2011年1月31日月曜日

兵庫県は広い

兵庫県は広い!ですね。
瀬戸内海も日本海もあります!(当然といえば当然なのですが・・・)

今週、学生が実習でお世話になっている保育所に行って来ました。
まだ!雪が残っていて、先週なら雪だるまが溶けていなかったのに、
とおっしゃっていました。凍結防止のために水道の水を出しっぱなしにしていたら
1メートルほどの立派な氷柱(つらら)ができていたそうです。
その周辺は一谷ごとに10センチずつ雪の量が増えていくそうです。

氷柱、見たことありますか?
氷柱の保育所も来年度から幼保一体化になるとのことで、
今、大きくてきれいな建物を建設中だそうです。
所長先生は、新しい施設への引っ越し準備も急がなくちゃいけないし、
保育所は3月31日まで開けておかないといけないし、4月1日開園だし、と本当にお忙しそうでした。

十年位前だったか、幼保一体化になった施設に学生が実習でお世話になっていて、訪ねました。
その年は開園の初年度だったので、ものすごく大変そうでした。
でも、その建物はとっても素敵です。森の中に建っていて、ログハウス風です。
オゾンもたっぷり、居ながらにして森林浴ができるし、お花畑も畑も中庭にあります。
去年伺ったらびっくり!卒業生が園長先生になっておいででした。

あちこち回っていたら、思わぬところで卒業生に出会います。
みんな素敵な先生になっていて見違えるようです。わたしはというと、見違えるように・・・涙・・・。

それから、スタバの先生へ(リレーブログではないのにごめんなさい。)
「ユー・ガッタ・メール」というメグ・ライアンとトム・ハンクスの映画を思い出しました。
その映画の中で、スタバに行って注文するとき口が勝手に動いて、
自分の思い通りの(低脂肪乳入りでとかバニラシロップ入りでが、言えない)ものが買えない、
それどころかほしくないものを頼んでしまう、という場面がありました。
先生のブログを読んで思ったのです。
人間には2種類ある。スタバに行って思い通りの注文ができる人とそうでない人。



ところでこれを読んでくださっているあなた。あなたは、どっちですか?

2011年1月24日月曜日

コーヒー好きです。

といっても、豆の挽き方、焙煎の仕方等にこだわりがあるわけでもなく、
また産地にこだわりがあるわけでもなく、
思いつくまま気になったコーヒーを飲んでいるという、
ぬるいコーヒー好きです。

かつての私にとっては、コーヒーといえば明治のコーヒー牛乳であり、
コーヒーに牛乳を入れないでブラックで飲むのは、
疲れたサラリーマンのすることだと思っていたほど、
コーヒーに頓着がなかった私に変化が訪れたのは、
サンフランシスコに住んでいた友達を大学生の冬休みに尋ねた時のことです。

「お茶でもしよう」と連れていかれた場所は、
いまや日本のカフェ文化の王道であり、誰もが知るスタ-バックスコーヒー。
その香ばしく甘い香りが充満したイタリアンテイストの店内、
アメリカのフランクな感じも手伝って、
注文したトールラテを一口飲んだ瞬間、
身体いっぱいに広がる風味の虜になりました。
当時、日本にはまだスタバがなく、神戸に帰ってから、
サンフランシスコでそれはそれは美味しいコーヒーを飲んだことを家族や友達に自慢したものです。

それからというもの、
後に日本上陸を果たしたスタバの商品はほぼ全種類を制覇、
タンブラー購入はもちろんのこと、
「低脂肪乳で」とか「バニラシロップ入りで」というカスタマイズを楽しんだり、
タリーズやドトールコーヒーにも積極的に入るようになりました。
ついには、ネスプレッソのエスプレッソマシンを自宅に買って自宅カフェ。
「ヴォーノー」などと呟きながら、気分はイタリアのバルでした。気分だけですが。

