2011年12月26日月曜日

尾道に行ってきました

11月12日土曜日に、新幹線で新尾道駅まで行って、「尾道ふれあいの里」まで行く予定でした。
 出かける前にテレビを見たら、なんと「新岩国駅で信号故障があり、博多・新大阪間が不通」、その後「不通区間は博多・広島間で、動いているが上下とも大幅に遅れている」というニュースでした。
 あわてて家を出て駅に着くと、土曜日ということで、みどりの窓口も長蛇の行列で、コンコースもごった返していました。
 新尾道駅は「こだま」しか停まらないのですね、しかも約1時間に1本のダイヤです。当初の予定では、岡山まで「のぞみ」、岡山→新尾道間を「こだま」の計画でしたが、取りあえず岡山まで行くのが先決と判断し、入線してきた「のぞみ」に乗って岡山に着きました。時刻表では丁度「こだま」が出発した後だったので、次の「こだま」を待つべく、構内アナウンスを注意して聞いていました。
 ところが次の「こだま」はいつ岡山に着くか分からない、というアナウンスで、ハタと困ってしまいました。どうも「のぞみ」優先で「こだま」は後回しの様子でした。
 少しでも西に行っておいた方が得策と考え、次の「のぞみ」が福山に停車するので、福山→尾道を在来線・山陽本線で移動しようと決断し、次の「のぞみ」に飛び乗りました。在来線は20分間隔で普通列車があるので、何とか尾道駅にたどり着きました。
 尾道は瀬戸内海に山が迫った地形で有名ですが、尾道駅のすぐ前が瀬戸内海でした。在来線の尾道駅と新幹線尾道駅は車で10分程度離れているだけだったので、いくつかの峠を越えて予定より遅れたものの何とか「尾道ふれあいの里」に着きました。
 帰路は定刻通り帰ることができました。新幹線がいつも正確に運行されていることが当たり前ですが、一旦ダイヤが狂うと大変なことになるのですね。翌日の新聞で、結局15本が運休したそうです。

2011年12月19日月曜日

秋が深まって、空の高さを実感しています。
さて、最近の航空業界での大きな話題といえばボーイング787ドリームライナーでしょう。先日、この初号機がANAに引き渡され、9月28日羽田空港に到着しました。機体の軽量化に貢献したカーボンファイバーをはじめ、日本メーカーがこの機体に関わっているところは大きく、(日本の)準国産機などと表現した報道があるくらいです。しかし、実際はとても準国産機などと言えるものではない、と私は思っています。国産機という点では、三菱のMRJ、ホンダのHondaJetが興味を引く存在です。個人的にはHondaJetのほうが面白いので、HondaJetを紹介することにしましよう。
 HondaJetの歴史を遡ってみますと、やはり辿り着くところは本田宗一郎です。今や二輪・四輪のメーカーとして押しも押されもしないHONDAは、傑出した技術者であった本田宗一郎が戦後間もなく設立した本田技術研究所が育ったものです。彼は当初から飛行機に興味を持っていた節があります。
 さて、1986年和光基礎技術研究センターが発足し、小型機開発を研究テーマの一つとしますが、このテーマに関わったチームの一員に藤野道格がいました。彼は、2006年に設立されたホンダ エアクラフト カンパニーの社長に就任し、同年HondaJetの米国向け受注を開始するのです。受注開始の当日に100機を超える注文があったといいます。
 順調に作業が進めば来年2012年、HondaJetの引き渡しが始まるはずです。
  HondaJetの特徴は、以下の通りです。
1. 全長12.5 m、全幅12.2 m、全高4.1 m
2. 主翼上面に二つのエンジンを配置した双発機
3. 自主開発エンジン
4. 炭素複合材の多用

HondaJetは「準」ではなく、真の「日本の飛行機、国産機」なのです。

2011年12月12日月曜日

自衛隊の艦隊&華花火


自衛隊の艦船 
港に自衛艦が接岸しており,その周囲は警察の警備。尋ねたところ一般人の体験航海とのこと。気のせいか,周囲の空気が張りつめた感じがする。念のため,近くにいた自衛官に確認して撮影した。



 沖に目をやれば潜水艦(左端)も加わり何隻も航海していた。







華花火 
花火が打ち上げられていたので,たまたま持っていたコンパクトデジタルカメラで撮影。常日頃から花火がどの程度まで写るかを試みたかったので良い機会に遭遇。


単にシャッターを押しただけでもそれなりに写っていた。手振れ防止機能の効果が大きい。

2011年12月5日月曜日

秋の夜

10月も終わり頃になると、夜の空気は澄み切って凛とした冷たささえ感じるほどである。秋の夜、殊に煌々と月が冴え渡るような夜が来る時期になると思い出す、幼き頃の切ない(?)思い出を紹介したいと思う。
 小学4,5年の頃でした。多分工作時間の延長の行事だったと思いますが、小学校の校庭で模型飛行機を飛ばす大会のようなものがありました。プロペラに回転力を与えるゴムと、プロペラのつなぎ部分に工夫がされていて、ゴムの捻れが戻った後は、惰性でプロペラが自由回転し、かなり長時間の飛行が可能になるものが登場して間もない頃でした。大会前夜になって、私は新しく機を作成しました。大会を意識し、翼の紙の張り方、機のバランスにも神経を払い、自分でも納得のいく出来栄えに仕上がりました。出来上がると早速飛ばしたくてたまリません。というのもその日は風もなく試験飛行には打って付けの月夜でもあったのです。その当時、私は今の丹波市の佐治川(加古川の上流にあたる)に架かる、とある橋の袂に住んでいました。県道は橋の方に向けてせり上がって行く形だったので、そこから低くなっている刈り取りの済んだ田んぼに向かって、完成したばかりの模型飛行機を試験飛行させました。飛行機は予想通り、心地よいプロペラの回転音を響かせながら快調に飛んでくれました。ところがです、あろうことか機は途中から左旋回し、佐治川の方に消えてゆき、視界から全く消え去ってしまいました。あれほど煌々と冴え渡って充分遠くまで見通せると思った明るい月夜なのに・・・、しまった、と思いますが後の祭りです。川に下りてすぐに探そうかと思ったのですが、その頃の佐治川は今より水量も多く、夜で危険なのでそれはかないません。岸辺に不時着していることを期待して、翌朝一番に探しに行きましたが、ついぞ見つかりませんでした。
 「一三夜 愛機はしじまに消えゆけり」

2011年11月28日月曜日

温泉

寒い日が続き温泉に入ってゆっくり過ごしたい。と思う日がありませんか?

