2010年12月20日月曜日

医者ともあろうものが

 古代ギリシアのヒポクラテスHippocrates(前460~375 年頃)は患者の病状を客観的に観察し経験を重んじ治療することでそれまで呪術の域を出なかった医術を科学のレベルに高めたことで「医学の祖」として崇められている。また、ヒポクラテスの弟子たちが後に書いたとされる全集が残されており、その中では医師の心得についての記述が見られ、特に彼の学派、ギルドに入会する人に誓わせたとする「誓詞(せいし)」は有名で、西洋の医師たちの倫理の教典として20世紀の半ばごろまで医学校の卒業式の際に卒業生がこの誓いを朗読していたという。私もまた学生時代に大学から渡されたものの中にこの誓詞があり、今も本棚のどこかにあるはずである。この誓いを要約すると次のようになる。

 1.患者の利益を第一とし、患者に危害を加えたり不正を働いたりしない。
 2.致死薬を投与したり、(死ぬための)助言もしたりしない。
 3.婦人に対し堕胎に加担しない。
 4.結石患者の手術は専門の業とする人に任せる。
 5.男と女、自由人と奴隷の区別なく診療し、患者に対して肉体的情欲を満たすようなことはしない。
 6.患者の秘密を守る.
 7.師に対しては両親と同様に、子弟とは兄弟同様に接する。

 この誓いは当時の医療状況の中で考えられたもので、今日では一部の内容は古くなり現代では通用しないという意見もあるが、守秘義務についてのことや堕胎・自殺幇助(ほうじょ)については現在の医師法にも通じるものがある。師に対しては両親と同様に、子弟とは兄弟同様に接するとあるのは私の好きな言葉で信条にもしている。またナイチンゲール誓詞にも通じるところがあって比較するのも楽しい(こちらは部屋の扉に貼っています)。  
 この誓いの他にも彼は医師の心得について色々なことを述べており、例えば「救護のあいだ患者は多くのことに気付くことがないようにする……これから起こる事態や現在ある状況は何一つ明かしてはならない」あるいは「素人には、いついかなる時も何事につけても決して決定権を与えてはならない」としている。ヒポクラテスの考えは病気のことについて色々説明すれば患者は心配するだけで、結局は専門家である医師に全てを任せるのが患者のためであり、その代わり任せられた医師は身を正し、患者のために尽くすべきであるとするわけで、この考えは西欧中世のキリスト教の愛の精神に取り込まれ西洋社会で広く受け入れられて来た。近年になると医学・医療が進歩・発展してきて、ヒポクラテスの誓いの内容も批判されるようになり、特に20 世紀後半になると患者の人権、自己決定権の尊重、そしてインフォームド・コンセントの重要性が主張されるようになり、従来医師が持っていたヒポクラテス流の倫理観はパターナリズム(親権主義)として批判されるようになり、医師も考えを変えなければならない状況になった。即ち医療についてのことは医師に任せるのではなく患者自身が決めるものであるとする考えが広く社会で認められるようになったわけである。しかし実際には(私を含めて)手術や治療などで重大な決断を迫られる時などでは多くの人が「先生に(全て)お任せします」と言うようである。「別の医師から「セカンド・オピニオン」を聞いてから決定しては如何ですか」と振っても大抵「先生に(全て)お任せします」となっているようで、まだまだ医療についてのことは医師に任せるのではなく患者自身が決めるものであるとするには時代が追いついていないのかも知れない。しかし、医療訴訟ともなると例え患者が「先生に(全て)お任せします」と言おうと言うまいと実際に訴訟が行われているのである。何ともやりにくい世の中ではある。












ヒポクラテスの像(東京大学医学図書館蔵)

参考文献
1)小川鼎三,緒方富雄編,大槻真一郎他訳:ヒポクラテス全集 第1巻、エンタプライズ(株)、東京、1985.

2010年12月13日月曜日

ルミナリエの光

今年のルミナリエは『光の心情-輝きの記憶を留めるために』がテーマでした。
期間中には343万人の人々が、
ルミナリエの光を鑑賞するために元町から三宮東遊園地まで歩きました。











神戸ルミナリエは阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂に意を込めると共に、
都市の復興・再生への希望を託し、
大震災の起こった1995年12月にはじめて開催され、
震災に打ちひしがれた神戸と人々に大きな感動と勇気・希望を与えました。
そして、今年が16回目です。











私は毎年出かけていますが、友人や子ども達を誘うと
「人混みがいや」「毎年おなじようなもの」と断られます。

人間は、忘れるから生きられるのかもしれません。
また、忘れられない思い出もあります。
時々思い出して、語り合ったり、泣いたり、笑ったりしたいものです。

神戸の街は復興し、日常生活ではややもすると忘れがちな「震災」です。
毎年見るルミナリエの光にも感動は薄れがちですが、
1995年12月の初めてのルミナリエの感動を思い起こしながら、
「震災を忘れない」と、自分の心に呼びかけていました。

2010年12月6日月曜日

忙しくて 忙しくて

忙しくて、忙しくて、
毎日が慌ただしく過ぎていく


父親の子育てと言いつつ
自分の子ども達とは関われない
因果な仕事

保育士をしていた時も同じように感じた
我が子が熱を出していた時
おたふく風邪でうなっていた時
他の人に子どもを預けて
自分は保育をしていた

自分の子どもの面倒も見れない人間が
人の子どもの世話などしていていいのだろうか?
目の前の子どもを大切に思うと同じ
それ以上に大切なものに愛情を注ぐ事ができないとは

そんなとき
優しさの連鎖という話しを聞いた
優しさは人に伝わるものらしい
自分の優しさが人に伝わりそしてまた自分に戻ってくる
「情けは人のためならず」の優しさ版

それを聞いて気が楽になった
目の前の子どもを大切にしよう
自分の子どものように大切にしよう
きっと自分の子どものそんな優しさの中で
愛情に包まれて
育つに違いない

優しさの連鎖をみんなに広げたい

2010年11月29日月曜日

皆さん、こんにちは。
私は、たくさんのことを皆さんにお伝えしたいので、
是非下記のホームページ
URL: http://kaigoyuzuriha.blog44.fc2.com/
をヒットして下さい。

最近の私の活動などが出ています。
きっと皆さんのご興味のあることも書いてあるかと思います。
是非ご覧下さい。

下記の写真は、フィンランド研修へ行った1コマです。
一度行きませんか?










フィンランドのベルマキにある総合運動施設です。
ここから、今ブームになっているノルディックウォーキングが生まれました。

柳本有二

2010年11月22日月曜日

看護師さんはスゴイ!!

本学保健科学部看護学科の精神看護学分野の教員は、
兵庫県内で精神医療の第一線で活躍されている看護師さんと一緒に、
互いに学び合い互いに高め合うことができるような学習会を発足しました。

名称は、「兵庫精神科看護実践研究会」

活動としては、精神科看護に特化した学習会です。
今年度は4回開催する計画を立て、既に2回終えました。

計画している4回のテーマは・・・
 第1回:心理教育
 第2回:看護研究Ⅰ
 第3回:看護研究Ⅱ
 第4回:事例検討








参加者数はなんと・・・
 第1回の研究会に、総勢67名!!
 第2回の研究会に、総勢20名!! 

この研究会は、土曜日か日曜日に開催しているのですが、猛暑の日でも雨降りの日でも多くの看護師さんに参加して頂いています!
看護師さんって、よく勉強されるでしょ?
だから、看護師さんの頑張りにはいつも頭が下がります!

私たち教員の目標は、この活動を「地味」に、「着実」に、継続していくことです。
このブログを読まれた看護師さん、看護学生さん、看護師を目指しておられる受験生の皆さん、
いつの日かこの研究会で一緒に学び合いましょう!

