4月1日月曜日

ワイガヤラボへのお誘い<part 2>

 「ワイガヤ」にはもう一つの顔がある。それは地域と大学をつなぐ窓口としての顔だ。大学の使命の大きな柱は「教育・研究・社会貢献」の3である。そしてそれらはすべて社会に還元されて初めて意味を持つ。

 本学は歴史的にも地域との交流が活発に行われてきた経緯はある。しかし、大学が学内外に向けて「地域に貢献します!」と声を上げたわけではなく、すべての地域交流事業が集約されてデータベース化されてもいない。何よりも学生の教育や教員の研究が地域志向であったかというと甚だ疑問である。学びの場は学内だけでも病院や保育所だけでもない。

 本学が存在する神戸市や長田区は、平清盛が都に定めた街であり、戦前までは新開地と共に繁華街として長く神戸の中心地であった時代背景を持つ。そして、第二次大戦の神戸大空襲によって焼け野原となり、幾度となく風水害の餌食となり、とどめは阪神・淡路大震災という未曾有の大災害を経験した過去も持つ。この街は示唆に富んだ多くのことを教えてくれる生きた教材であり、そこに住む人々もまた優れた教育者である。その方々が「ワイガヤ」に集い、学生や教員との交流を通じて大学の持つ知的財産やマンパワーを共有することで地域の課題を克服し、本学が真の意味でCenter of Communityとなることがこの空間のもつ大きな目標でもある。

 さあ、学生諸君!
 この空間で「ときわ」の新しい歴史を創っていこうじゃないか。