2010年5月31日月曜日

介助犬のますますの普及を願って

今朝、電車で盲導犬のラブラドールに出会いました。
ユーザーさんと一緒に電車に乗り、駅が近づくまでじっと伏せ、
次の駅のアナウンスがまだなされていないのに、
駅が近づいたことを察してすっくと立ち上がり、
ユーザーさんを促して颯爽と降りて行きました。

このような使役犬、いわゆる補助犬について、
「仕事をさせて、かわいそう」と思われる方が多いかもしれませんが、
犬たちは自分の役割をきちんと認識し、
大好きなユーザーさんと一緒にいられることを幸せに思い、
結構気楽に、楽しくやっています。

現在施行されている身体障害者補助犬法(平成14年5月公布、10月施行)が
制定されるまでの運動期間に、
私は京都で介助犬の育成団体に所属していました。
今でこそ認知度の高い介助犬ですが
当時はとても理解してもらえず、
訓練施設も資金もなく、本当に大変でした。

兵庫県は宝塚市に「シンシア」という有名な介助犬がいて
全国に先駆けて宝塚市は「シンシアのまち」として
介助犬を受け入れてくれました。
現在、兵庫県立リハビリテーションセンターで介助犬の認定試験を実施していますし、
兵庫県は介助犬先進地域といえますね。

先日オリンピックのあったバンクーバーに介助犬育成の現場視察に行ったとき
国が訓練施設を補助し、訓練士の教育にも力を注いでいるのを見て、
日本との大きな違いを感じ、驚いたのを思い出します。
バンクーバーは人工呼吸器をつけた電動車いすのユーザーさんが、
街でショッピングしていたり、
車いすが乗れる福祉タクシーが街中を流しで走っているなど、
障害者が外出するのに困らない、
素晴らしい環境がありました。

今でこそバリアフリー社会になりましたが、
障害を持った人々が社会に出るには、多くのハードルがあります。
自身の障害を引き受けながら、
自分の思うように行動する、外出するということが
非常に大きな意味を持ちます。
それを支える素晴らしいパートナー、介助犬。
介助犬に会いに、ぜひ日本介助犬協会の施設、「シンシアの丘」にお出かけください。





写真:社会福祉法人 日本介助犬協会ホームページより http://www.s-dog.jp/

2010年5月24日月曜日

新緑のまぶしい季節

新緑のまぶしい季節ですね。
私はこの時期のみどりみどりした葉や、それらを結んでいる枝の間から空を見上げるのが好きです。
その時の気分によって同じ木でも見え方が違います。










あの葉がキラキラしてきれい・・
あんな色のボールペンがあったらいいな・・
横に伸びている枝、血管みたい・・
枝が上腕動脈だとしたらあの根が大動脈だろうか・・
葉の間から見える空の形、何かに似ている・・
女の子の横顔に見えてきた・・・。
お、あの根の曲線はいいな・・
アールヌーヴォーのモチーフでありそう・・
あの曲線のように教室がゆがんだらガウディみたいでカッコいいかも。










こうして、一本の木から他愛のない思いが膨らみます。
不思議なもので、こんなふうに空想した後は、行き詰っている研究のアイデアが閃くこともあるのです。

みなさんも勉強や研究に行き詰ったら、木々を見上げてみてください。

2010年5月17日月曜日

人を信じる力

母が亡くなって、1年が過ぎた。
今まで多くの人を看護し看取ってきたけれど、なぜか自分の親だけはいつまでも生きているものだと思っていた。
あれこれと支配しようとする母を、私は大嫌いだったはずなのに、亡くなって1年経ってもなお、ふと気が緩むと涙が止まらないことがある。

最近の世界的な不況感の高まりに関するニュースを見たり聞いたりしていると、昔、母に繰り返し聞かされた話を思い出す。
昔、といっても、80年代前半くらいのことだったように記憶しているのだが、決して豊かではない家計の中、父が起業することになった。
しかし当然、その運転資金など十分にあるはずもなく、困った母は、近くの銀行に開店時間と同時に出向いて、窓口のお姉さんに「こういう事情で起業したいのだけど、融資してもらえないだろうか」と、真剣にお願いしたらしい。
もちろんその場で即行、断られたのだけれど、そんなことでいちいち気弱になっていては、現状は何も変わらない。とにかく前に進みたい、なんとしてでも、という母の決心は固く、その日以降も、毎日毎日開店と同時に入店し、「融資してほしい」と訴え続けては、即、断られるということを繰り返していた。「あのオバはん、また来てる。うっとおしいなあ。」という銀行員の声も聞こえた。
そんなことを繰り返して1週間くらい過ぎたある日、その日はいつもと違っていて、奥の方から、母と同年代か少し下くらいの男性が出てきた。
「あなたが毎朝、通って来られている様子を、ずっと見ていました。困っておられるようですね。お話を伺いましょう。」と、商談室に通してくれ、母の話を真剣に聴いてくれたようだ。
男性は、その銀行の支店長で、母の話を最後まで聴き終わった後、「あなたの真剣な姿を1週間、ずっと見ていました。そこから確信したのは、あなたは絶対に裏切らない人だということです。あなたを信じましょう。いくらお貸ししたらよろしいのですか?」と、信じられないことを口にしたそうだ。
起業の大変さも何も知らない素人である母は、「30万円ほど、お借りしたいのです。」と答えると、支店長は「奥さん、真剣に商売をするのなら、腹をくくりなさい。30万円で何ができるの?せめて500万円準備しなさい。私が保証人になりましょう。これはあなただから、あなたの熱意と行動力に心を動かされたからなんですよ。」と、融資のこと以外にも、起業の興し方、経営の仕方、資金繰りのノウハウ等、さまざまなアドバイスをしてくれたらしい。
その後、順風満帆とはいかないけれど、それなりに軌道に乗って、今は私の兄が経営を受け継いでいる。