2010年11月15日月曜日

目指せ・・・芸術の秋!!

こんにちは。
食欲の秋・スポーツの秋・芸術の秋・学問の秋・・・
みなさんは、どのような日々をお過ごしですか?
今年の夏は、猛暑でとても大変でしたね。
みなさんは、お変わりなかったですか?


私のご主人様は、
世間で騒がれていた・・・脱水症を起こしていました。
その時のご主人様は意識が朦朧としていて、ずーっと眠っているばかり・・・
大好きなお魚も・美味しいお水も一切口にしなくて、このままひょっとして
天国に行っちゃうの・・・・?と心配しました。
先日、ご主人様はその時のことを「・・・全く覚えていないよ」と話していました。

《心配していた私?》


☆顔は、失礼します☆



脱水症は本当に怖いと・・・再認識しました。
近頃は、とても気持ちいい季節になりました。
心配していたご主人様は、食欲の秋! を楽しんでおられます。
なんか信じられないぐらい、太った??? -----→




《ご主人様?》



私は今、テーブル制作に勤しんでいます。
ギコギコ・トントン・バリッ・・・のこぎりと金槌、悪戦苦闘しています。
完成までには、もう少し・・・。                                

       
昨夜はとても澄み切った夜空に、三日月が出ていました。
満月までには、テーブルを仕上げて・・・
お月見をしながら、お団子・・・(やっぱり秋刀魚!)を一杯いただきたいと思っています。
またもや今年も、
行き着くところは・・・
食欲の秋!?

2010年11月8日月曜日

トンネル内のコンサート

湊川隋道をご存知ですか?
連日の猛暑にぐったりの8月のある日、
湊川隋道の一般公開とミニコンサートの情報を得たので出かけてみました。
するとどうでしょう! 
神戸のど真ん中にこんなに涼しい場所があるなんて…。


湊川は本学のある長田区のとなり、兵庫区に位置します。
湊川界隈といえば大きな商店街があり、新鮮な野菜や魚などが安く手に入ることで有名です。
また、商店街より少し西には会下山…
ここは楠木正成が足利軍との決戦の場所として知られている小高い丘ですが、
春は桜でとてもきれいなところです。


湊川とはその地を流れる川の名前ですが、
その昔、湊川は石井川や天王谷川の合流点付近から現在の湊川公園を経て、
新開地方面へと流れていたそうです。
しかし、天井側で堤防が高いために東西の交通が不便であること、
神戸港に土砂が流れ込むこと、
幾度もの洪水被害に遭ったことなどの理由で、
流路の変更が行われました。


現在の新湊川に至るまでに何度も工事が行われていますが、
兵庫区会下山をくり抜く、わが国初の河川トンネルとして、
1901年(明治34年)8月に湊川隋道(会下山トンネル)が完成しました。
2000年(平成12年)に新湊川トンネルができたことで、
湊川隋道は役割を終えましたが、その後も貴重な土木遺産として保存されています。













入り口からなだらかな坂を下るようにトンネルの内部に入ると、
アーチ型に組まれたレンガ造りの広い空間で、
外の暑さがうそのようにひんやり・しっとりとした空気が感じられます。
周囲の壁からは地下水が滲み出て、水滴が落ちてくることも…。
薄暗い明かりのもと、トンネルを進むと30脚ほどのパイプいすと小さな舞台がありました。
その日のコンサートは中・高の同級生で結成したという「まるしん」というバンドで、
アラ50には心地よいニューミュージックのカバー曲を演奏してくれました。
トンネルの中に響く歌声とギターの音。とても幻想的な体験でした。


一般公開・ミニコンサートは無料で、湊川隋道保存友の会が主催しておられます。

2010年11月1日月曜日

読書の秋によせて

夏の猛暑も去り、ようやく秋の兆しが感じられるようになりました。
秋といえば「スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋」など言われますが。
今回は「読書の秋」について述べたいと思います。


「読書の秋」で思い出すのが「読書週間」。
新聞・雑誌広告などでお目にかかったことがあるのではないでしょうか。
「今年も読書週間は○月○日から○月○日まで・・」など。


この読書週間についての歴史をひもとくと、始まりは終戦間もない昭和22年からでした。
当時まだ戦火の傷跡がいたるところに残っている中、
「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、
出版社・取次会社・書店と公的図書館、そして新聞・放送マスコミ機関も加わって、
11月17日から、第1回『読書週間』が開催されたようです。


その反響は素晴らしく、
翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心とした2週間)と定められ、
全国に拡がっていきました。
そしてこの『読書週間』は、日本の国民行事として定着し、
日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。


昨今、電子メディアの発達(インターネット、電子書籍など)、「本」離れも始まり、
情報伝達の方法が変わりつつあります。
しかしながら私たちは、その流れを受けつつもまだまだ「本」とは縁を切れないのが現状です。

ちなみに今年の『読書週間』の標語は「気がつけば、もう降りる駅」だそうです(上記ポスター参照)。




通勤・通学途中の状況が目に浮かびますね。
読書の秋、通勤電車の中、専門書ばかりではなく他の本で脳の一休みをしてみませんか。
(このように薦めながら、やっぱり私は「食欲の秋」かな?!)

2010年10月28日木曜日

長田地区消火技術会に参加しました。

さる10月14日、西代蓮池公園で
長田地区自衛消防隊連絡協議会主催の
消火技術会に参加しました。










この技術会には20年以上の歴史があり、
一般の事業所等がオープン参加をするようになってから
5年目だそうですが、神戸常盤大学としては今回が
初めてのエントリーでした。











内容については、 長田区の約30の事業所が参加し、
消火器やホースを使った競技種目を競いましたが、
みなさん真剣に競技に取り組む姿勢がとても印象的で、
大きな震災の経験が今にいきているということを
再認識することができました。


競技終了後は、小型動力ポンプの模範演技があったり
鼓笛隊によるパフォーマンスが催されたりと、
和気あいあいとした雰囲気の中にも日ごろからの
防火意識を深めるためにはとてもよいイベントでした。










来年以降は教職員共々、学生さんも参加できるような
流れになっていけばとてもいい機会になると思います。

2010年10月18日月曜日

三角点

 秋晴れの週末、仕事を少々片付けるために大学に来ました。時間があったので久しぶりに学内の遊歩道を歩いてみました。1号館と4号館の間、テニスコート横の階段を登って細い道を北に進むと高さが20cmほどの小さな四角い石柱があります。側面には「国地院」と刻んであります。形は四角いけれどこれは三角点です。三角点は「三角測量」のときの基準になる点で国土地理院が管理・設置しているそうです。三角点には一等から四等までありますが、国土地理院の2万5千分の1の地形図には△の中に・のマークで全ての三角点が表示されているとのこと。本学の三角点は四等ですが、もちろんちゃんと地形図に載っています。地形図で見るとこの三角点があるところは細長い尾根上の小さなピークで、標高76.8mと記されています。



 三角点のあるピークを過ぎて少し下ると、北側の展望が開け高取山の全容を見ることができます。長田区のどこからでも望める「独立峰」の高取山、見晴らしが良いところに設置されることが多い三角点が当然ありそうなものです。でもWebで閲覧できる国土地理院の「ウォッちず」の地形図には△に・のマークは見あたりません。本当にないの?・・・確かめるべく高取山に登ってみました。山頂にはありませんでしたが、西側の少し低いピークにある見晴らし抜群の広場にありました。ピークに登る階段の下には「階段の上に三角点あり」、階段を上ると「三角点すぐそこ」と懇切丁寧な案内の看板。さらに三角点の横にはその経度、緯度、標高などが記された立派な説明のパネルまで。現地ではこんなに三角点!三角点!と主張しているのに、地形図上にマークがないのはどういう訳?あとで確かめたら、刊行されている地形図にはちゃんとマークがついていました。やれやれ・・・・。




