2010年12月20日月曜日

医者ともあろうものが

 古代ギリシアのヒポクラテスHippocrates(前460~375 年頃)は患者の病状を客観的に観察し経験を重んじ治療することでそれまで呪術の域を出なかった医術を科学のレベルに高めたことで「医学の祖」として崇められている。また、ヒポクラテスの弟子たちが後に書いたとされる全集が残されており、その中では医師の心得についての記述が見られ、特に彼の学派、ギルドに入会する人に誓わせたとする「誓詞(せいし)」は有名で、西洋の医師たちの倫理の教典として20世紀の半ばごろまで医学校の卒業式の際に卒業生がこの誓いを朗読していたという。私もまた学生時代に大学から渡されたものの中にこの誓詞があり、今も本棚のどこかにあるはずである。この誓いを要約すると次のようになる。

 1.患者の利益を第一とし、患者に危害を加えたり不正を働いたりしない。
 2.致死薬を投与したり、(死ぬための)助言もしたりしない。
 3.婦人に対し堕胎に加担しない。
 4.結石患者の手術は専門の業とする人に任せる。
 5.男と女、自由人と奴隷の区別なく診療し、患者に対して肉体的情欲を満たすようなことはしない。
 6.患者の秘密を守る.
 7.師に対しては両親と同様に、子弟とは兄弟同様に接する。

 この誓いは当時の医療状況の中で考えられたもので、今日では一部の内容は古くなり現代では通用しないという意見もあるが、守秘義務についてのことや堕胎・自殺幇助(ほうじょ)については現在の医師法にも通じるものがある。師に対しては両親と同様に、子弟とは兄弟同様に接するとあるのは私の好きな言葉で信条にもしている。またナイチンゲール誓詞にも通じるところがあって比較するのも楽しい(こちらは部屋の扉に貼っています)。  
 この誓いの他にも彼は医師の心得について色々なことを述べており、例えば「救護のあいだ患者は多くのことに気付くことがないようにする……これから起こる事態や現在ある状況は何一つ明かしてはならない」あるいは「素人には、いついかなる時も何事につけても決して決定権を与えてはならない」としている。ヒポクラテスの考えは病気のことについて色々説明すれば患者は心配するだけで、結局は専門家である医師に全てを任せるのが患者のためであり、その代わり任せられた医師は身を正し、患者のために尽くすべきであるとするわけで、この考えは西欧中世のキリスト教の愛の精神に取り込まれ西洋社会で広く受け入れられて来た。近年になると医学・医療が進歩・発展してきて、ヒポクラテスの誓いの内容も批判されるようになり、特に20 世紀後半になると患者の人権、自己決定権の尊重、そしてインフォームド・コンセントの重要性が主張されるようになり、従来医師が持っていたヒポクラテス流の倫理観はパターナリズム(親権主義)として批判されるようになり、医師も考えを変えなければならない状況になった。即ち医療についてのことは医師に任せるのではなく患者自身が決めるものであるとする考えが広く社会で認められるようになったわけである。しかし実際には(私を含めて)手術や治療などで重大な決断を迫られる時などでは多くの人が「先生に(全て)お任せします」と言うようである。「別の医師から「セカンド・オピニオン」を聞いてから決定しては如何ですか」と振っても大抵「先生に(全て)お任せします」となっているようで、まだまだ医療についてのことは医師に任せるのではなく患者自身が決めるものであるとするには時代が追いついていないのかも知れない。しかし、医療訴訟ともなると例え患者が「先生に(全て)お任せします」と言おうと言うまいと実際に訴訟が行われているのである。何ともやりにくい世の中ではある。












ヒポクラテスの像(東京大学医学図書館蔵)

参考文献
1)小川鼎三,緒方富雄編,大槻真一郎他訳:ヒポクラテス全集 第1巻、エンタプライズ(株)、東京、1985.