2012年12月31日月曜日

「人生の扉」

ご存じの方も多いと思いますが、竹内まりやさんの「人生の扉」という曲があります。


同年代の私にとってこの曲は、聴く度に“フムフム”としみじみとした気持ちになり、

また頑張ろうと思える歌詞です。

自身の「人生の扉」今までに何枚開け、これから後何枚開けられるのか?

こればっかりはわかりませんが、満開の桜や色づく山の紅葉、雪景色、人との出逢い、

毎日毎日のこのときを、感謝し大切に生きていきたいと思う今日この頃です。



歌詞

春がまた来る度ひとつ年を重ね   目に映る景色も少しずつ変わるよ

陽気にはしゃいでた幼い日は遠く  気がつけば五十路を越えた私がいる

信じられない速さで、時が過ぎ去ると知ってしまったら

どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ

I say it’s fun to be 20

You say it’s great to be 30

And they say it’s lovely to be 40

But I feel it’s nice to be 50



満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見る事になるだろう

ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ

ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ

I say it’s fun to be 60

You say it’s alright to be 70

And they say still good to be 80

But I’ll maybe live over 90



君のデニムの青が褪せてゆくほど味わい増すように

長い旅路の果てに輝く何かが誰にでもあるさ

I say it’s sad to get weak

You say it’s hard to get older

And they say that life has no meaning

But I still believe it’s worth living

But I still believe it’s worth living



                  by つぶやき教員

2012年12月24日月曜日

クリスマス

今日はクリスマスイヴ。美しいイルミネーションが飾られ、1年で1番街がキラキラしている時期ではないでしょうか。最近は個人の家でも趣向を凝らしたイルミネーションを飾る家をみかけるようになっています。クリスマスがあることにより気持ちをウキウキさせてくれます。


 クリスマスといえば誰でもサンタロースを思い浮かべるでしょう。あれは私がいくつの時だったか忘れましたが、サンタさんにお人形が欲しいとお願いしました。寝かせると目をつぶり起こすとパッチリ目の開くミルク飲み人形でした。サンタロースの存在を信じ切っていた私は、親にはどういう人形かよく話していなかったのでしょう。クリスマスの日には、私が楽しみにしていた人形とは全く違う人形が枕元に置かれていました。私は本当にがっかりしたのを覚えています。その後私が親に何を言ったのか覚えていませんが、次の年のクリスマスに私が欲しかった人形が私のもとに届きました。本当に嬉しくてお人形遊びを余りしなくなった後も長く手元に置いていました。

 サンタロースと聞くと、トナカイに曳かれたソリに乗り、赤い服を着た白いひげのおじいさんを思い浮かべると思います。サンタロース誕生のきっかけは、1822年にアメリカの神学者クレメント・クラーク・ムーアが自分の子供たちのために書いた詩が始まりだと言われています。この詩の中にサンタロースが8頭のトナカイに曳かれたソリに乗って空からやって来ることや、煙突から煤だらけの家の中に入ってきて、おもちゃを袋の中から次々に出す様子などが書かれています。その後サンタクロースは近代商業の中で宣伝マンとしての役割が与えられました。今日、誰もが思い浮かべるサンタクロースのイメージは、1931年ハッドン・サンドブロムがコカ・コーラの宣伝キャラクターとして描いたサンタロース像に由来するそうです。注1)

 クリスマスには家族や友人、恋人など誰かと過ごしたいと思います。本来なら1年で1番暗く(夜が長い)寒く気持ちも沈みがちになりそうな時期すが、親しい人の喜ぶ顔を思い浮かべながらプレゼントを選び、食事を共にすることにより人とのつながりを実感する。リスマスは、そういう絆を確認する時なかもしれません。

注1)賀来周一著 「新版 サンタクロースの謎」 キリスト教新聞  2008年   

2012年12月17日月曜日

師走


師走の語源は不確かだそうですが、師匠の僧侶がお教を挙げるために東西に馳せると言うことが語源として有力だそうです。現在の日本では、お経を聞くのはお葬式の時が多いでしょうか。お経は、元来仏の道を説いたもので唄うようにして伝え説いたことを思うと、走るように飛ぶように、馳せ参じた師匠の僧侶は美声の持ち主であったかもと思いを巡らすと、悠久の山々が見えてくるような気がします。ここ数日前にコンサートに行ってきました。開幕滑り込みでしたが、一瞬のうちに雑多な思いを忘れわくわくする感動に身を置くことができました。歌は、一瞬にして観客を黙させ、集中させ、楽しくさせる魔法のような魅力があります。難しい教典もリズムに乗せると、体にしみるように入るものなのでしょう。


ある著名な方が、歌うように語り、話すように歌うと言っていたのを覚えています。最近国政選挙がありましたが、候補者の皆さんは声をからし強い口調で話されている立候補者が多い中、見事に歌うように語っていた候補者がいました。当選しましたね。

また、ある番組で「声」と「話し方」で好印象を与えるには、どうすればよいかというのを実験していましたが、「ありがとう」は、声を高めに出すのがよいそうです。

1年の締めくくりを、元気にありがとうと言いたいですね。


  
ネパール 「スワンヤブナート  佛教寺院」



2012年12月10日月曜日

ときわ人の異文化への挑戦(ガラパゴスからの脱出)

現在の国際化、情報化社会に在って、近年の日本社会の停滞、孤立、混乱が若者の閉塞感と無気力を生んではいないだろうか。20世紀の高度成長と平均寿命の伸びは、戦争直後の荒廃を思うと豊かで安全な国づくりは評価に値すると思う。しかし、低成長時代を迎えて、世界に類例をみない少子高齢化の進展、人口減とりわけ生産人口の中心である若者の減少は直面する課題である。更にこれら課題に対する対策と将来の国づくりへのビジョンの欠落と長きにわたる政治的混乱は現代日本の危機である。 


 一人の女性が生涯で産む子供の数(合計特殊出生率)が長く低迷(平成23年1.39)し、ゆとり教育世代が大学生となっている今日、少子化とゆとり教育で過保護に育ってきた若者のコミュニケーションとプレゼンテーション能力の欠如や自律と自立心の無さなどが目立つ。すなわち、人間力、学び力、社会力の脆弱さに他ならない。

 そのために大学においてはキャリア教育などが行われているが、なかなか目で見える効果的な成果を得るのは難しい。

 本学では国際交流のさまざまなプログラムが用意されている。15年の歴史をもつネパールとの交換研修生制度や学術交流協定、それに近年のコンソーシアムひょうご神戸のアメリカとネパールを対象とした国際交流プログラム、そして学科独自の海外研修もある。また、留学生やJICA研修生などとの交流もある。

 ガラパゴスの平和ボケの島国で過保護に育てられた若者には異文化体験が極めて大きなインパクトを与えるように思われる。例えば、わずか一週間のネパールにおけるホームステイや医療・教育施設での見学で、ホストファミリーとの涙の別れなど、正しくウルルン探訪記である。そしてその研修生仲間が学際を越えて強い絆で結ばれ、ホストファミリーとともに生涯にわたり大きな支えとなっている。

 ガラパゴス社会の中で敷かれたレールの上を仲良く皆で一緒に走る無競争、仲良しの無菌状態の教育が、若者の個性や創造力を養う貴重な時間を奪っているのではないか。

 本学で教え学ぶときわ人は、国際交流プログラムに積極的に参加して、異文化交流により生きる原点と学ぶ原点を知り、ガラパゴスから脱出しょうではありませんか。
                                                                                                              
                                                                                         口腔保健学科 小野一男