 高取山へは大学の西門を出てそのまま道なりに北に登るだけ、頂上には高取神社があってこの道はもともとこの神社への参道だったそうです。確かに以前は大学の西門から少し下った三叉路に、とても大きな石の鳥居と灯籠がありました。1995年の阪神・淡路大震災で鳥居はその形のまま南向きに倒れ、石灯籠も上部が落ちてしまいました。山頂までの山道は舗装された緩やかな階段で、登りは大学から30~40分程度、往復しても1時間と少しです。もみじや桜の木も多く、春はお花見、初夏は新緑、秋が深まった頃には紅葉が楽しめそうです。2限目か3限目が空いているときにお弁当を持って行って、景色を眺めながらのランチタイムというのも良いかもしれませんね。


 そうそう、三角点を破損すると測量法の規定によって2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるそうですよ。学内の三角点も大切に。

2010年10月11日月曜日

飛行機

 子供の頃から飛行機は好きでした。まず紙飛行機、といっても折紙飛行機、次いで、竹ひごと紙と細い木とで作る小さなグライダーやゴム動力機になり、これが次第に大きくなって翼幅1mほどの角胴のグライダーやゴム動力機になって行きました。その後、ラジコン機も手がけましたがエンジン音が凄まじく、周囲に迷惑をかけるとのことで止めさせられました。ラジコン機の経験は浅く、うまく飛ばなかったのを覚えています。

 この間に、私にとっては衝撃的なことが起こりました。プラスチックモデル(プラモデル、プラモ)の出現です。それまではソリッドモデルと称して、木を削って「飛ばない模型飛行機」を作っていました。胴体断面図や翼断面図を参考に、飛行機の形を削りだして行くのです。時間のかかる細かな作業でした。そこにプラスチックが出現したのです。私が最初に手にしたのはジープのプラモデルでした。先輩から、息子のためにアメリカ土産として持ち帰ったけれども息子が幼いので作ってやってくれと、依頼されたのです。飛行機ではありませんでしたが、ジープはあっという間に組み立てられました。車体は、あの、ジープ独特の色のプラスチックで予めつくられているので、接着と差し込みを繰り返して行くだけでかなりの細部まで再現されたジープが出現しました。これが衝撃だったのです。ソリッドモデルはソリッドモデルで、味のある面白いものでしたが、模型の精度が全く違います。それ以来、プラモデル作りが続いています。対象は、勿論、飛行機ですが、制作機数は多くありません。自動車のプラモデルには全く興味はなく、カー・レーシングやラジコンカーもやりませんでした。飛行機のプラモデルでも、細かい時代考証に基づく塗装だの、だれそれの搭乗機の塗装だのといったことには全く興味は無く、コクピット内の計器盤などを細かく再現することにも興味はありません。プラモデルに爆弾をぶら下げて兵装を再現するなどということもしません。興味があるのは、機体のスタイル、空力的魅力です。

 ライト兄弟が、人類最初の動力機飛行に成功した1903年から100年を超える歳月が流れました。この間の飛行機の発達は本当に素晴らしいものです。飛行機の発達は、エンジンの発達、使用場所に応じた材料の進歩、などのハードとともに、空力というソフトの進歩によるところもありました。そのようなことを思いながら、作り上げてた機体の中から適当なのを選び、前から後ろから、右から左から、あるいは上から下から、飽きることなく眺めています(と云いたいところですが、なかなかゆっくりできないのが現状です)。

 なお、数年前から電動ヘリコプターを飛ばしています。非常に良くできていて面白いのですが、意外に大きな音が出るので困っています。


写真のプラモデル・キットは、朝日新聞社「神風号」です。昭和12年、亜欧連絡飛行(立川-ロンドン)に使用され、当時としては画期的な94時間17分56秒(実飛行時間51時間余)でこれを成し遂げました。もとはといえばこの機体は、三菱が当時の日本陸軍の指示を受けて製作した高速偵察機の試作第2号機です。

2010年10月7日木曜日

夏休みを振り返り、後期に思うこと

暑い暑いと言いながら、何をするでもなく終わってしまった夏期休業期間。里帰りしてきた孫と遊んでいる内に8月も半ばを過ぎてしまい、減量目標であったはずの職員検診も昨年並に終わってしまい、まとめるはずの論文も殆ど手つかずのまま、という不甲斐なさ。そんな中で、唯一、大きな刺激を受けることができたのが国際免疫学会。8月23日から27日まで神戸ポートピアホテルで開かれた。朝のポートライナーのラッシュに驚き、ランチの交換券が早々となくなってしまうのに呆れ、初日のシンポジウムがさっぱり理解できないのに愕然とし、ワークショップの質問の行列に若かりし日に免疫学会で発表したときの恐怖を懐かしく思い出し、晩ご飯の一時を昔の恩師や仲間達と楽しみ、最終日のMaster Lectureに感動し、「もっともっと勉強しなければ!」との思いを強く持ったのですが・・・
後期が始まり、待ったなしの仕事を一夜漬けでこなす日々の中で、国際免疫学会で感じた免疫学の新たな発展の予感を、血液学の分野に持ち込んで何かおもしろいことがやれないかな~、と、ついつい思索(妄想)にふけり、勉強は手つかずのまま・・・やはり不甲斐ない私でした。

2010年9月27日月曜日

時々思うこと・・・

パソコンが私たちの生活の中に登場してから、何年たつだろう。
子どものころ、「コンピューター」といえば、
ピカピカの大きな部屋に大きな大きな機械があって、
長い紙がウネウネと吐き出される、
といった映像がイメージとしてあった。
まさか、自分たちの日常の生活にこれほど浸透してくるとは思わなかった。

私個人に関していえば、以前の勤務先で1人1台与えられていたデスクトップパソコンが最初の出会いである。
しばらくして自宅用にもデスクトップを購入することになった。
インターネットは、子どもの頃に百科事典のページを繰った時と同じようなわくわく感を味わわせてくれた。
ひとつ検索すれば、また知りたいことが出てくる、これは何?あれは何?この言葉を調べてみよう…とキリがない。

自宅では、よくネットショッピングをする。
お中元・お歳暮やお祝いも、全てネットで手配する。
某巨大サイトでよく本を買うのだが、午前中に注文すると、
ほぼ翌日の午後には配達されることもあってとても重宝している。
また、チケットやホテルの予約をするときには、
価格を比べて安い所を探したり、口コミで評判の良い所を探したりするのが結構楽しい。
旅程を決める際にも、これまでだとガイドブックだけが頼りだったのが、
ネット情報を併用するので穴場情報(地元の人に評判のよい場所など)が得られて、これもまた楽しい。

しかし、こんなに便利で本当にいいのだろうかと時々思う。
こういった便利さの陰に、もしかしたら私の知らない誰かの身に、
過重労働や、過積載や、何か無理なことが生じているのではないだろうか。
便利さ、スピード、快適さを1人1人が追求するあまりに、
何かに、あるいは誰かにしわ寄せがいってしまって、
事故を誘発してしまうこともあるのではないかしら、と思うのである。

なぜこんなことを考えるのかというと、
子どもの頃に読んだアーシュラ・K・ル=グウィンの小説「ゲド戦記」が記憶に残っているからである。
はっきりと憶えているのではないのだが、そこに「世界の均衡」ということばがあったように思う。
「東の海域に雨を降らせれば、西のどこかで干ばつが起きるかもしれない、だから、魔法は慎重に使わなければならない」といった意味合いのことだった。

インターネットはある意味「現代版の魔法」である。
世界がつながっているのは素晴らしいことだし、便利さはとてもうれしい。
しかし、私という個人が「早く本を届けてほしい」と思うことが、
私の知らない世界に何か歪(ひずみ)を生み出しているのであれば、
あまり便利さや快適さを追求しない方がいいのではないかと、思ってしまうのである。
といいつつ、明日当たり届く予定の荷物を心待ちにしている私がいる・・・。