最近のテレビ番組や雑誌でも、「今行きたい 心も体も温まる 癒しの温泉」のようなキャッチフレーズを耳にすることがあると思います。

私は月に3回~4回は日帰り入浴(通称、スーパー銭湯)で気分をリフレッシュさせています。

関西にはたくさんのお勧め温泉があると思いますが・・最近私が行ったお気に入りの場所をいくつかご紹介いたします。


施設名有馬街道温泉すずらんの湯犬鳴山温泉天然温泉 虹の湯
場所兵庫県神戸市北区大阪府泉佐野市奈良県上牧町上牧
お風呂データー単純温泉炭酸水素塩泉塩化物泉
湯上がり情報・食事処、休憩所あり・食事処、休憩所あり


・宿泊施設あり
・食事処、休憩所あり
料金¥800¥800¥600
お勧めポイント・妙賀山のふもとにたたずむ隠れ家のような雰囲気。さまざまな露天風呂(石風呂・檜風呂)があり楽しめます。


・酵素浴はお勧めです。
・大阪の奥座敷で心地よい犬鳴川のせせらぎを聞きながら、静かな時間(すいています)が過ごせます。

・山のマイナスイオンを満喫できます。
・お風呂の種類とサウナが充実しており、男女合わせて37種の多彩な浴槽(岩風呂、洞窟風呂など)があり、自然を生かした野趣あふれる露天が魅力です。



ゆったり、のんびりと気分をリフレッシュ(^.^)
しかし・・・湯ざめには、気をつけてください。

***皆様のお勧めの日帰り入浴を教えてください。***

2011年11月21日月曜日

芸術の秋

日頃「芸術」とは無縁の生活を送っている私ですが、今年の秋はどっぷりと「芸術」に触れる機会がありました。見たかった映画を鑑賞し、大好きなアーティストのコンサートに駆け付け、ジブリが大好きな娘に誘われて博物館にと大忙しの充実した一週間を過ごしました。その中から今回は神戸市立博物館で開催されていた山本二三展について紹介します。







子供のころ「風の谷のナウシカ」にあこがれ、腰に剣をさし、ダンボールで作ったメーベに乗ってヒロインになりきっていた娘の勧めもあり、久しぶりに神戸市立博物館を訪れました。神戸ビエンナーレ2011・プレ企画として開催していた山本二三展は日本を代表するアニメーションの画家・美術監督である山本二三みずからが選択した、アニメーション用の背景画、その前段階のスケッチ、イメージボードなど約180点が初公開されました。大盛況とのうわさを聞き覚悟していましたが、やはり入場制限があり、並ぶこと20分。



天空の城ラピュタ」(1986)、「火垂るの墓」(1988)、「もののけ姫」(1997)など映画でおなじみのシーンの数々を見ることができました。繊細で、精密なスケッチに基づく独特のタッチで、森の中に光が差し込む様子、水の透明感、さまざまな表情を見せる雲の描写など、どの作品も心に響くものばかりでした。

63日間の会期中、約8万5000人が来場し、盛況のうちに閉幕となったそうです。来年からは全国各地で巡回展を行うことが決定したそうですので、興味のある方はぜひ一度足を運ばれてみてはどうでしょう。懐かしい風景に出会えますよ。                                  
                                         教職員

2011年11月14日月曜日

今日は何の日?~毎日が記念日~

つい先日ですが,11月8日は何の日でしょう?
私は仕事柄?? 「いい歯の日」と答えます。
でもインターネットで調べると

「ボイラーデー」汽罐協会(現 日本ボイラ協会)が1936年に「汽罐祭」として制定定,1949年にボイラーデーに

「レントゲンの日」1895年のこの日、ドイツの物理学者・レントゲンがX線を発見した

「いい歯並びの日」




「いいお肌の日」 いい(11)は(8)だ
「刃物の日」 いい(11)は(8)
「八ヶ岳の日」 いい(11)やつ(8)


などこの日だけでもいろいろな記念日が制定されています。


歯に関する記念日は,
4月18日  よいは(418)の日
6月4日~6月10日  むし(64)の日にかけて 歯の衛生週間
などがあります。

物事を考えたり実行したりするときに,この記念日などを利用すればそのきっかけになりますよね。
毎月8日を 「歯」 として「歯ブラシ交換日」としたり・・・


そうそう11月22日 いい(11)夫婦(22)の日 って記念日もありましたね。


みなさんもよい語呂合わせを考えて,自分だけの良い記念日にしてみたらいかがですか?

2011年10月31日月曜日

コーラそれともペプシ?

子どもの頃は「炭酸は身体に悪い」と、
両親から繰り出される言葉を鵜呑みにしていたせいか、
炭酸入り清涼飲料水(以下:炭酸飲料)はあまり飲みませんでしたが、
大人になって(随分とたちますが)ビールが美味しい!と感じる
ようになってからは、自然と炭酸飲料に手が伸びるようになりました。


メタボリック症候群を恐れはじめ、ゼロカロリーの炭酸飲料ばかり。
ビールテイスト飲料の「オールフリー」、「ヌーダ」
「大人のキリンレモン」「三ツ矢サイダーゼロ」など、

ゼロカロリーの炭酸飲料は、今でこそ市民権を得て様々な種類が販売されていますが、炭酸飲料で最も老舗で王道な飲み物といえばコーラでしょう。



 コーラとは「コーラの木の種子に含まれる成分を主原料とした炭酸清涼飲料」
とのことで、世界の二大コーラ会社といえばコカコーラ社の商品である
コカコーラかペプシ社の商品であるペプシコーラといえます。
ネットでは「コーラ戦争」なんていう物騒な単語を見つけましたが、
皆さんはどちらが好きですか?

私は、ペプシ派です。

喉がカラカラに乾いている時に飲む炭酸飲料の味覚の信頼性など、はなはだ頼りないものである
ことは分かっていますが、ペプシの方が甘ったるくないように感じます。さらに口に含んだ時に、
こちらをいたわる素振りをして、油断させるやいなや急激に迫り来るくる刺激と喉越し、炭酸の
泡の一粒一粒が「これがペプシネックスのキレなんだ!」と喉に刻み込むように主張しているか
のような味わいです!


 ただ、栄養表示基準における栄養成分表示では、飲料のカロリーの場合100mlあたり
5kcal未満のものは「ゼロ・ノン・レス・無」などの表示ができることになっていると
いうことで、皆さんもうすうす気づいているとは思いますが、ゼロカロリーといえども
若干のカロリーは入っている訳で飲み過ぎると太ってしまうんですよね。


気をつけたいものです。
 

2011年10月24日月曜日

7か月

このところ次々と天災が続いて、なんだか言葉が出てきません。
震災や巨大台風の災害等々、被災された方の気持ちを思います。
東日本大震災からは今日で7か月と9日です。
16年前の震災が脳裏に重なります。

あの震災で教え子や友達が死んでしまいました。

今でも斎場の二階に棺桶がぎっしりと80㎝もあけずずらーっと並んでいたことを
思い出します。圧死した友人に10日後にやっと会えたら全く違う顔になっていました。
その斎場で仲間とささやかなお葬式をしたことが昨日のように思えます。
私は生まれて初めての個展をキャンセルしようと悩んでいました。

そんな折、恩師に諭されました。「あなたが今するべきことは何か」。

長田の町は瓦礫の山と、瓦礫を撤去されあちこちに花が供えられた空地ばかりでした。
私たちは大学で順番に日直をしながら今の3号館1階にこしらえた避難所に暮らしている
方の使う水などを、自衛隊の給水車から運んだりしていました。
授業も後倒しで夏休みまで続いていました。

