2012年11月26日月曜日

ナイチンゲールに導かれて

 2012年8月末、ロンドンオリンピックの熱気冷めやらないイギリスを訪れました。目的は世界災害看護学会の第2回学術集会に参加するためです。ロンドン西へ250km、列車で3時間あまり、目的地であるウェ-ルズ州の首都であるカーディフ(Cardiff, Caerdydd)の駅に降り立ちました。そう、あの女子サッカーのナデシコ・ジャパンが戦ったあのミレニアム・スタジアムのあるカーディフです。
 Wikipediaの力を借りるとカーディフは人口31万人余で歴史があるにも関わらずヨーロッパで最も新しい首都だそうです。さて、そこで開かれた学会に出席した様子をここで少しご披露しましよう。カーディフに着いたその日には、夕刻から歓迎レセプションが開かれます。学会本番の会場となるカーディフ市役所に隣接する国立ミュージアム・ギャラリーでした。
 モネ、ルノアール、ゴッホ等の絵が展示された美術スペースでのウェルカム・ドリンクには感激しました。そして、こんな場所を惜しみなく提供してくれるホスピタリティに驚きました。そしてさらに驚いたのは、パーティ会場でした。ミュージアム・ギャラリーの玄関ホールを使ったシッティングの夕食でした。翌日からがとても楽しみと考えた瞬間でもありました。何が楽しみかって?

              学会会場Cardiff City Hall

             Florence Nightingale Museum

 学会は市議会のホールをメイン会場として、東日本大震災の報告や国際人道支援、災害時のリーダーシップ、メディアの対応といったことを取りあげながら進みました。もちろん、私も1日目の午後に災害看護教育プログラムの開発に向けた災害看護実践行動の役割間の共通性と個別について「Research on commonality and individuality among practical disaster nursing behaviors」をテーマに20分間のオーラルプレゼンテーションをしました。そうした中で最も印象に残ったのは、災害に関する語りです。
 私はイギリスと災害との関係を、どちらかと言えば、テロや人道支援との関係で捉えていました。それをアバファンの炭鉱災害の話は一変させました。1966年のある朝、石炭の掘削作業により出来た大きなぼた山が崩れ、近くの小学校を襲い、100人を超える児童が亡くなったのです。生き残った方の語り、そしてアバファンの災害についての詩の朗読は、胸に迫って来ました。そして研究者として改めてナラティブの力を再認識しました。
 旅の終わりにロンドン、テムズ川を挟んでビックベンの反対側に位置するセント・トーマス病院の一角にあるナイチンゲール・ミュージアムを訪ねました。ナイチンゲールの生い立ちから、その活動について知ることができる展示に目を奪われました。一度は行ってみたいと考えていた場所に立てた感動に浸っていました。看護師になるための教育を受けた最初から触れてきたナイチンゲールの言葉の一つひとつが浮かびました。
 そしてナイチンゲール・ミュージアムを出ようとした時、激しい雨が降ってきました。それはいつ止むと無く降り続き、災害看護をクリミア戦争で実践したナイチンゲールがまるで私を引き留めているかのように感じました。雨音を聞きながらしばらくの時間、これまでの看護師、看護教育者人生を振り返ることができたことは言うまでもありません。
“Thank you so much, my Nightingale”

2012年11月19日月曜日

娘の犬

 私の家には娘が飼っている白い犬がいます。名前は短絡的で白いから「しろ」といいます。飼いだして5年目になります。犬も長い間、我が家で暮らしていると家族の関係がわかっているのか、それぞれにあったコミュニケーション技術を使って表現してきます。
 仲間であることを実感するためには、家族の誰かのそばに背中をむけてお尻をくっつけてちょこんと座ります。いじけるときは、プーさんのぬいぐるみを前足で押さえつけ、ぎゅっと噛みしめています。ニードを満たしたいときは目をあわせて訴え、「ワン」と吠えます。どこかに連れて行きたいときは、その人の手を甘噛みをして引っぱり連れていきます。
 飼っている娘は何よりも大事な存在で帰ってくるまで玄関で待ち続けています。長男は困っているときに助けてくれる存在として、一番下の娘は弟か妹のような存在。そして、私はというと一番怖い存在のようです。しろの中で家族を判断し、それにあったコミュニケーション技法をつかってくるのです。  実習に行くと、「コミュニケーションが苦手」という学生が多いけれど、実はまだ私が学生を理解できていないことから、学生のコミュニケーション技法が見えていないだけなのかも知れないと考えるのです。また、人間であるから素直に表現することに邪魔が入るかもしれません。