2010年9月20日月曜日

暑い、熱い夏

とうとう夏休みも終わりですね。
今年の夏は、とびきり暑く、その上長い期間でした。
この夏は、気候だけでなく息子たちも暑い(熱い)青春の日々を過ごしていました。
この暑さの中、ラグビー漬け❢❢
関西の頂点を目指すため、毎週末の練習と日々の自主練習。
日々の食事や睡眠もこの期間はラグビーのための身体作り。
様々なラグビースクールから選ばれた選手たちは、お互い昨日までの敵。
その敵同士が1つのチームを作り、最高の仲間になり、切磋琢磨して、自分たちの最大限の力をぶつけるために暑い日々を過ごしていました。
自分に厳しく、仲間に厳しく、周りで見ていると声もかけられないほどの迫力です。
これから始まる感動と充実感のために、どこまでも自分たちを鍛えます。












結果は残念でしたが、最高な夏でした。
その満足度は、息子の成長を見ていて感じます。(親バカです(^_-)-☆

次には秋の県大会。仲間が分かれてこれからはライバル❢
まだまだ続くラグビー漬け……受験生のはずなのに…(>_<) みなさんは、青春を熱く、過ごしていますか?
必死になって自分をぶつけることができる何かを持っていますか?
大学生といっても、まだまだ青春❢❢古臭い言葉かもしれませんね。
「一生懸命」することは、しんどくてめんどうくさいことかもしれません。
結果が必ずしも良いとは限りません。
しかし、勝っても負けても、成功しても失敗しても、「一生懸命」に過ごした時間と心は、必ず報われます。
何もしなければ、何も得られません。
手を抜けば、それだけの満足しか得られないものです。
今、大学生であるこの期間だからこそできる「一生懸命」を何かしてみませんか?

2010年9月13日月曜日

野宿の人々への支援フィールドワーク

8月26日と27日
猛暑の名古屋での野宿の人々の支援フィールドワークに参加しました。
看護職ボランティアやキリスト教系のNPOにお話を伺いました。


高速道路下の公園ゲートボール場、夜は、炊き出し会場となります。
市民が行き交っている生活道路のすぐ傍らで、散髪や生活相談などの支援活動が行われています。






8月26日は、南山大学のボランティアが炊き出しを担当し293人が利用されました。











健康相談は、ここでしています。
ここに来れば、なじみの人がいるという居場所づくりを兼ねた看護職のボランティア活動です。







自由に血圧や体重等を測るコーナーの横で、当事者のお話をゆったりと聴かせていただきました。











ささしま共生会「野の花」
6月に始ったばかりのデイケア施設です。








住宅街の一軒家で、入浴、シャワー、洗濯などを野宿の人々に提供し、憩いの場となっています。














「からし種の家」

知的障がいの特性を考慮に入れたシェアハウスです。







「ただいま」と帰れる人間関係の基地です。10歳代と50歳代の2人の住人にお部屋を案内していただきました。











「若宮大通公園」は、都会の真ん中、100メートル道路として知られています。

若宮大通の真ん中にある東西に長い公園で、名古屋高速2号東山線の高架橋に覆われ、高速道路下に、野宿の人々の生活根拠であるブルーシート小屋が点在しています。

高架橋下の部分に柵(トラ柵と呼ばれているらしい)を上手く利用して、衣類が干されていました。

2010年9月6日月曜日

東尋坊の夕日に思うこと

 8月27日に福井大学医学部の附属病院で開かれた放射線被爆医療のプログラムに参加しました。これは、日本災害看護学会のプレ企画による講演と演習で、日頃、イメージしにくい放射線被爆医療の現場に触れました。養生訓練と呼ばれた演習では、まず被爆者を運び込む部屋が汚染されないようにシートを床に敷き詰め、壁にも貼っていくところを見学しました。養生シートは意外と薄くて、こんなに薄くても効果があるということを知りました。


 次に、参加者の中から、看護師役が選ばれ、放射線の影響を受けないような服装を整えて行きました。オペ着の裾や袖口等を養生テープでぐるぐる巻きにして、放射線が全く入り込む余地が無いようにしていきます。もちろん、空いている背中も隙間が無いように養生テープが貼られていきます。顔にはゴーグルとマスク、頭には帽子を被ります。この時点で、もはや誰が誰だか分からなくなってしまいました。そのため、体の前後に名前を大きくマジックで書き、個人が識別できるようにしました。見るからに暑そうです。実際に看護師役になった人に話を聞くと、実はこの部屋、震える程にクーラーが効いていたのですが、完全なサウナ状態だったと言います。


 準備ができると「被爆した可能性のある患者」という設定の模擬患者さんが運び込まれて来ました。運び込まれる患者も養生シートで覆われていました。そこで、サーベイメーターという放射線の測定器具を用いて、放射線の測定を行うのです。もちろん、模擬患者さんですから、放射線に被爆してはいません。その代わりに、自然界にあり人体に影響がない程度の放射線を出している岩石を使って、サーベイメーターの変化を実地に体験しました。そして、汚染している部位が分かれば、その部位を洗い、改めてサーベイメーターで放射線を測定します。この過程を「除染(じょせん)」と呼び、これが済んで初めて一般の救急室へ搬送されます。


 座学で基礎的な知識を学んだ後の1時間半程度の演習でしたが、放射線が目に見えないものだけに念には念を入れて養生し、除染するたいへんさに圧倒されました。除染が済んでも、看護師役が着ていたオペ着なども放射性廃棄物として扱われます。安全を守るということが如何に多くの手順を踏みながら行われるかということを知りました。


 プレ企画に参加した帰りに、学会の事務局のみなさんのご配慮で、東尋坊に立ち寄りました。グッドタイミングで東尋坊から夕日をみることができました。その美しさにこころが洗われる思いがしました。海から吹き上げてくる風の心地よさを感じながら、安全を守ることの難しさと重要性を再認識したひとときでした。

2010年8月30日月曜日

我が家の猫


 我が家の猫「チイ」が来てから早や8年経過、人間の年齢でいえば48〜52歳である。
この頃では、居心地のいい場所で1日寝ていることが多くなった。何も芸もないが、姿が見えなくなると心配になる。私が食事をしていると、決まって横に座って私を見ている。私が家に帰ってくる自転車の音を聞きつけて、一目散に玄関に走りだし、ゴロゴロ言いながらすり寄ってくる。
外に行きたい時や、お腹が空いた時は、それぞれ違った独特の鳴き声で意思を表示する。愛くるしい猫チイの存在は、今年より娘が独立して夫婦二人の生活が始まり、更にその存在が大きくなっている。猫が我が家に来るまでは犬派だったのに・・・・・・

















我が家の猫「チイ」

2010年8月23日月曜日

超音波で見る食べ物はどんな形?