そんな時に個展???
個展というものは、そもそも私にとって人前で裸になる行為に等しく、
避けたい思いの上に重く課せられたものでした。
そんな時に震災が起き、消耗した私の体と心は、「不謹慎」を前面に掲げて
逃げようとしていました。

震災から7か月と11日後、私は初めての個展にこぎつけることができました。
恩師は、戦争や、当時死に至るといわれた病や、三度に渡る神戸の
大水害など沢山の試練を乗り越えて生きてこられた事から、
達観をお持ちだったのだと思います。


「今、自分は何をすべきか」
あれからずいぶん時間が経ちました。今日もまた考えています。

2011年10月17日月曜日

私の“ぎょぴちゃん”を紹介します~

先日東京で “アートアクアリウム展” に行ってきました。
ただし,アクアリウムといって

も金魚です。
正直なところ,自分が何を見に行くことになるのかわかっていなかったのですが,
友人曰く,「巨大金魚鉢があるんだって~」と,
是非にとのお勧めだったので様子を見に行くことに・・・


今回の展覧会が普通のアクアリウムと違うのは,
プロデューサーによる金魚をより効果的に見せるための
ライトアップや音楽,水槽配置などいろいろ凝った演出があることでした。
私の幼いころと違っていろいろな展示の仕方があるものだと,本当にいい刺激を受けました。
(後日,アートアクアリウムのDVDまでついつい注文してしまったほど・・・・)


今回のブログでは,アート
の部分での紹介ではなく,
私の心をつかんだ金魚ちゃんがいたのでご紹介しますね。
(勝手に)“ぎょぴちゃん”と名づけてみました!
いろんな金魚の水槽がある中で,「天頂眼」という名前通りの金魚がいたのですが,
なんともいえずかわいい~~~
(雌雄は謎ですが)メスだと信じたいくらいおすまししている(と私には見える)
表情がかわいいのです~

是非ご覧ください~


1枚目が私のぎょぴちゃん
(このブログの中だけでも「私の」とつけることをお許しください~)
2枚目はぎょぴちゃんとそのお友だち
























いかがですか??


実は私にアートアクアリウムを紹介してくれた友人は,みなさんの心もぐい~~っと引っ張られましたか?それとも・・・・・・
私のぎょぴちゃんを見て「背中がゾクッ」としたそうで・・・(いい意味ではなく・・・)
人の受け取る印象は多種多様。。。。好きなものの押し付けはできません。


金魚の進化過程が解明されたのは数年前のことらしく,
ミトコンドリアDNA解析の結果,
元を辿ると金魚は中国のフナの一種にあたる
ギベリオの突然変異によって赤く変色したものらしいのです。

今私たちがイメージするフナと私のぎょぴちゃんを単純に比べるのはおかしな話ですけど,
それにしてもぎょぴちゃんは随分と見慣れないところに目がついている種類なので,
私のお友だちには,可愛さが伝わらなかったようでした。(残念!)

みなさんにはつたわるといいな~と願いながら紹介させていただきました。

後日知ったのですが,この展覧会は神戸にも以前きていたようです~
ご覧になられた方もいらっしゃいますよね・・・きっと。

2011年10月10日月曜日

パリに本店があるというカフェ

先日パリに本店があるというカフェに行きました。待ち時間1時間?!

スイーツ好きの私は、ショーケースの色とりどり美しいマカロンやきれいなケーキを前に

並ぶのを断念する勇気が出ず、そのままずるずると列の一員になりました。

順番がまわってきて、カフェに一歩足を踏み入れると、そこは、パリ!でした。

(パリの本店には行ったことありませんが・・・)

落ち着く色合いの壁紙や家具がヨーロッパのプライベートサロンのような雰囲気を

醸し出しています。

メニューを見て、びっくり。どんな大きさのケーキなのかしらというくらい、

ご立派なお値段でした。

濃厚なチョコレートのケーキとバラの花びらの乗ったケーキをいただきました。

カフェでいただくカフェオーレは自分ではできないバランスなので、ここのカフェオーレはどんなのだろうと併せて注文しました。

カフェオーレ登場。

?空っぽのカップ?

「お客様のお好みでお召し上がりください」

と温かいポットがふたつ。ホットコーヒーとホットミルクのポット・・・。

そういうことなのですね・・・

優雅な空間で贅沢なケーキと自分好み(?)のカフェオーレ。

バラの花びらケーキは今思い出してもうっとり。幸せなひとときでした。


                             幼児教育学科

2011年10月3日月曜日

ボルト選手の失格に際して

 今夏、韓国・テグで世界陸上2011が行われました。みなさんはご覧になりましたか? 世界陸上の正式名称は世界陸上競技選手権大会。かつては4年に1度行われ、現在は2年に1度開催される陸上競技の世界一を決める大会です。

 私は小学生の頃から大学院の途中までずっと陸上を続けていました。今でも陸上に対する関心は強く、日本選手権を見に行ったりもしています。自分がスプリンターだったこともあり、やはり最も注目する種目は男女の100メートルです

 ウサイン・ボルト選手のことは、皆さんご存知だと思います。男子100メートルの世界記録保持者です。今回の世界陸上でも「世界最速の男」として紹介されていました。一般的に、男子100メートルに対する関心は他の種目とはけた違いに大きいと思います。それは日本に限ったことではありません。ボルトが優勝するかどうか、どんな記録を叩き出すか、世界中が注目していました。

 そんな男子100メートル決勝。ご覧になった方はご承知の通り、ボルトはフライングで失格になってしまい、決勝レースを走ることができませんでした。フライングに関するルールが今大会から厳しくなり、フライング1回で即失格となったためです。かつては同じ選手が2度フライングを犯した場合その選手は失格でした。その後、1つのレースで1度目にフライングしたのが誰であれ2度目にフライングした選手が失格となるルールになりました。それがさらに改定されて今回のようなルールになったのです。

 私はテレビでその様子を見ていたのですが、ボルト失格の瞬間、会場中の溜息を聞いた気がしました。ボルト自身、走ることさえできなかったことでどれほど悔しく、また悲しい思いをしたでしょうか。

 ボルトが失格になった後、残りの選手で男子100メートルの決勝が行われました。そこでの結果ももちろん出ました。でも私はやはり「もしボルトが走っていたら?」と思わずにはいられません。2年に1回しかない世界大会です。世界最速を決める貴重な機会がこのようなことになってしまい、本当に残念でした。

 この残念な結末の原因をルールの厳格化に求める声もあります。従前のルールなら、恐らくボルトが失格になることはなかったはず。私にもそういう想いは少しあります。私も現役選手として走っていた頃に何度かフライングをしてしまったこともあるので、短距離走におけるスタートの重要性とその難しさは身をもって理解しています。

 フライングに関するルール改定の背景に、オリンピックや世界陸上の「商業化」があるのは事実でしょう。フライングが繰り返され、レースがなかなか始まらず、予定されていた生中継のテレビ放送時間内にレースが行われない、というような事態を避けるためです。

 しかし、「2度目が失格なら、1度目は一か八か」などと考える選手がいるのもまた事実です。もっと悪い場合は、わざとフライングして他の選手の集中力を削ごうというようなこともあるでしょう。そう考えると、「フライングを犯せばその場で失格」というのは、最も合理的で、全ての選手に公平なルールだと私は思うのです。

 同じようなことは、日常生活の様々なことに言えます。ある決まりが原因で不利益を被ると、「あんな規則が悪い」ということを思いがちですが、しかしそのルールの正当性や合理性は、それがどのような状況で誕生し、その影響はどの範囲に及ぶのか、慎重に考えた上で判断する必要があります。換言すれば、短絡的なものの見方をするのではなく、常に広い視野で見ることが大事ということです。これは「悪法も法なり」ということではありません。それが悪法かどうか、一面的に判断すべきではないということです。

 ところで、陸上競技を実際にやっていないと、試合で選手が真剣に走っている姿を目にする機会はあまりないかもしれません。もし関心を持ったなら、一度生で見てみて、その速さを体感してください。わずか10秒の闘いがいかにすごいか、肌で感じてみてください。素晴らしい経験になると思いますよ。

                       幼児教育学科 出口英樹

2011年9月26日月曜日

水平線を目指して泳ぎたい!

