2011年12月26日月曜日

尾道に行ってきました

11月12日土曜日に、新幹線で新尾道駅まで行って、「尾道ふれあいの里」まで行く予定でした。
 出かける前にテレビを見たら、なんと「新岩国駅で信号故障があり、博多・新大阪間が不通」、その後「不通区間は博多・広島間で、動いているが上下とも大幅に遅れている」というニュースでした。
 あわてて家を出て駅に着くと、土曜日ということで、みどりの窓口も長蛇の行列で、コンコースもごった返していました。
 新尾道駅は「こだま」しか停まらないのですね、しかも約1時間に1本のダイヤです。当初の予定では、岡山まで「のぞみ」、岡山→新尾道間を「こだま」の計画でしたが、取りあえず岡山まで行くのが先決と判断し、入線してきた「のぞみ」に乗って岡山に着きました。時刻表では丁度「こだま」が出発した後だったので、次の「こだま」を待つべく、構内アナウンスを注意して聞いていました。
 ところが次の「こだま」はいつ岡山に着くか分からない、というアナウンスで、ハタと困ってしまいました。どうも「のぞみ」優先で「こだま」は後回しの様子でした。
 少しでも西に行っておいた方が得策と考え、次の「のぞみ」が福山に停車するので、福山→尾道を在来線・山陽本線で移動しようと決断し、次の「のぞみ」に飛び乗りました。在来線は20分間隔で普通列車があるので、何とか尾道駅にたどり着きました。
 尾道は瀬戸内海に山が迫った地形で有名ですが、尾道駅のすぐ前が瀬戸内海でした。在来線の尾道駅と新幹線尾道駅は車で10分程度離れているだけだったので、いくつかの峠を越えて予定より遅れたものの何とか「尾道ふれあいの里」に着きました。
 帰路は定刻通り帰ることができました。新幹線がいつも正確に運行されていることが当たり前ですが、一旦ダイヤが狂うと大変なことになるのですね。翌日の新聞で、結局15本が運休したそうです。

2011年12月19日月曜日

秋が深まって、空の高さを実感しています。
さて、最近の航空業界での大きな話題といえばボーイング787ドリームライナーでしょう。先日、この初号機がANAに引き渡され、9月28日羽田空港に到着しました。機体の軽量化に貢献したカーボンファイバーをはじめ、日本メーカーがこの機体に関わっているところは大きく、(日本の)準国産機などと表現した報道があるくらいです。しかし、実際はとても準国産機などと言えるものではない、と私は思っています。国産機という点では、三菱のMRJ、ホンダのHondaJetが興味を引く存在です。個人的にはHondaJetのほうが面白いので、HondaJetを紹介することにしましよう。
 HondaJetの歴史を遡ってみますと、やはり辿り着くところは本田宗一郎です。今や二輪・四輪のメーカーとして押しも押されもしないHONDAは、傑出した技術者であった本田宗一郎が戦後間もなく設立した本田技術研究所が育ったものです。彼は当初から飛行機に興味を持っていた節があります。
 さて、1986年和光基礎技術研究センターが発足し、小型機開発を研究テーマの一つとしますが、このテーマに関わったチームの一員に藤野道格がいました。彼は、2006年に設立されたホンダ エアクラフト カンパニーの社長に就任し、同年HondaJetの米国向け受注を開始するのです。受注開始の当日に100機を超える注文があったといいます。
 順調に作業が進めば来年2012年、HondaJetの引き渡しが始まるはずです。
  HondaJetの特徴は、以下の通りです。
1. 全長12.5 m、全幅12.2 m、全高4.1 m
2. 主翼上面に二つのエンジンを配置した双発機
3. 自主開発エンジン
4. 炭素複合材の多用

HondaJetは「準」ではなく、真の「日本の飛行機、国産機」なのです。

2011年12月12日月曜日

自衛隊の艦隊&華花火


自衛隊の艦船 
港に自衛艦が接岸しており,その周囲は警察の警備。尋ねたところ一般人の体験航海とのこと。気のせいか,周囲の空気が張りつめた感じがする。念のため,近くにいた自衛官に確認して撮影した。



 沖に目をやれば潜水艦(左端)も加わり何隻も航海していた。







華花火 
花火が打ち上げられていたので,たまたま持っていたコンパクトデジタルカメラで撮影。常日頃から花火がどの程度まで写るかを試みたかったので良い機会に遭遇。


単にシャッターを押しただけでもそれなりに写っていた。手振れ防止機能の効果が大きい。

2011年12月5日月曜日

秋の夜

10月も終わり頃になると、夜の空気は澄み切って凛とした冷たささえ感じるほどである。秋の夜、殊に煌々と月が冴え渡るような夜が来る時期になると思い出す、幼き頃の切ない(?)思い出を紹介したいと思う。
 小学4,5年の頃でした。多分工作時間の延長の行事だったと思いますが、小学校の校庭で模型飛行機を飛ばす大会のようなものがありました。プロペラに回転力を与えるゴムと、プロペラのつなぎ部分に工夫がされていて、ゴムの捻れが戻った後は、惰性でプロペラが自由回転し、かなり長時間の飛行が可能になるものが登場して間もない頃でした。大会前夜になって、私は新しく機を作成しました。大会を意識し、翼の紙の張り方、機のバランスにも神経を払い、自分でも納得のいく出来栄えに仕上がりました。出来上がると早速飛ばしたくてたまリません。というのもその日は風もなく試験飛行には打って付けの月夜でもあったのです。その当時、私は今の丹波市の佐治川(加古川の上流にあたる)に架かる、とある橋の袂に住んでいました。県道は橋の方に向けてせり上がって行く形だったので、そこから低くなっている刈り取りの済んだ田んぼに向かって、完成したばかりの模型飛行機を試験飛行させました。飛行機は予想通り、心地よいプロペラの回転音を響かせながら快調に飛んでくれました。ところがです、あろうことか機は途中から左旋回し、佐治川の方に消えてゆき、視界から全く消え去ってしまいました。あれほど煌々と冴え渡って充分遠くまで見通せると思った明るい月夜なのに・・・、しまった、と思いますが後の祭りです。川に下りてすぐに探そうかと思ったのですが、その頃の佐治川は今より水量も多く、夜で危険なのでそれはかないません。岸辺に不時着していることを期待して、翌朝一番に探しに行きましたが、ついぞ見つかりませんでした。
 「一三夜 愛機はしじまに消えゆけり」