みなさん、超音波検査を受けられたことがありますか?
健康診断等で、「肝臓に脂肪が貯まっていますよ」と言われて、
ドキッ!
日頃の運動不足と食生活に反省することもありますよね。

では、超音波とは何でしょうか?
それは人には聞こえない音なのです。(周波数が2.5MHz~20MHzの音です)
音なので物に当たると跳ね返って来ます。
機械から音を出して、その跳ね返った音を解析して、画像を作ります。
そしてそれらの画像を見ていろいろと診断します。

これは、蓮根を寒天に埋めて、
寒天の上から超音波を当ててみました。
どうですか?
どう見ても蓮根でしょう。
蓮根の穴までしっかり分かりますね。











次に蛸の足を水槽に入れて水槽の表面から超音波を当ててみました。
蛸の吸盤がはっきり見えますね。
















人の身体の中もよく見えますよ。
オープンキャンパス、大学祭で見られるかもしれません。
大学に来てみて下さいね。

2010年8月16日月曜日

オートバイの楽しみ方

 昨秋に以前から欲しいと思っていたカワサキW650というオートバイを買った。1999年の発売以降いずれ新車でと思っていたが2008年を最後に排気ガス規制をクリアできないとのことで製造中止になってしまった。こうなると中古でもよいかと思い、垂水区のバイク屋に出物があったので買うことにした。家には、ヤマハSR500(1988年式)、スズキサベージ650(1987年式)通勤用スクーターのホンダリード110(2008年式)、そしてカワサキW650(2002年式)と日本の4メーカーのバイクが揃うことになった。結局、スクーター以外はすべて中古である。中古のいいところは年々厳しくなる排気ガス規制や騒音規制が製造時の規制をクリアしていればよいので、新たな規制に伴う馬力低下を免れることである。また中古の方が遠慮なくいじり回せる気軽さもある。








 



 オートバイの面白さは機械というハードをいじる楽しみと、旅というソフト面を楽しむ二面性がある。これはオーディオもしかりで自分でアンプを組み立てる楽しみと、音楽を聴く楽しみがある。写真のアンプは製作時に600Vで感電し半田ごてを持った腕がはじき飛ばされるという体験をしたアンプだがその分愛着がある。真空管アンプは回路が単純で真空管という素材自体が完成度が高いので、NFB(Negative Feed Back・負帰還)を多くかけなくてもよく、球を割らない限り故障もなく飽きが来ないのが魅力である。

 W650で5月の連休に京都の専門学校で教員をしている友達と福知山で待ち合わせ、但馬海岸の香住まで約100kmを一気に走り「かに市場」で昼食をとる。さすがに日本海だけあり魚が新鮮で旨い。帰りは日本海を左手に見ながら城崎まで走り、混雑する豊岡を避けて久美浜~但東~福知山までハイスピードで走り抜けた。福知山で別れて国道175へハンドルを切る。

 18歳で免許をとり原付バイクばかり乗っていた。当時はヘルメット着用義務がなく開放感があったが、ある時期から安全上50ccにもヘルメット着用が義務化された。それならいっそのこと自動二輪免許をと思い免許を取ったという単純な動機であった。当時は教習所でとれる免許は中型限定で大型までは考えていなかった。

 ホンダVT250Zを購入しあちこちと走っているうちに、もう少しパワーがほしく思い、ホンダVF400Fというバイクを中古で買い、残雪の大山へ出かけたりと次第にバイクの気儘な旅が面白くなってきた。









   
    夏の諸寄





 しかし、中型では長距離のツーリングや高速道路を使うときに限界を感じてきた。そこで明石の川崎重工のテストコースでの練習会や、運転免許試験場で白バイ隊員が指導する練習会などに何回も通い1年後には「中型限定」を解除し自動二輪(限定無し)になった。数年前までは自動二輪免許は一本でどんな排気量でも運転できる限定がないもの。条件として小型や中型に限る「小型限定」「中型限定」などがあった。「眼鏡」も同じく条件である。だから、中型限定で大型に乗っても無免許運転とはならず「条件違反」になっていたので反則金も僅かであった。ところが数年前の改正で二輪免許が小型、中型、大型と分かれてからは無免許運転になる。この限定解除という実技試験が結構難しく5~6回受けないと合格しないといわれていたが、練習の甲斐あり3回目で合格することができたので、即刻試験場近くのバイク屋をのぞくと新古車(売れ残り)のホンダVF750Fが半値であったので手を打つ。その後、ホンダCBR750、カワサキGPZ600Rのスポーツバイク遍歴を経て現在の4台に至っている。

 先日も高速自動車国道の無料化社会実験中の舞鶴若狭自動車道をW650で走ったが、時間効率の良さはともかく楽しさは一般道に比べあまり感じない。
どうやら効率や合理性のなかに楽しさや面白さを求めるのは無理のようだ。二輪車は雨や暑さ寒さを防ぐ手だてもない非効率な乗り物だが、その不条理さの中に楽しさと開放感がある。
                                      医療検査学科 酒井健雄

2010年8月9日月曜日

ネパールでの出来事
















その1 
ネパールはインフラの整備が不十分でホテルにいても停電が度々起こったり、シャワーのお湯が出なかったりします。停電の時はろうそくの火で食事をしたり、お湯がない時は水のシャワーを浴びたり・・・と、とても大変です。日本で生活をしていると当たり前のことですが、いざ電気やお湯がないととても不自由に感じ、日本では当たり前の生活に感謝します。私は夕刻のネパールの街並みが好きで夕方になるとよくホテルの屋上から町並みを眺めています。裸電球の薄い暗い街並みの中、急いで家路に帰る人々の波はとても活気にあふれています。















その2
ある日、カトマンズ市内で迷子になりウロウロとしていると女の子が声をかけてきました。私が落し物をしたみたいでそれを拾ってくれていました。親切な人だと思いながら私は片言のネパール語と英語で迷子になっていることを告げホテルまでの帰り方を聞こうとすると、なぜか、笑って「休憩していきさいよ」と彼女が経営する小さな衣服店に連れて行かれました。そこで言われるまま座っているとジューズが出てきて、色々な事を聞かれました。残念な事に彼女はネパール語しか話せずほとんど会話の内容が分からなかったのですが、彼女が今、仕事で頑張っていること、日本が大好きなこと、などを話してくれました。その後、帰りの方を教えてもらい無事ホテルまでつきました。迷子になったことが楽しい思い出となりました。

















その3
ネパールでは長年調査研究を行っていますがいつも日本では考えられないようなハプニングが起こります。凄い渋滞で移動できなかったり、スコールによる川の氾濫や土砂崩れで道を阻まれたり、道路がなく半日ほど山を登り調査地に行かなければならなかったり、停電で機械が動かせなかったり・・・と日本で仕事しているより数百倍疲れます。このような日々を過ごしているので帰国の際にはやっと家に帰れるという気持ちになりますが一方でどこか寂しい気持ちになり、また「ネパールに来よう」と思わせるどこか不思議な国です。




2010年8月2日月曜日

アメリカから来神

 平成22年5月に神戸で開催された医学検査学会で、アメリカの臨床検査資格発行している最大機関の代表者が来日されました。学会での講演は2つ、1つはアメリカの臨床検査技師資格が日本からも受験出来る用になった事の概略で、 私が日本側の代表となっており、日本語と英語のジョイントセッション。もう1つは最新の分子病理学について話して頂けました。
 
 難しい話はさておき、アメリカからの皆さんは今回が初めての日本。短時間の滞在期間中に何をしたい?と来日前に聞くと「 神戸で神戸ビーフを食べたい!」とのこと。実は神戸ビーフってアメリカでも有名で 、高級食材店へ行くと貴重品のように売っていますし、ステーキハウスでも別メニューとしている店もあるくらい(お高い)です。


 さて、その神戸ビーフを口にした途端、一同シーンと静まりその後" Awesome!" とか " Great!"とか賞賛の嵐 。あまりに柔らかくジューシーで驚いたのでした。神戸に住み始めて1年ちょっとの私も実は初めて口にしましたが、アメリカの大きいけど大雑把なステーキに慣れていただけに、これぞ日本!って感じで美味しかったです。

 医学検査学会のパーティーではマグロの解体ショーが!日本刀のような長い包丁を手に、あっという間にさばかれていく様子を私も初めてみましたが、アメリカからの二人も驚きの様子で、最前列まで歩み寄り写真を沢山撮っていました。そして、さばきたての新鮮なトロを口にした途端、ここでも絶句。アジア地区ミーティングもあり多忙で短期間の滞在でしたが、神戸で美味しい思いと珍しい光景を目にし、今度はもっとゆっくり滞在したいとシカゴへ戻ってゆきました。