 27歳のころ、私はユーロパスという、1か月や3か月の期限付きで一定料金さえ払えば鉄道や連絡船に乗り放題のパスを使ってヨーロッパに4か月近く行き、歩いたことがある。行きたいところは東西のヨーロッパ、けれど先立つモノはなく、ある町で観光したら、夜その駅で洗顔と歯磨き、眠りやすい服に着替えて夜行電車に乗って到着駅まで眠って移動する、つまり電車を移動兼宿泊でフル活用しながら貧乏旅行をしていた。

 ギリシアにも行った。アテネの古代遺跡、たとえばパルテノン神殿の宝物や美術品はイギリスやオランダ、スペインの列強帝国時代に大方奪われて返してもらえない廃墟の遺跡を訪ねた。 もともと歴史に疎く活動派の私は、ロマンも夢も燃え立たすことができず、やたら多い人と車と、その煤っぽさがすごい排気ガスと猛暑~光化学スモッグで煙る空気の悪さに閉口して、早々にエーゲ海クルーズの観光に鞍替えした。フェリーで都心から1時間も離れただろうか、濃紺から、真っ青、そしてエメラルドグリーンまでグラデーションしていく透明度の高い海に胸を躍らせ、水平線を眺めていると、青い空と海の間に小さな白い島がはめ込まれたようにして近づいてくる。海岸線に小高い山が迫ってその傾斜に白亜の壁とオレンジ色の屋根が密集してへばりついている、生活道路の、これまた白亜の道がグネグネとその家々の間を縫って大方は階段になって山を張りめぐらしている石畳の道路、それは息をのむ宝石のような島に着いた。

 ガイドの案内でその島はヒドラ島と教えられ、「このような海と山が急峻に迫る地形では、車は用をなさないので一台もない。代わりにロバが小高い傾斜に住んでいる人の生活必需品や人を乗せて運ぶ」と聞いた。その説明と生きている美術品のような島に、「絶対滞在をしなといけない」と誓った。寝台車でない列車で寝る生活はさすがに一週間もするとすこし堪えていたし、たまには張り込んで大地の上でそれもベッドで!個室のコテージで!それも自動車文明から汚染されていないこの長閑なパラダイスアイランドで!」と夢は膨らみ、早速自由時間に宿探しに行って即宿泊予約して船に戻って、荷物をまとめ、3、4泊していくことを告げガイドさんと別れた。エーゲ海クルーズは毎日運航しているのとパスはいつ使っても差支えないいから、こういうスケジュールの気まぐれが許されるのがいい。

 水着も首尾よく持ってきていたのでビーチに行って海と遊ぶ、しかし、困った。ヨーロッパの人達って男も女も子供も大人もシニアも、こういうリゾート地では全部すっぽんぽん、ひとつは目のやり場に困った。で、海に泳ぎに行こうと沖に10mも進むと、すぐ足がつかなくなる。泳ぎは中学の時以来、まともに練習していなかったため足がつかなくなると不安で呼吸と心臓が乱れ、足と腕の協調運動が乱れ、今にも溺れそうになってそれ以上遠くに行けない。素っ裸で水平線に向かって遠く泳ぐ老若男女を恨めしく見守りながら、ビーチから10mで後退をやむなくされ、砂の上でも脱ぐ勇気も自信もおおらかさもなく~本当は誰も見てない、気にしてないんだけど~1人居たたまれなかった。あんな美しい海を目の前にして10mより先に泳げない!その時の悔しさ、「水平線に向かって私も泳ぎたい!」私のプール通いが始まったのはそれからだ。初めてどのくらいたったかいつのまにか2kmをクロールで泳げるようになった。20年後の今、2.5kmを泳いだあと、25mの潜水5~10本を週に1~2回泳いでいる。目下の目標は、「空気ボンベなしで10m以上の水深でゆっくりお魚を見て泳ぎたい!」である。
ヌードビーチは? ウン十年前にチャレンジしちゃいました。目標を持ってチャレンジし続けるって、やっぱり楽しい!

            保健科学部 看護学科 老年看護・国際看護担当:黒野 利佐子

2011年9月19日月曜日

臨地実習の醍醐味

 今週から、保健科学部看護学科2期生(3年生)の本格的な臨地実習が始まりました。

 これは看護学を学ぶ上での最大の山場である看護を実践する実習です。学生の皆さんは、この実習を経て知識も技術も、また看護する人としても大きく成長することとなります。

 私は現在、病気の診断や治療過程にある対象を理解して看護を学ぶ実習(療養支援実習Ⅱ)で学生と一緒にベッドサイドに立っています。この実習指導はとても奥が深く、一緒に取り組めば取り組むほど私自身の人の捉えや、看護の偏りが明らかとなって、私も看護者として成長している過程が実感できます。

 臨地実習は大学内の授業や演習と違って、シナリオ通りに進むことはありません。学生は、指導を受けて看護援助の方法を詳細に計画し、準備を整え患者さんの前に立つわけですが、患者さんの想いや状況とかみ合わなければ勿論無理やり進めることはできません。まず多くの場合、学生はどのようにすれば患者さんに受け入れられるか、自分の計画を実行できる方法を考えます。その提案が断られると「どうしたらいいのか・・・」と途方に暮れます。ここでしっかり悩めると「患者さんはどう想っているのか?」と相手の立場に身を置いて考えることにつながります。自分なりに考えた患者さんの想いをご本人に伝えるとあら不思議、「せっかくだからやってもらおうか」となることも少なくありません。筋書きのないストーリーの部分が多く、臨場感あふれるダイナミックな学びです。

 看護援助の計画や準備段階に指導している私は、学生さんが壁にぶつかることも前提に含め、どうやったら学びにつながる関わりの場をつくれるか、長期的に、短期的に、そして瞬時に判断していきます。そんな中、常に危機感を感じているのは、学生さんが本来持っている能力や素質を活かせないことで、言い換えれば『芽を摘む』ということです。最近は、趣味のバラ栽培でも「この新芽摘んでも大丈夫?」と躊躇してしまう状況です。話は逸れますが、バラ栽培は教育と重なる部分が多く、1~2月までの寒い時期にどれだけ肥料が効果的に与えられたかで、その年の開花状況と成長が決まります。まるで臨地実習前の大学での教養・基礎科目の修得と同じように。