最初にこの話を聞かされたとき、なんというのか、あまりにも出来すぎた話だし、平和な古き良き70年代前半くらいのことかと思っていたのだけど、たいして昔の話でもなくて(それでも30年は経っているけど)心底驚いた覚えがある。そんなお人好しな支店長が本当にいるんだなぁ、と。支店長のお人好しもさることながら、母の行動力にも頭が下がる。

この話を思い出す度、何事も「こうしたい」という強い信念と情熱と地道な努力、そして何よりも「人を信じる」という力の大切さを思う。
昨今の、不況による生活への影響は深刻さを増す一方だけれども、だからこそ「お金がないから」、「資格がないから」、「時間がないから」、何もできないのではなくで、その気になればなんだってできるんじゃないのかな、人を信じる力があれば・・・と、今日も母を想う。

                            看護学科  上野理恵

2010年5月10日月曜日

透き通る青白い目の少年

最近、とても想い出す人がいます。
私が新人看護師だった頃に出会った16才の少年です。

ICUに運ばれてきたその少年は、全身の皮膚はがさがさに硬く、関節がごつごつ出るほど痩せており、見た目はミイラのような状態でした。
強皮症の症状が進行し、内臓にも病変を来たし、栄養障害と脱水による意識低下のため救急車で運ばれて来ました。
治療が施され、幸いにもすぐに回復しましたが、ベッド上での寝たきりの生活は、褥瘡の処置や吸引、点滴など、彼にとってはたくさんの苦痛を伴う生活でした。

しかし、そんな苦痛の多い状態の中でも、彼の目はとても真っ白で、透明で、未来を見詰めている目をしていました。クルクルと目だけを動かして私の動作を追い、固くなってなかなか動かない唇でおしゃべりをします。
 
ある日、制服を着た3人の女の子と1人の男の子が彼の部屋に来ていました。
彼は、私に彼女たちを笑って紹介してくれました。
そして、彼女たちが帰った後、にこにこ嬉しそうに、
「なぁ、あの中でかわいいと思う子誰?」と聞いてきました。
私は、高校生らしい潑剌とした彼女たちとベッドで横になっている彼が全く違って見えたので、彼の質問に少し戸惑いを感じました。そして、遠慮がちに誰か1人を伝えたように思います。
続いて彼は、
「こっちから2番目の子、ムッチャかわいいやろ。僕、あの子前からずっと好きやねん。内緒やで誰にも言わんとってな。それに早く勉強せんと遅れてくる。僕こう見えても頭ええねんで」。

私は、彼の目がキラキラしていた理由がわかったように思いました。
この時から、私は彼を強皮症の少年ではなく、○○君として感じるようになりました。
勉強に悩んだり、恋をしたり、普通の高校生だったのです。

その彼は、半年後に亡くなられました。
でも、確かに病棟で一緒に共に生きていたと思います。

患者さんは、医療者に普通の会話をしてほしいとよくおっしゃいます。
でも、患者さんだけじゃありません。

私が、彼のことを最近よく想い出すのは、きっと希望に満ちた初々しい学生さんを見るからでしょう。
学生さんも1人ひとり、今を未来に向かって生きていることを感じたからでしょうね。

今、もう一度、その人を感じることを忘れていないかを問いかけたいと思います。

2010年5月3日月曜日

ちょっと一休み

ようやく、気持ちの良い季節になってきました。
私にとっては、今が一番過ごしやすいかなぁって思っています。
私だけでなく、写真にあるちっちゃい生き物も楽しそうに泳いでいます。
そう、メダカたちです。
メダカたちにとっても、寒い冬を乗り越えて春を迎えようやく活動が活発になってきました。




めだかの学校は 川のなか      
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ




なんとも、のどかでほのぼのとしたこの歌、幼少の時には歌っていたもんですよね~。
泳いでいるメダカを見ているだけで雑踏とした日常生活を忘れさせてくれる光景でもあります。

一昨年秋に、こどもが通園している保育所の保育士さんからメダカを3匹もらってきました。

メダカは、初夏から秋にかけて、たくさんの卵を産み、多くの稚魚が生まれます。
しかし、数日経つと、なぜか数匹しか泳いでいないことが、・・・。 なんで?
毎日餌も与え、水も換えているのに、と思っていたら、ある日の朝、プランターを覗いてみると、なんと、メダカ同士で共食いをしているじゃありませんか。m)゚O゚'(m ヒャ~
ネットで検索してみると、メダカ同士で共食いをするので、同じような大きさのめだかを選別して飼う必要があると書いてあり、そうなんだ~と思った次第でした。
そういうこともあったけど、親メダカは次々と産み続け、今では、なんと100匹にもなりました。
3匹→100匹ということは、今年の秋には、3300匹、え~。

ちなみに、最初は子どもたちが世話すると言っていたのが、いつのまにやら、私が担当することに、・・・・・。トホホ