 シカゴに戻ってからメールが届き、多忙で見逃した六甲山からの夜景を次回の楽しみにし、Japanese Beerで乾杯しようとの事でした。無事に帰国され、ホントよかったです。

2010年7月19日月曜日

学会での出来事

去る5月末に、3年ぶりに日本産業衛生学会に参加した。
日本産業衛生学会は、産業保健に関連することが全て範疇に入るので、研究内容も多岐にわたる。
参加者も医師を中心に、看護・心理系・歯科系・理学療法系などのコ・メディカルや学術研究者が集結する大きな学会だ。
授業の合間を縫って、関係者との打ち合わせも兼ねて1日だけ参加した(領域の先生方ご理解ありがとうございました)。
前日遅くに福井に到着して前泊。
翌日は朝から学会特有の高揚した雰囲気の中で、旧知の人たちと話ができた(これもまた学会の楽しみ)。


打ち合わせを兼ねて同席した産業医と一緒に、
60歳以後の定年退職後の労働について考えるシンポジウムに参加した。
定年退職後の再雇用をしている企業の取り組みや、
高齢者の体力や運動能力に関する第一線の研究者の発表は、
コホート研究やエビデンスを基にした大変立派な発表内容で、
当初は参加予定にしていなかったが、介護予防に携わっていることもあって、興味深いテーマだった。
しかしどの発表にも高齢者の生活実態が見えてこないことに違和感を感じていた。
例えば、高齢者の活動を男女で比較し、
女性は生活行動(家庭内の活動)が多く、男性は運動行動(外で長く早く歩く)が多いため、
下肢の筋力に差がでて、女性は転倒しやすくなると。
高齢者の生活を知っている者からすれば当たり前のことだが、
加速度計を用いて活動量をMetz換算し統計処理をしてデータで示されると、なるほどと納得。
でも介護予防に参加する女性の高齢者が外を長く早く歩けないのは、
膝痛や骨粗鬆症による腰痛、外反母趾など身体的な要因があることを調べたことがあるため、
そのことを質問するとそういった要因は解析していないとのこと。
老齢期の特性から、歩かないのか・歩けないのかを分析することが大事だと思うのだけど。

ある演者は、外国のデータから働くことが生きがいとなり、
健康維持のために働きたいという高齢者が増えているという内容を示していた。
確かに働くことが生きがいとなることは否定しないけれど、
日本の高齢者が働きたいのは、生活のためであり生きるためでは?
悠々自適の生活を送っている高齢者は極少数で、
わずかな年金で爪に灯をともすような生活をしている高齢者の方が多いだろう。

するとシンポジウムの終了間際、みるからに高齢だとわかる男性が手を挙げ、
「私は86歳の高齢者であり、皆さんの研究対象の一人として一言発言したい」と静かに語りだした。
現在の高齢者の生活格差の大きさを例に挙げ、
エビデンスの活用も大事だが、今後このテーマに取り組むのであれば、
まずは日本の高齢者の実態を把握して、
その実態に対応した取り組みを考えていくことが必要ではないかと実に説得力ある言葉で語ったのだった。
シンポジウムの時間はオーバーしていたが、
会場の参加者も発表した研究者も、その言葉の重みを感じていたようだった。
そしてその男性の発言が終わると、大きな拍手が寄せられた。
最後に心地よいシンポジウムになった瞬間だった。

2010年7月12日月曜日

神戸と六甲の山々~ハイキング・登山の勧め~

神戸は今年、阪神淡路大震災15周年を迎えました。
大きく様変わりした街もあれば、昔ながらの住宅が軒を並べる地域もあります。
明治維新以来、日本を代表する国際港湾都市として発展してきた神戸ですが、
今年の大河ドラマの主役・坂本龍馬とも所縁が深く、
現在の阪神高速京橋インター近くには海軍操練所がありました。
市街からはすぐ後ろの六甲山地を眺めることができます。
昔から「山が見えたら北、海が見えたら南」と教えられてきましたが、
今でも元町のデパートの掲示にその名残がうかがえます。
神戸のように、街からすぐに山に入れる都会は世界的にも珍しく、
その山上には道路も通じており、他の地域から来たハイカーは驚かれます。
明治7年(1874年)に3人の外国人が六甲山地を登ったのが近代登山の発祥とされるほど、
神戸と登山は縁が深いと言えます。


ご存じの方が多いかと思いますが、
本学の広場からも六甲山地の一角を占める、高取山を眺めることができます。
毎日、学生さんを汗いっぱいにする「常盤坂」も、
実は高取山頂にある高取神社への参道であると同時に、主要な登山道でもあります。
高取神社は高取山一帯を神域とし、
神功皇后が武甕槌尊(たけみかづちのみこと)をお祀りしたのが始まりだと言われています。
地元では「たかとりさん」と呼ばれ、毎日登山の人々を多くみかけますが、
その名前の由来が興味深いです。
なんでも昔、この辺りを襲った大洪水で山が水没した際、
山上の松に絡んだ蛸を捕獲したことから「蛸取り山」と呼ばれたという話や、
江戸時代までは「神撫山」と言われていた話があります。
神功皇后が休憩した時に石を撫でたところ、急に大岩になり、
ついには山になったことから「神撫山」と名付けられたといいます。
鷹の巣が多く、鷹狩りもされていたが、
麓住民への年貢の厳しさから「鷹」を「高」に変えたという話も残っているようです。
高取山は、“単独行”で有名な登山家、加藤文太郎が愛した山でもあります。
新田次郎の小説『孤高の人』(新潮文庫)のモデルでもあり、
最近では原作をもとに漫画化され、40万部の大ヒットだそうです。
実は、その加藤の下宿が今の常盤女子高近くの「池田上町」、
結婚後の新居が長田神社に近い「池田広町」にあったといいますから、
とても親近感がわきます。その加藤が『孤高の人』の中で、山に登る理由を語る場面があります。
「なぜ山に登るのか」という問いに対して、
登山家ジョージ・マロリーの「そこに山があるから」という返答は有名です。
これは『孤高の人』のテーマでもあるのですが、
加藤はただ「汗をかくために登る」と答えています。
この加藤の単純明快な回答をどのように感じますか?


今、世間ではアウトドアブーム、登山ブームと呼ばれ、
多くの若者が富士山や屋久島に向かいます。
六甲の山々でも中高年の方々に混じり、多くの若い「女子」の姿が見られます。
いわゆる「山ガール」と呼ばれる方々で、
女性雑誌でも特集が組まれるほどです。
ダイエット目的の人もいるかもしれませんが、
多くの方々はただ単純に山に登ることで普段の生活では味わえない何かを感じているのではないでしょうか。山の空気に触れ、花や鳥などの自然の姿を都会のすぐ後ろで味わえるのは大きな喜びです。
また、山では見知らぬ人同士が自然に
「こんにちは!」「おはようございます」
と挨拶を交わす姿が見られます。
車からゴミを投げ捨てたりする人もいる中、
多くのハイカーは自分のゴミはきちんと持ち帰っています。
そんな当たり前ですが、マナーある“普通の”人間としての姿を見ることもできます。
いろいろと楽しいことが多い世の中ですが、
せっかく神戸で生活しているので街のすぐ後ろに山があるメリットを活用してみたいと思います。
本学の「女子」にも是非とも六甲の山々に触れて欲しいと思います。
まずは、本学のお膝元、高取山からチャレンジしてみるのもいいでしょう。
心地よい疲れを感じると同時に、爽やかで新鮮なものを感じることができることと思います。
加藤文太郎のように、難しいことは考えず、
ただただ純粋に汗を流し、山歩きを楽しんでみたいと思っています。