 学生の皆さんは真摯に看護の対象となる人に向かい学んでいます。その横にいる教員の私、こんな気持ちで取り組んでいます。


                                保健科学部看護学科
                                   岩切由紀

2011年9月12日月曜日

夏祭りが終わって

 夏祭りが終わり、静かな日曜の昼下がりにパソコンに向かって打っているが、これが教員ブログにアップされるのは、9月中旬と聞いている。よって、季節外れの内容になるとわかりつつ綴ることをお許しいただきたい。

 先週は、氏神神社の夏祭りがあり、町内を引き回しているだんじりが近づくとにぎやかな「コンコンチキチン、コンチキチン」のお囃子と手打ちが屋内にいても聞こえ、夏がきたと感じた。この手打ちは「大阪締め」と呼ばれ、私は小さいころは何と言っているかよく聞こえないまま真似をしていた。今は、メディアでも紹介され、「打ちましょ」シャンシャン、「もひとつ(もうひとつ)せぇ」シャンシャン、「いおうて(祝うて)三度」シャシャンシャン と声に出してできる。この「大阪締め」、日本三大祭りの一つの「天神祭」のあらゆる場面、場所で耳にする。「天神祭」の本宮の船渡御では、行きかう船で挨拶代わりに使われる。私は、「大阪締め」の由来は知らないが、受け継がれていってほしいと思っている。

 ところで、この「天神祭」の船渡御、「今年は○○が復活しました」、「今年は・・・」と言われ、年々変化し、規模が大きくなっている。その昔、諸事情で何度となく中断されてきたようである。私が記憶しているのは、オイルショックで中止したことである。今や奉納船が、日清食品やサントリー、アサヒビールのような企業だけなく、大学のものもある程多数大川を行き交う。また、奉納花火も盛大に打ち上げられる。2か所から打ち上げられるが、特徴は打ちあがったのを見るだけでなく、奉納船に乗った人が川に映し出されるのも楽しむため、さほど高くは打ち上げられないことである。


 話が氏神神社の夏祭りから「天神祭」へと展開したのは、大川近くに住む私にとって、1年の中で楽しみにしている行事だからである。今年は、平日であったため、昨年・一昨年のような賑わいほどではなかったけれども、曜日の巡り会わせが良い年に是非見てみませんか。大川にかかる橋からみると船も花火も見られていいと思うかもしれませんが、橋には真上から神様を見下ろしていけないと、ベニヤ板(今年はビニールシートだったが)を2か所立てられていますので、ご注意を。

2011年9月5日月曜日

ポプラの木

 風に吹かれ、すべての葉っぱがそれぞれの方向にパタパタとはためいている、そんなポプラの木を見るのが好きだ。自分の中の複雑で、簡単に言葉では言い表せない、せつなさや哀しみの気持ちを表してくれているようで。。。

 25年前のことである。私の親友がそれまで2年間、癌と闘いながら生活を続けていたが、ついにその年の12月に、病院でターミナルを迎えていた。「年を越せるかどうかわからない。」と主治医から言われていたが、彼女はもちろんそのことを知っていた。下旬に入り、年賀状を書く時になり、彼女へのカードだけが1枚残ってしまった。何と書いたらいいかわからなかった。必死でひねり出そうとするのだが、本音の言葉が出て来ない。しばらくして言葉を見つけるために、散歩に出てみた。K大学のキャンパス内を歩き、芝生の上に腰をおろして、もう葉っぱは落ちてしまっていたが、いつものお気に入りのポプラの木々をじっと見ていた。するとやがてその背後に、大きな夕陽がゆっくりと落ちて行った。家に帰ってすぐ机に向かい、「今、K大学のキャンパスで、あなたのことを想って、夕陽を見ています。」と書いた。新年に入り、彼女はその年賀状を気に入ったと言ってくれたが、それから数日後に訃報が届いた。

 ターミナルケアに加え、スピリチュアルケアというものも聞かれるようになった。あいまいで多義性のある“スピリチュアル”という言葉の意味について、今年はじっくりと考えたいと思っている。

看護学科 教職員 しろいひまわり

2011年8月29日月曜日

血小板抗原・抗体検査 -母子不適合妊娠-



 臨床検査技師として40数年、いくつかの仕事を今日までにしてきました。主たる研究分野は輸血・移植分野の仕事です。その中で今一番力を入れている血小板型の話を少ししたいと思います。
 止血に関与する血小板にも赤血球同様の血液型が存在します。今日では、国際的にHPA(human platelet antigens)と統一・命名され、表に示す通り1~17までの系が公認されています。高頻度抗原にはaが、低頻度抗原にはbがつけられて呼ばれています(aとb両抗原が公認されているものは1~5までと15の6つの系で残りの系はまだbのみしか公認されていません)。
 国際的には数年(およそ4年に1度)ごとの国際輸血学会、我が国では日本血小板・顆粒球型ワークショップ(会長:東京大学医学部附属病院輸血部の高橋孝喜教授)が日本輸血・細胞治療学会の開催に合わせてワークショップ会議を開催して、技術の向上と臨床の現状把握と関係者への周知を行っています。筆者は日本血小板・顆粒球型ワークショップの事務局長(事務局:神戸常盤大学保健科学部医療検査学科永尾研究室)として微力ながらお手伝いをしています。
 血小板抗体はHPAが母児間で異なることから新生児血小板減少症(nonatal alloimmene thrombocyto penia:NAIT)を、不適合輸血による輸血後紫斑病(post-transfution purpura:PTP)を起こしたりして臨床的に問題となることがあります。特に前者のNAITはしばしば第1子から起こるので少子化の今日でも問題となります。我が国ではHPA-3a抗体により水痘症を起こして数年の闘病生活の末に死亡した例、血小板数著減のために、通常の産道分娩が行えず帝王切開による分娩後、HPA適合血小板輸血を行い救命した例、高力価のHPA-4a、4b抗体保有例では児の血小板数が著減していたために、分娩後HPA適合血小板製剤の輸血を行った例が報告されています。一方、不適合を起こしていても、臨床症状が著明でないことからあまり気づかれることなく経過する例が多いので、その対応に我々関係者は苦慮しているのも事実です。このことを解消し、1人でも多くの患者さんを救うことを目的に、今日まで技術的な講習会や技術・臨床の話を交えた講演会の開催、書籍の作成等を行ったりしてHPAに関する啓発活動に努力を重ねてきました。
 今年は台湾で行われる国際輸血学会で、初めて「アジア地域の血小板型ワークショップ会議」を東大の高橋教授が中心になって行います。この事業を成功させることが日本の血小板抗原によるトラブルを解決する大きな原動力になると考え、私も事務局長として全力投球しています。