その後ちょうどエスプレッソコーヒーに飽きた頃、
自宅近くの隠れ家的イタリア料理店に行った時に出てきたコーヒーにはまったんです。

ドリップなのに、夜飲んだら明後日ぐらいまで眠れなくなるのではないか
というような濃厚な味わいと深い香り。
店主に豆のメーカーを訊ねネットで調べてみたところ、
1948年からイタリアのナポリで製造している
「パッサラックア社のメハリコーヒー」 (HPはイタリア民謡が流れていて雰囲気満載)とのこと。

早速、教えてもらったお店で購入。
やっぱり深い味わい!私の朝のお供となりました。
しかも、そのパッケージもお気に入り、可愛らしいマスコットガールが舌を出しているんです。
でもよく見たら・・・日本でもこんな人形みたことありますよね(笑)

ちなみに、不二家のアイドル「ペコちゃん」誕生は1950年…
うーん、微妙だなあと思いながら、今日も濃厚な味わいを楽しんでいます。

2011年1月17日月曜日

“ケアリング”に思う

 本学の保健科学部の「教育研究上の理念、目的」の一つに、“トータルヒューマンケアの視点を身につける”とあります。また、看護学科の教育目標に「看護の対象の個別性・特性を尊重し、“ヒューマンケアリング”を行うことのできる能力を養う。」とあり、医療検査学科では「ト-タルヒューマンケアを身につける。」とあります。では、各学科において、“ケアリング”“ヒューマンケアリング”について定義や概念を学ぶ科目がどのくらいあるのでしょうか。教職員や学生はどのように認知しているのでしょうか。私自身、どのように認知し取り入れているか、十分ではないことを反省しています。

 私は、若い頃、“ケア”という用語を使うのは看護職だけだと無意識の中で思っていました。しかし、哲学者ミルトン・メイヤロフ(Milton Mayeroff)の著書「ケアの本質~生きることの意味~」に出会い認識を変えられたのです。

 「ケア」について、メイヤロフは、「ケアの本質~生きることの意味~」の〈序〉において、『ケアすることを一般的に記述すること、ケアすることがどのようにして全人格的な意義を持つか、その人の人生にどのような秩序づけを行うか』の説明を主題とし、ケアする経験、ケアされる経験について詳細に述べ、ケアの主要素として、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気を挙げて説明しています。

 ◇ケアとは;「一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。(略)相手が成長し、自己実現することをたすけることとしてのケアは、ひとつの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方であり、それはちょうど、相互信頼と、深まり質的に変わっていく関係とをとおして、時とともに友情が成熟していくのと同様に成長するものなのである。」
   「他の人をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、ケアする人は自身の生の真の意味を生きているのである。の世界の中で、私たちが心を安んじていられるという意味において、この人は心を安んじて生きているのである。それは支配したり、説明したり、評価しているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのである。」

 ケアは決して医療関係や看護の世界だけのものでなく、一般に母子関係や親子関係、友人関係、教育における教師と学生(生徒)の関係においてもいえることであり、ケアの対象は、常に特定の誰か、特定の何かという具体的なものです。

 看護学や教育学においてもケアリングの研究は進められ、発展しています。
 看護学では、マデリン・レイニンガー(Madeleine M Leininger)、ジーン・ワトソン(Jean Watson)、パトリシア・ベナー(Patricia Benner)など看護理論の展開のなかで説明している理論家は少なくありません。

 文化ケア理論の創始者であるレイニンガーは、文化人類学の手法を取り入れて患者とその家族の価値観や人間関係のあり方の研究をとおしてヒューマンケアリングを系統的に研究し、“ヒューマンケアリングこそが看護の本質である”と述べた最初の人として知られていて、レイニンガーは、「ケアは看護の真髄であり、看護の中心的、優先的で中心をなす焦点である」とする命題を提案しました。
 レイニンガーは、ケア、ケアリングを以下のように定義しています。