看護学科
福田和明

2010年7月5日月曜日

「おやつ@インドネシア」

「おやつ」と聞くと、幸せな気持ちになりますね。
今の世の中、メタボだのダイエットだの、騒々しいですが、
私はおいしいものをしっかりといただく生活をモットーとしています。
三度の食事は人生の基本、3時のおやつは人生の楽しみのひとつです。
おいしいお茶やスイーツは心身の疲れを癒し、気持ちを豊かにしてくれます。


昨年末、インドネシアのジャワ島に行ってきました。
そこでいただいたおやつが素晴らしかったので、
魅惑のインドネシアンスイーツをご紹介します。


インドネシアのお菓子は、イモ類のでんぷんを材料とするものが多く、
素朴でやさしい味がします。
写真には飲茶でおなじみのゴマ団子やエッグタルトもありますが、
インドネシアは多民族国家なので、
様々な文化の香りがするお菓子が並びます。
おやつと共にいただくお茶はジャスミンティーであることが多く、
ほとんどの場合が砂糖入りです。
東南アジアでは、甘いお茶を飲むことが多いですね。



飲み物といえば、ココナッツの実を割り、
果汁に砂糖を入れて飲みましたが、これがまたおいしいのです!
ココナッツを注文すると、ストローとスプーンが付いてきます。
ストローで果汁を飲んだ後、中身の白い部分をスプーンでこそげ落として食べるのです。
フレッシュなココナッツの味と香りが魅力的で、最後の一片までいただきました。











今回訪問した季節は雨季、果物の豊富な時期でした。
街には果物売りの屋台が立ち並び、日本では見られないものも多くありました。
写真にある茶色の果物の名前は忘れましたが、
梨のような歯触りで爽やかな甘みがあり、食べ始めると止まりません。
訪問先は果樹があるところも多く、ランブータンはもぎたてをご馳走になりました。
ライチに似た味で、とてもおいしい果実です。



日本はこれから果物がおいしい季節を迎えます。
夏らしい冷菓も、今年の新作が楽しみです。

おやつのような日々の小さな楽しみを大切にしながら、
毎日を笑顔で過ごしたいですね。

2010年6月28日月曜日

 神戸市長田区にある本学に私は長年勤務してきました。神戸と言うと三宮や元町を中心としたエキゾチックな国際都市のイメージが強く、長田やその周辺は神戸の下町として、どちらかと言うと隅に追いやられています。しかし、私はそうは思いません。鴨長明の方丈記の「治承四年水無月の頃都にわかに移り侍りき。」と書かれているように、平安末期、平清盛は、本学の北東にある平野・福原の地に都を遷都しました。古代や中世そして近代に至るまで本学がある神戸西部の方がむしろ神戸の中心地だったようです。そのせいか長田区やその周辺には、長田神社を始めとして、平清盛が築いた大輪田泊(和田岬)、須磨寺といった歴史的な建造物が多く残っています。

 今、私は800年以上昔の源平の頃、木曽義仲に京の都を追われた平家一門がこの地で源氏との間に激しい戦いで打ち破られ、名ある平家の武将が討たれていったことに思いを馳せています。平忠度(ただのり)は西の城戸口・一の谷(現在の須磨区の鉢伏山付近と言われている)の大将軍でした。彼は、歌人としても有名で、都にいるときは藤原俊成の門下生の一人で、都落ちするとき、いぶかしがる平家の人々の視線をものともせず自作の和歌を渡そうと、牛車を俊成のもとに反した程でした。

 一の谷の戦に敗れ、長田の駒ヶ林めざして落ち行く途中、源氏方の岡部六弥太と戦い、六弥太の首を討ち取ろうとしたところを、六弥太の家臣に右腕を切り落とされてしまいます。忠度はついに静かに念仏して討たれました。その箙(えびら、矢をいれる筒)には、「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主ならまし」という歌が書かれた紙片が結ばれていました。長田区駒ヶ林町には忠度の切られた腕を埋めた場所に腕塚として慰霊碑が立っていますし、付近には腕塚町という町名まであります。

 高速長田駅付近には別の悲劇の慰霊碑があります。合戦の東城戸口・生田の森を守っていたのは平知盛(とももり)でしたが、激戦を経て、気付けば味方はほとんどいなくなっていました。残るは、長男の知章(ともあきら)と家臣の監物太郎の主従三騎のみでした。 海岸に向かって落ちてゆく知盛に馬を寄せて首をはねようとした敵の源氏の大将との間に入って、父を助けようとした長男の知章は、その大将に組みつき落馬しました。知章は大将の体を抑え、腰刀を抜いてその首を取りましたが、立ち上がろうとした瞬間、無残にも別の童武者に討たれてしまいます。家来の監物太郎は弓矢の名手、落ち行く知盛を助けようと、敵に散々矢を射かけたが、最後は矢がつき、討ち取られてしまいます。 その後、知盛は沖までなんとか逃げのび、無事に船に乗り込みます。 しかし、そのとき語った、知盛の言葉がとても哀れです。

「自分を助けようとした子供を見捨てて逃げ帰ってきたとは何とあさましい。他人のことなら、そう非難していたでしょう。しかし、いざ自分の身になるとこんな状況であっても命は惜しい。ここまで人は命に執着するものなのか。」

 そんな、悔悟の念に苛まれた知盛でしたが、翌年の壇ノ浦の合戦では平家軍の総大将になり源氏と最後の決戦で果敢な武者振りを発揮します。しかし、戦いに利あらず、もはやこれまでと思い、近くで鬼神の働きをして源氏の将兵をなぎ倒している平家一の剛の者である平教経に向かって「既に勝敗は決したからこれ以上罪作りなことはすべきではない」といさめて、「見るべきものは見たし、やるべきことはやった」と言い残し、鎧を2人分身につけ錘とし、海に飛び込み自害して果てます。


 高速長田駅から北に歩いて20分のところにある明泉寺境内の梅の花。このお寺の北方にある北の谷のモンナ池近くで平知章は討ち死にする。季節は早春。寄せ手の中にも風雅をわきまえる者もいた。生田の森の合戦で戦った梶原景時の嫡男・景季は生田神社の境内の梅の枝を折り、箙につけて合戦に臨んだという。(写真は明泉寺住職の冨士荘貴様のご提供)

 夜遅くまで大学の研究室に残って仕事をしていると、風に乗って遠くから微かに馬のいななき、甲冑の擦れ合う音、合戦の鬨の声が聞こえてくるようです。15年前の阪神大震災で壊滅した長田が見事に今日のように蘇ることが出来たのは、実現しなかった福原京への思いを抱きつつ、不遇な死を遂げていった平家一門の人々が具現してくれたからではないかと考えるのは、私一人でしょうか?