2011年8月22日月曜日

  先日米国在住の友人から、アメリカインディアンのシアトル酋長の言葉が送られて来ました。ご存じだかと思いますが、シアトルは19世紀の中頃、米国のワシントン州に住むインディアン・デュアミッシュ族の酋長でした。白人との土地争いの血なまぐさい抗争を避けるため、彼らの土地を白人に与えることに同意しました。勿論、シアトルと言う名前は現在もワシントン州の州都として残っています。
友人は今頃、何故、シアトル酋長が白人に土地を明け渡すときに白人に対して行ったスピーチを私に送ってきたのでしょうか?
  それは、東日本大震災とそれに引き続いて発生した原発事故を憂いて送ってくれたものなのでしょうか?原文はもちろん英語なので、訳したものを以下に書いてみました。

  「私達が子どもたちに伝えてきたように、あなた達(白人)の子どもたちにも
伝えてほしい。大地は私達の母。大地に降りかかることは、すべてわたしたち大地の子らにも降りかかるのだと。大地を傷つければ、その創造主に対する侮辱を重ねることになる。あらゆるものが繋がっている。
  私達はこのことを知っている。大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ。あらゆるものは、一つの家族を結びつけている血と同じように、繋がり合っている ―― 私達人間は命という織物を自分で織ったわけではない。私達はそのなかで、ただ一本のより糸であるに過ぎないのだ。
  生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸を慕うように、私達はこの大地を慕っている。もし私達(インディアン)がどうしてもここを立ち去らねばならないのだとしたら、私達が大切にしたようにこの土地を大切にしてほしい。
  美しい大地の思い出を、受け取ったときのままの姿で心に刻み付けていてほしい。そしてあなた達の子供のそのまた子供たちのために、この大地を守り続け私達が愛したように愛してほしい。いつまでも」

  19世紀以降、非白人国家の中で、白人の文明と社会を学び取り、近代化に成功した日本は、今その真価が問われようとしています。祖先から大事に継承してきた美しい大地を、子孫に譲り渡すことが出来ぬまで文明と言う名で汚してしまいました。
  今こそ、自然と対決するという思い上がった西欧的文明を改め、人類は自然の中で生かされているのだというインディアンと同じ思想である「人間は自然によって生かされている」という日本古来の大自然の前には、恐れひれ伏すという謙虚な気持ちに戻る時が来たのではないでしょうか?


2011年8月15日月曜日

なでしこジャパン監督の姿

 7月19日のサッカー女子ワールドカップで初優勝した「なでしこジャパン」の日本代表選手には、INAC神戸レオネッサからMVP に輝いた澤穂希(主将MF)や、PK戦でアメリカの第1キッカーのシュートを横っ飛びの右足でブロックした海堀あゆみ(GK)らの7名が選ばれました。表彰式終了後に選手達は日本サッカー協会が用意した「To Our Friends Around the World, Thank you for Your Support」のフラッグを掲げて場内を一周し、観客からは東日本大震災の支援の為に立ち上がった世界中の人々への感謝のメッセージと受け止められました。日本外務省の100年の仕事をしてくれたと評価する人もいます。PK戦直前の休憩中に佐々木則夫監督が、厳しい表情では無く、非常ににこにこしながら選手達に激励と指示を与えている姿が一瞬テレビに映し出されました。長年に亘る監督と選手の信頼関係から導き出された姿と思われ、来年3月に1期生を送り出す国試直前の教員の姿もこのように有りたいものと感じました。決して奢り昂ぶる事のない選手達の姿には世界中の人々から好感が持たれているようで、80歳を超える38年前の留学先のアメリカのボスからも私にお祝いメールが届きました。 
 
A Big Win: A Trophy of Joy, World Soccer Champion    
Women's Soccer Team of Japan, Frankfurt, Germany
             



                                           Y.A.

2011年8月8日月曜日

2011年3月11日。地震と大津波が東日本を襲ったあの日、病院で勤務中だった私は、本棚がカタカタと小さく揺れる音で異変に気づいた。間もなくテレビで大津波のニュースが流れ、あまりにも衝撃的な映像に血の気が引いたのを覚えている。
新聞、テレビやラジオで伝えられる被災地の状況は、私の想像をはるかに超えており、言葉にならない悲しみが込み上げてきて、涙が溢れた。

あれから4ヶ月が経った。
ふと気がつくと、もう梅雨が明け、大学キャンパス内にも夏の香りが漂い始めていた。










どんな状況であろうと、季節は巡る。それが自然の力なのだ。
私は、思わず、ある小説を手に取った。
「何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、
自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにどんなに石を敷きつめてみても、
芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――
春は都会のなかでさえもやっぱり春であった」  トルストイ『復活』

もう、夏が来ている。            

2011年8月1日月曜日

Change, Choice and Challenge

 本年4月、第4期生の新入生諸君と一緒に神戸常盤大学保健科学部医療検査学科に入学いたしました。今まで、公立医科大学を卒業後37年間の間に、国立大学5年、米国州立医科大学2年、私立医科大学5年、私立大学医学部5年、公立医科大学20年と数年ごとに職場を変えてきました。神戸常盤大学は、私にとって6度目のChangeです。

 数年間、同じ環境にとどまると、その場でできること、得られる知識と技術、そして数年後の自分の立場が見えてきます。植木や花でいえば、より大きく育てるため、より美しい花を咲かせるために、植木鉢をより大きいもの、栄養のある新しい土に、換えてやる必要が出てきます。そのまま放置すると、その環境での限界点に達してしまうからです。そのように意識したからばかりではないのですが、若い時代の私は、数年ごとに職場を換えてきました。職場環境を変えることは、新しい栄養と新たな人間関係の構築が可能となります。私にとってChange, Choice and Challenge『より高きものを求めて!』であります。

 しかし前任地では、計画したからではないのですが20年間も一つの職にとどまっていました。それなりに考え、新しい研究技術の導入などマンネリにならないように工夫を重ねては来たのですが、誰もが陥るスランプにあったのかもしれません。最後の数年間は教室からの英文業績は年間10篇以下に減少し、公的研究費も取れなくなくなりました。20年間は少し長すぎると気付いたため、アクティビティーが低くなる前に、人生最後になるかもしれないChangeをChoiceしてみました。明確な目標のない『青い鳥症候群』ではなく、生産性の高いbest choiceにしたいと考えています。

 前任地からは、私に名誉教授の称号を授与したといってきましたが、これから数年間はこれを忘れて、18歳の新入生諸君と神戸常盤大学のchoiceを楽しみながら、神戸常盤大学で新しいことにchallengeしてみたいと考えています。今は初夏の緑深まる季節、キャンパスが大変美しい神戸常盤大学です。近畿唯一の細胞検査士養成大学として、全国にその名前を知らしめたいと考えています。    
                                 医療検査科   覚道健一

2011年7月25日月曜日

バカボンとレデイ・ガガに想う

 小さい頃にテレビで見ていた「天才バカボン」。時々、最近はケーブルテレビのアニメチャンネルでも放映している。昔だったからよかったのかなあと思える場面がたくさんある。

 バカボンのパパ、バカボン、レレのおじさんだけでなく、おそらくその回だけの登場人物たちも、個性が際立っている。とにかくハチャメチャ。監禁、強盗、詐欺なんて刑事事件も盛りだくさん。ホンカン君?なんて拳銃撃ちまくり…。だけどそんな日常で起こる、非日常的な出来事の中に、バカボン一家のしっかりとした家族の絆が描かれている。