◇ケアとは、「人間の状態や生活の仕方を改良、改善するために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他者に働きかけ、または他者のために経験と行動を助け支援し、できるようにすることに関係した、抽象的なそして具体的な現象を指す」
◇ケアリングとは、「人の状態や生活の仕方を改良、改善したり、死と立ち向かわせるために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他の個人や集団を助け、支援し、それができるようにすることに向けられた行為や活動を指す」
  →ケアは現象であり、ケアリングは行為・活動である。

 ワトソンは、ヒューマンケアリング理論の提唱者です。
 ワトソンは、「人と人との関係のなかでケアリングは成り立ち、ケアリングによって健 康がもたらされ、ケアリングを実践することが看護の目指すところである」と述べ、看 護のあるべき姿について論じています。

◇ヒューマンケア(human care)とは、「看護の道徳的な次元での理念」であり、「ヒューマンケアとは、感情とか、関心、心構え、人のためになりたい願望といったものではない。看護を道徳的理念から観た場合に、ケアといわれるのであって、そこにおいては、人間的尊厳を守り、高め、維持することが目的とされている。」

 ワトソンは、トランスパ-ソナルな関係性を重視し、近年では、ケアリング理論の基盤となるものを「トランスパ-ソナル、ケアリング」であると述べている。

◇トランスパーソナル(transpersonal:人間と人間のとの間の、または間人的、個人を超越したという意味)とは、人間対人間の間主体的な関係を指し、看護師という人間が、もう一人の人間に影響を与えると同時に影響を与えられる関係のことを言います。
◇トランスパーソナルケアリング(transpersonal caring)とは、「人と人との結びつきであり・・・お互いがお互いの人間の核心に触れ合うもの」と定義されています。


 ケア/ケアリングを行うには、単に感情’(優しさ)だけでは成立しません。メイヤロフ がいうように、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気などがそ こになくてはなりません。また、ワトソンが言うように、お互いの人間の核心に触れ合う結びつきでなければならないと思うのです。それは人間として、その上に看護専門職人として、教育者として・・・。
 看護学では重要な理論と考えられています。ケアリング理論の真髄が、「看護師が患者とともにそこにいる意味をを示すものであり、看護独自の専門性を支えるものである」というところにあります。

 難しいですね。私も、今、学習の途上で、十分にケアリングを伝えられません。
 学生の皆さん、一度ケアリングについて学習してみませんか?

★全学生(看護学科以外の学生の皆さんにも)の皆さんにお勧めです。
1)ミルトン・メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳、「ケアの本質~生きることの意味~」、ゆみる出版、2000.

★看護学科の学生、看護のケアリングに関心のある学生さんにお勧め
2)Ann Marriner-Tomey著、都留伸子監訳、「看護理論家とその業績」、医学書院、1991.
3)マデリン M. レイニンガ-著、稲岡文昭監訳、「レイニンガ-看護論~文化ケアの多様性と普遍性」 、医学書院、1995.(4900円+税)
4)Watson, J.著、稲岡文昭監訳、「ワトソン看護論~人間科学とヒューマンケア」、医学書院、1988.
5)Jaqueline Fawcett著、太田喜久子、筒井真優美監訳、「フォ-セット~看護理論の分析と評価」、医学書院、2008.(4000円+税)

★その他
6)Em Olivia Bevis、Jean Watson著、安酸史子監訳、「ケアリングカリキュラム~看護教育の新しいパラダイム」、医学書院、1999.(3800円+税))
7)中野啓明著、「教育的ケアリングの研究」、樹村房(発行所)、2002.