2010年6月22日火曜日

臨床検査技師の世界(その2)

 血液型の検査はおもしろく夢がありました。特殊な遺伝形式を示すAB型(シスAB型:AB型とO型の親子関係が成立する血液型)の人は、なぜか徳島県の出身者であることが多いという地域集積性を持つのです。また、ABO血液型についてはすべて分かっていると思っていたのに未だ不明な点があり、明らかに親子で間違いないと思われる親子が、従来のABO血液型の遺伝学説では説明できないのです。極めて少数例ですが謎で、まだ解決できないでいます。スウェーデンに多いp(スモール・ピー)型という血液型が何故か、瀬戸内海のある島の出身者の方に多く見つかるのです。これなどは遠い昔の十字軍の東征、チンギス・ハーンのヨーロッパ遠征、シルク-ロードによる東西の交流などなど、遙か古の人の交流を想像させ、私たちに大きな夢とロマンを与えてくれます。

 自然界には分かっているようで分からないことが、まだまだたくさんあります。そして「新しい発見はそれまでの常識の中にはない」という当たり前のことを仕事の中で学びました。私は幸運にも「世界第1例」の事例をいくつか経験する機会に恵まれました。後から考えて、その時にそれまでの常識の中で処理をして終わっていたら「世界第1例」を経験する事はなかったと思います。頭で考える前に身体を動かし、事実を確認することを行ったからこそ、新しい発見に遭遇し、心を揺さぶられる喜びを経験できたと思っています。また、自身の行った仕事の1つに「サイトメガロウイルス陰性者の確保と登録制度の導入」という日本で最初の仕事があります。多くの仕事仲間の助けでなし得た仕事ですが、骨髄移植の成功率の向上とその後の脳死患者をドナー(臓器提供者:心臓)とする心臓移植に多いに貢献できました。我が国の再開第1例から10数例まで、脳死ドナーによる心臓移植手術時に必要なサイトメガロウイルス陰性血液の確保で関与できた事は、望外の喜びでした。生涯で1人の人の命を救える事に関係できることがあれば、素晴らしい人生だと考えていた私にとって臨床検査技師という職種を選んだことで、幾人もの人の命を救うことに間接的にでも関与できたことはこの上ない喜びでした。本当に臨床検査技師の仕事を生涯の仕事として選んでよかったとつくづく思っています。今までに幾度か「早く朝になってくれないかな~。早く職場に出て思いついたアイデアを確認してみたい」と思ったことがありました。そのときは充実感、生き甲斐、やりがいを全身で感じていました。限りある人生に意味を持たせて生きてみませんか!辛いこともありますが楽しいですよ。是非、臨床検査技師の世界へ飛び込んで来てください。世界を相手に仕事ができますし、大いに夢が見れて、やりがいがありますよ。


医療検査学科  永尾暢夫

2010年6月21日月曜日

臨床検査技師の世界(その1)

 臨床検査技師の仕事は人の命に関わり、その検査結果に基づいて医師が診断・治療をするという大変責任の重い仕事です。その分やりがいがあり、一生の仕事として選択しても悔いがない仕事だと思います。自身の努力で世界の第一発見者になることも可能です。努力すればその分だけ報われる大変興味の持てる仕事だともいえます。何と言っても自身の仕事が、かけがえのない人の命を救うことになるのですからこれほどやりがいのある仕事は、他にそうないのではないでしょうか。

 一言に臨床検査技師の仕事と言っても結構細分化されていて、幅広いものがあります。大別して患者さんを直接検査する生理機能検査と、尿や血液等患者さんの身体から採取した試料を用いて検査する検体検査に分けられます。生理機能検査は、さらに心電図、心エコー、脳波、肺機能検査などに分けられ、検体検査は、生化学検査、血液学検査、血清学検査、輸血・移植学検査、細菌学的検査、一般検査、病理学検査などに分けられます。そして、これらすべての検査を習得して行う人と、どれか1つを専門として行う人に区分されます。
職域も大学の医学部の研究室で働く技師、大学病院・国公立・私立の病院の検査室で働く技師、保健所、製薬会社、検査センターで働く技師等、広い分野で自身に適した職場を選択して、活躍することができます。中には博士号を取得し、海外で研究する技師などもいます。

 私は臨床検査技師になってから赤十字病院、赤十字血液センタ-で輸血検査を主な仕事として来ました。そして結果として、短期大学卒ながらも論文で博士号を取得することができました。自身が携わった輸血検査の中で赤血球、白血球、血小板の各血液型とその抗体とそれらの血液型が異なることで起こる母児不適合妊娠の検査では、生命の尊うさを体感できました。55歳からはその経験を活かし、現在の大学で輸血・移植分野の教鞭を執っています。私が輸血検査を始めた頃は、結果がすぐ患者さんの生死に関わること、検査内容に緊急性があることなどからあまり自ら進んで検査に携わる人はいなかったように思います。そのことで稀少価値が生じ、輸血検査を行っていたことが自分の人生にとってはプラスに働いたのではと思っています。   

医療検査学科  永尾暢夫

2010年6月14日月曜日

キッズ・ごっこ・ランド



去年の秋のことですが、学園祭で『 キッズ・ごっこ・ランド』の催しをしました。

幼児~小学校低学年が対象で、各学部・学科を体験してもらいます。いわゆる職業体験です。
看護学科と医療検査学科が合同で行い、
看護学科は『 看護師になろう! 』、医療検査学科は『 科学者になろう!(臨床検査技師になろう!)
をキャッチフレーズにいくつかの体験項目を用意しました。

幼児教育学科は『 保育士になろう! 』、口腔保健学科は『歯科衛生士になろう! 』をキャッチ
フレーズとして 人形劇や歯磨き指導を行いました。


『 看護師になろう! 』、『 科学者になろう!(臨床検査技師になろう!) 』の流れは・・・
〈 1 〉 白衣を着て、紙で作ったナースキャップを被って写真撮影する

小さい白衣。
よく似合っています。








〈 2 〉 手洗い
手洗い前
※手に光るクリームを塗りました。
手の甲全体が青く光っています。
これを汚れとします。






石鹸をつけて、手洗い




手洗い後
爪が光っているのが
わかりますか?
光っている部分は
汚れが残っている証拠です!


〈 3 〉 聴診   聴診器で自分の心臓の音をきく


〈 4 〉 顕微鏡   顕微鏡でヨーグルトの乳酸菌、納豆の納豆菌を観察する

顕微鏡の写真ではありませんが、
キッズ・ごっこ・ランド担当の学生が
絵を描いてくれました。
左上に『 乳酸菌』  生きているようですね。





〈 5 〉 超音波画像   超音波でゼリーに何が入っているかを当てる
ゼリーの中にはパイナップル、みかん、さくらんぼ、マッシュルーム、ヤングコーン、
れんこん、たこの足を入れてみました。
   
みかん! わかりますか?
普段、検査では心臓、肝臓などを写し出しますが、
その画面から みかん が見えるとは、感動でした。






〈 7 〉 遺伝子(DNA)模型を作る

集中しています







担当の学生が準備(部屋の飾りつけ)の時に
完成見本を作ってくれました。
集中して作り続けていたら
1m20cmくらいの長さになり、
すてきなオブジェになりました。
天井からぶら下げてみたのですが、いかがですか?



DNA模型

このように盛りだくさんの体験項目を実施することになりました。

このイベントの計画、準備の段階では、たくさんの子供たちが参加し、楽しんでもらうにはどうしたらいいのかを、担当学生と教員で考えました。


まず、私たちの医療検査学科の学生は臨床検査技師になることを目指して勉強に励んでいます。 
その勉強している項目のなかから、子供たちが喜びそうなものは?と考えて、思いついたものは・・・
「 実習で試薬の希釈をすることがある 」からということで 「 カルピスを希釈してみる 」でした。
はじめは子供たちが理解できるもの(簡単)で、楽しいものは何かと考えていましたが、
「 体験することで興味をもち、楽しんでもらえるのでは 」という考えに変わりました。
また同じ医療系ということで看護学科と合同で計画した結果、盛りだくさんの項目を実施することになりました。


項目が決まってからもまだ考えることはあります。
まず、子供たちが体験したいと思うキャッチフレーズを考えること。
担当学生が考え抜いて、医療検査学科の案として提出したのは 『 あつまれ!未来の科学者たち! 』。
元気があっていいと思いませんか? これは医療検査学科のキャッチフレーズの副題としました。
あとは盛りだくさんの項目をどうしたらスムーズに実施できるか。体験の順番を決めるのか、項目ごとに担当を決めるのか。
また、楽しそう!と思える部屋の飾り付けはどのようなものか。

計画して、準備して、実施して。
担当した学生は大忙しだったでしょうが、参加した子供たちには楽しんでいただけたのではと思います。
また、この企画は大人の方にも楽しんでいただけると思います。
今後、このような企画があれば、参加、体験してみませんか?