 最近来日していたレディ・ガガ。まぶたの上に大きな黒眼を描いたメークで報道陣の前に登場。またトーク番組に出演した際には、大きな黒い風船ドレスにすっぽり体を包み、足には何十センチもあるかの真っ黒のヒール、髪も高く結ってあり、全身で2m超え!というニュースもあった。

 来日中に放映されたレディ・ガガの特集番組では次のようなことが紹介されていた。この奇抜なファッションは当初周りに認められず、笑われた。それでも彼女は自分のしたいパフォーマンスをやりとおし、現在のブレイクにつながった。彼女は長くバーでピアノを弾いていた。ブレイクした今でも、彼女がその当時住んでいた質素なアパートで暮らしているらしい。

 バカボンのパパの名セリフ、あまりにも有名な「これでいいのだ」。レディ・ガガの生き方にも、この名セリフがぴったりとくる。独自の世界観があって、何かしっかりとした土台みたいなものがあるように思う。揺るぎない信念があり、そのための努力も惜しまない。そういった姿勢があるからかもしれない。もちろん最初からあるいはこれからもたくさんの人に受け入れられるとは限らないけれど。

 「これでいいのだ」とても不思議な言葉だ。力が抜けて少し気持ちが楽になる。だけどそれだけじゃない、何か“力”のようなものがそこにある。2011年度版自殺対策白書では、13年連続で自殺者が3万人を超え、若い世代の自殺者数が増える傾向にあるという。がんばれることもあれば、がんばれないことだってある。「これでいいのだ」老いも若きもしんどいなと思ったら、何も考えずちょっと休もう。

2011年7月18日月曜日

野良猫のお産

梅雨明けの暑い日曜日の朝早、隣に住む88歳の母からコールがあった。我が家の裏庭の物置の床下で「猫が子供を産んでいる」と少し興奮気味である。
 このところ、野良猫の増殖と糞害がご近所を悩ましている。我が家でも、あちこちガードをめぐらし、最近も裏庭で野良猫を見つけて「ネコの忌避剤」なるものを購入して庭に置いたばかりである。
 母が庭に出て背を屈めて床下を覗き、産まれたばかりの子猫を見ながら、「とけそうに小さくて死ぬかもしれない」と。そして「どうしよう」、「放っておくか」、「水でもやろうか」と言いながら、少々混乱気味である。
 私は、産まれたばかりだから「少し様子を見ようと」言う。
暫くして家人が見に行くと、親猫が塀のわずかな隙間から飛んで逃げたと言う。まだ子猫は床下にいるかもしれないが、親猫が連れにくるかもしれないから様子を見ることにした。1時間程して夏の太陽がギラギラと照り付けてきた頃、「死んでいるかもしれないな」「生きていたらどうしようかな」と考え、家人に頼んで床下を見てもらった。なんと子猫はいなくなっていた。親猫は、いつの間に「連れに」来たのだろう。くわえて連れて行ったのだ。
夕方、母の所に行くと「野良猫は偉いね」、「安全で、誰にも見られない、お産の場所を探しに来ていたのね」、「うちの裏庭は安全なのね」、「子猫はこの夏生きられるかな」と、ひとりで呟いている。少し嬉しそうでもあった。
 私は糞害と鳴き声に悩まされるので、野良猫を嫌って、何とかならないものかと思っていたが、今日は野良猫のお産から、「安らぎ」を貰ったのであった。

2011年7月11日月曜日

大人の遠足

先日久しぶりに山を歩いてきました。
山といってもハイキング程度の低山ですが、阪神間には六甲があり、気軽に楽しめるのがうれしいです。街の遊びを一通りしおえた30歳前頃から、山の魅力に取りつかれました。魅力は、やはり全身で感じる自然でしょうか。見る、嗅ぐ、触れる、聞く、味わう等、五感を通して心が洗われていく感じです。
最近こそは“山ガール”というものも一般化し、六甲も色とりどりウェアーに身をまとった若者が登っている姿を目にするようになりましたが、山の必須道具の地図とコンパスを持っているハイカーをほとんどみないのが気になります。
5月の下旬に行ったところは、阪急の甲陽園駅から甲山~北山貯水池~鷲林寺~観音山~奥池へのコース。ちょっとマイナーなコースですが、お目当ては岩と石仏です。筆者は小さいころからゴロンとした岩が好きです。親戚が高砂にあり、生石神社(http://www.isinohouden.com/)のご神体の岩のあるひんやりした空間が好きでした。その体験がベースにあると思うのですが、飛鳥の石舞台や苦楽園の越木岩、六甲の長峰尾根の岩など、太古からそこにあるものに思いを馳せ、空想するのが好きですし、それは今も続いています。甲山といえば神呪寺が有名ですが、神呪寺の近くに四国八十八か所参拝道という岩と石仏が並んでいるルートがあります。
ここは、ほとんど人とすれ違うことはなく、安らげる大好きなポイントです。だれがいつ作った石仏群なのか、多分、神呪寺を検索するとわかると思いますが、今はファンタジーにとどめています。ちなみに岩好きな人の集まる学会というのもあるのですよ(イワクラ学会:http://iwakura.main.jp/)。ちょっとディープそうな会なので、ホームページを見るだけにしていますが・・。石仏群を越え、北山貯水池・鷲林寺へ。この間も水辺あり、緑のトンネルありで安らげる道が続きます。歩いていると何やら甘い香りがしてきます。鷲林寺に行くまでにシトー会聖母修道院という所があり、修道院の方が売り物のクッキーを焼いているようです。甘い誘惑にかられながら鷲林寺へ、ここは線香の香りと、お経を唱える声が聞こえます。そしてここが観音山の登山口。3つのルートがありますが、パノラマコースを選びました。けっこう体を使うコースで3点支持(常に手2本、足2本のうち3本は使って登る)をしなくてはいけない場所が多く、短いながらも楽しめました。景観も抜群。

大好きな岩がごろごろしているところがあり、どうやらここが観音山の頂上。甲山と北山貯水池、京阪神や海がみえる抜群の景色。そして、ここでティータイム。甲陽園の『つまがり』で買ったプリンとコーヒーを沸かして、まったり休憩。まさに至福の時間・・・とゆっくりしてはいられない。西から強めの風に乗って黒い雲が流れてきました・・・山の天気は変わりやすい。荷物を撤収して、奥池へ。奥池から六甲に行くルートもあるのですが、今日はここまで。バスに乗って阪急芦屋川へ。
ちなみに阪急芦屋川周辺は、古いお店と新しいお店が混在していて結構楽しめます。陶器ショップや酵母にこだわったパン屋さん、バール、カフェ、和菓子屋さん等。陶器屋さんで、琥珀色のギヤマンのコップを買って帰りましたとさ。さあ、十分遊んだし明日からもがんばれそう。

看護学科通信制課程  西出順子

2011年7月5日火曜日

私のつぶやき

大きな声で思っている事を言ってみたいなー

大きな声で○○さーんって言ってみたいなー、

大きな声で○○さーん会いたいようーって言ってみたいなー、

大きな声で好きな歌を唄ってみたいなー、


かごの鳥? 歌を忘れたカナリア?