2011年1月10日月曜日

明けましておめでとうございます。

今年はお天気にめぐまれたお正月でしたね。

お正月といえばお節料理ですが、みなさんは料亭や百貨店のお節を買う派ですか?手作り派ですか?
我が家は、「みんな食べないのにどうしてお節料理なんて作るの?」と子どもたちに言われながらも、
数品は作ります。その中でも毎年欠かせないのが黒豆です。

 子どものころ、お正月に実家に集まる母や親戚のおばさんたちが、各自作った黒豆を持ち寄り、品評しあう姿を目にし、幼心に黒豆というものはただの煮豆以上の価値がこの人たちにはあるのだろうと思ったものでした。そして主婦となり母親となった私にとって、お正月の黒豆は、家族の希望の品であろうとなかろうと、主婦としての面子がかかった一品となっているわけです。

 毎年、12月30日の晩に、黒豆を重曹と鉄玉子という名の小さな玉子型の鉄をガーゼに包んだものとを一緒に水につけておき、翌日大晦日の朝から砂糖と醤油を加えて煮ます。ここで大活躍するのはシャトルシェフという保温鍋です。長時間とろ火で煮なければならない黒豆は、すぐに吹きこぼれてしまうので、目が離せないという面倒くささがあるのですが、この鍋を使うと、沸騰してから20分だけ気をつけて煮たら、火を使うことのない保温のための外鍋に2時間入れておき、その後10分また火にかけて煮た後は、外鍋に入れっぱなしにしていれば、柔らかいつやつやの黒豆が夕方には出来上がるのです!

 もちろん、昨年末もいつものように黒豆を煮たのですが、毎年お正月の悩みの種は、ちょっとだけ作ることができない黒豆は、4人家族で食べきられる以上の量ができてしまうので、残ってしまうことです。主婦の威信にかけて作った黒豆を、最後は一人で食べ続けなければならないのは本当にむなしいものです。

 そこで、今年は強硬手段に出ることにしました。黒豆をお重に詰めて各自取ってもらうのはやめにして、私が小皿にこんもり盛った黒豆を家族4人の前にそれぞれ置いておくことにしたのです。いやおうなしに大晦日のお夕飯から3日まで、小皿に山盛りの黒豆を家族全員に食べてもらった(食べさせた?)結果、大量にあった黒豆3日の夜にはすべてなくなったのです!
 できも悪くなかったうえ、3日で完売した黒豆に、幸先のよさを感じられたお正月でした。





このブログのためにもう一度作った黒豆です。
私の家族はこれからまた4日間黒豆を食べ続けることになります。

2011年1月3日月曜日

山バァ-バの石鎚山制覇!!

この夏に、山ガールならぬ山バァーバの私は、四国随一の山、石鎚山
の頂上に立ちました。翌朝は、遥か太平洋の彼方から、まるで湧き上っ
てくるかのような御来光に、心洗われる感動をしました!










 1982メートルの石鎚山は、荒々しい岩稜から成り、古くから山岳宗教の山として開かれています。今も修験道の鎖場という険しい岩場に鎖が備え付けられた場所があります。ほぼ垂直に切り立った巨岩に身がすくんでしまいます。もちろん私はその鎖場を迂回する道を選びましたが、それとても、垂直の岩稜を螺旋状に取り巻くように鉄柱を打ち込んだ細
い網目の高架の道ですから、下を見れば目がくらみます。
 今回の登山の起点は、石鎚山登山口からロープウェイとリフトを乗り継ぎ、石鎚神社成就社(標高1280メートル)からでした。健脚ならば3時間のところを、約5時間。頂上への到着時間は午後5時過ぎとなり、学生時代以来の山小屋泊まりを体験しました。
 「人はなぜ山に登るのか?」、有名な登山家は、「そこに山があるから…」と応えました。私は「そこに頂上があるから…」としましょう。ハァハァと苦痛に喘ぎながらの道程。でも、登山路のそこ此処で出逢う、可憐な花々に励まされながら、頂上へと向う。











 “なすべきことはただ1つ、後ろのものを忘れ,前のものに全身を傾けつつ…目標を目指してひたすら走ること(聖パウロ)”の心境なのでしょうか。物事を成し遂げねばならない時、人は山頂を目指すのです!

 看護学と看護学科の頂上を目指して、皆さんもバァ~バを追い越してゆくべきです。