2012年11月12日月曜日

「異文化交流で学んだこと」

 皆さんは、日本に来ている外国人の方と積極的に交流されていますか。私は、2012年の秋の一日を異文化交流で楽しみました。「ひめじ国際交流フェステバル」は、世界の料理の販売を始め、踊りや音楽の披露、外国語講座の開催など多彩な内容が盛り込まれたイベントです。語学にはまったく自信はないのですが、市民として在日外国人の方と交流するよい機会だと考え、3年前から参加しています。「まちの保健室」は、当大学でも行われていますが、私は、この大学に来る前から居住している地域での「まちの保健室」のボランティアを継続していたので、今回「国際まちの保健室」を主宰することとなりました。
 何人かの外国の方とお話しする中で知ったことは、来日された目的別に、その情報収集パターンや地域とのつながりに特徴があること、例えば、国際結婚、出稼ぎの方の家族などは、普段から地域とのつながりもあり、様々な情報を積極的に収集されています。しかし、職場では頼りになる知人もいらっしゃる様子ですが、地域での日常では頼る人がいないことを心配されていました。また、集住地区や寮生活している方には、独自のコミュニティがあり、その中での情報共有はあるものの外部との交流は少ないとのことでした。
 共通した当事者の問題としては、やさしい日本語に関しては理解できるが、新聞やテレビ等の日本語は難しく理解が出来ない、聞き取れないとのことです。自身の日本語能力への不安から日本人とのコミュニケーションも少ないとのことです。自身の日本語能力への不安から周囲の日本人と話す事に抵抗があるというのは、私が、自分の語学能力に自信がないので、今まで積極的に外国人と交流していなかったというのと全く同じだなと感じました。多文化共生について考えることのできた貴重な一日でした。

                            看護学科教員 井上清美

2012年11月5日月曜日

看護研究は何のためにするの?

あっという間に夏季休業が終わり、後期の授業が始まりました。
後期になると保健科学部看護学科3年次生は、「看護研究方法論」という講義を受けることになります。
この講義は、看護研究についての考え方や研究の組み立て方の基本を学習するもので、卒業研究を実施するための下地作りとしての科目だといえます。
看護研究は、学生時代だけ取り組むのではなく、看護師として働くようになってからも行わなければならないものです。
ですから、看護師は常に研修会に参加したり独学したりしながら、勉強し続けているのです。







写真は、本学保健科学部看護学科精神看護学分野の教員が中心になって立ち上げた兵庫精神科看護実践研究会において、兵庫県の精神科看護師の方々と「看護研究」について学習している様子です。
この研究会は、年に4回開催しているもので、来月には第11回目を迎えます。

看護を学ぶ学生の皆さん、看護師を志す受験生の皆さん、なぜ看護研究が必要なのか分かりますか?
 ・大学を卒業するために必要な単位だから?
   ・看護師になれば業務の一つになるから?
   ・看護師として働くようになると上司から研究することを求められるから?
答えはNo!!

看護研究は、日々の看護実践の質を高めるため、ひいては患者さんによりよい生活を送ってもらうために行うのです。

でも、学生の皆さんにとっては、「実習で忙しいのに、研究の授業を受けるなんて大変!」「国家試験の勉強だけでも大変なのに、その上研究なんてやってられない!」などと思うことがあるでしょう。
そのように思えた時は、ぜひ、看護師になろうと思ったきっかけを思い出してみてください。
きっと、病気で辛い思いをしている人を支えたい、人の役に立ちたい・・・と思っていたはず。
看護学生が山のような量の勉強をするのは、患者さんに役立てられる看護師(私)になるためなのです。