いえいえ、知らないことが沢山あり、いつまでも

大きく大きく羽ばたき進化し続けている私です。



2011年6月27日月曜日

支援の輪の中で

悪夢のような東日本大震災・大津波から早くも2ヶ月が経過しようとしている。
揺れの強さも、及んだ範囲も、十六年前に私達が経験した震災を大きく上回ったばかりか、これも経験したことのない大津波が破壊した町並みや田畑を容赦なく呑み込み、押し流し、根こそぎの原型をとどめないまでにしてしまった。小さい漁船だけでなく大きい船舶まで海岸線からはるか内陸まで運ばれ、建物の上に乗っかっている光景はただ驚きというほかはない。人心の被害が死者・行方不明を含めて阪神・淡路大震災の4倍を越えるという、まさかこんなことがと思うほどの悲惨さが繰り返し報道され、私たちの気持ちも救いようのない暗さに落とし込んでしまい、自然の力の無常過酷でその強大なことに、諦めに近い気持ちを抱かされたままの日々を送ることが続いている。
これらの惨状は世界各国で報道され、国境を越えて共感を呼び、すかさず色々な形の支援の申し出が続いていることが心強く、私たちの気持ちも幾分慰められ、明るさを取り戻すきっかけになっているのではなかろうか。ことに若い世代の間で人と人とのつながりが希薄になっていることに世間が憂慮している折しも、十六年前のあの災害に、驚くほどの数の若い人達のボランティアが各地から集まって、様々な形の手助けやいたわりを提供したことは今でも忘れられない大きな収穫でもあり、「日本の若者も捨てたものではない」との嬉しい発見があった。また混乱の最中、略奪や暴動が起こる気配もなく、助け合いながら冷静に難関に立ち向かう被災者たちの姿に、十六年前も、またこのたびも海外諸国から賛辞やエールが送られていることに、日本社会の健全さを新ためて見直すことが出来たのも不幸中の幸いであった。
ところで十六年前、私自信が被災者であった折、周囲からしきりにかけられた「頑張って!」という言葉に、妙に虚しさや負担を覚えた記憶がまだ残っている。善意からには違いない支援の言葉も行為も、場合と相手によっては難しい面もあると感じさせられている。
支援参加を志す各人が「何をなすべきか」「何が出来るか」をあれこれ模索する中に、少し風変わりな支援の試みがあることを偶然知った。それは、なすすべもなく打ちひしがれた被災者の人達が、平穏で幸せであった幼い頃を懐かしむ心に訴えて、慰め元気付けようというもので、
大学を出て身の振り方を考えるうち、木のぬくもりに魅せられて大工修行を志した若者がいて、木材に細工して万華鏡を作った。作り方を知る由もないが、その万華鏡はテレイドスコープ(ビー玉万華鏡)と呼ばれ、身の回りの風物を取り込んで、万華模様にして見る仕掛けになっていて、景色や草花、室内の造作、家具などもそれを通して眺めると万華模様にして見せるというものらしい。 何とか支援の輪に加わることができないかと考える傍ら、どんなことが効果的な支援かと受ける立場にも思いを馳せながら、いつの間にか万華鏡のあでやかな世界に迷い込んでいる私である。 他愛もない万華鏡がこんな風に被災者の心の支援にも役立つとは、あなたにとって少々意外かも知れませんが、それはそれとして何か得意とする技能を携えてあなたも支援の輪に加わってみてはいかがですか? 










作品 テレイドスコープ(ビー玉万華鏡)  岐阜県巨大公園にある万華鏡の内部

万華鏡のお問い合わせは
http://homepage2.nifty.com/zatsuboku/(雑木 LifeWorker様)

2011年6月20日月曜日

「エチオピア紀行」

 2011年、3月末、私はエチオピアのアジスアベバの空港に降り立った。2度目の訪問である。日本は大震災で悲惨な報に胸を痛めているこの時期、肩身の狭い思いでの出国だった。標高2400メートルの高地にある空港は、山歩きで鍛えた私の心臓が、どおりで急ぎ足や階段で、高鳴りが大きいと感じたのはそのせいかと、後で娘に聞いて知った。私の荷物は、小さな手荷物一つで、大きなトランクは頼まれた品で限度重量ぎりぎりに膨れ上がった。季節は初夏の日差しで、紫外線を肌で感じる。
エチオピアと聞いて、「裸足のアベベ」選手を思い浮かべる人以外、かつての私を含めてあまり知らない。彼はとうに何年も前に天国へと旅立ったと言うのに、、。この国の人々は多くが敬虔なクリスチャンで、マリア様やキリストを信じあがめている正教徒である。そして今もなお、住民の半数近くが裸足の国である。
 短い5泊7日の旅である。途中ドバイの空港で早朝の半日を過ごした。梅田の通勤電車の時間待ちの目の前に飛び込んでくる、エミレーツ航空の大きなドバイの写真、黄金の地の響きに、あこがれにも似た気持ちを抱くのは、キンキラ好きな私だけなのだろうか。だだっ広い派手な空港の中を、迷うことなく延々と歩き、アジス行きのゲートに向かった。前回は、物珍しさに立ち並ぶお店にも寄ってみたが、生活感のないショーウインドウや桁外れの0の数に、今回はひたすら休息をとることにした。
 
親は娘に弱いものだとつくづく思う。彼女はJICAからの派遣で、現地の人々の保健衛生、特に感染や教育に関する組織作りと定着に向けてのプロジェクトで、現在活動中である。アメリカの看護師と保健師の資格を持つ彼女は、専門員として、日本人医師をリーダーに、事務職の若い日本人女性とチームを組み、現地職員と共に仕事をしている。首都であるアジスアベバから更に飛行機で1時間の、バハルダールという田舎町が赴任地である。
 この娘に頼まれた食料や生活雑貨で、前回と同様、私のトランクは運び屋と化したのだ。現地は首都の地はともかく、何せ食料に不自由している。動物性蛋白は元より、豆類などの植物性蛋白も手に入らない。野菜や穀物も種類は少なく一定している。変化を好まないからだという。やっと最近1軒のお店で鶏肉や牛肉の冷凍した塊が手に入るようになった。卵や湖で獲れた魚も、日差しの中で並べて売られている。にわとりは比較的手に入り易いが、生きたまま棒に吊り下げ、少年が「要らないか?」と売りに来る。娘の友人数人で1頭の豚を買い、さばいて分け合ったお肉のかたまりが、冷凍庫に収まっていた。貴重品である。先生のお宅の庭と、JICAの事務所の庭は、前回と違い、菜園と変わり、緑黄色野菜をここで補っている。
人々は、ひたすら「インジェラ」を主食として、一日3食、好んで食べている。インジェラは、穀物を粉にしたものを練って、大きな石版でクレープ状に薄く焼いたもので、それをお絞りのように巻いたもので、主食である。灰色をしたスポンジのようで、手でちぎって、野菜を煮るかいためたようなものを上手に包んで食べる。それが彼らの食事で、それは来る日も来る日も変わることがない。隊員の頑強な若者も、食べているのに10キロ近くウエイトダウンするそうだ。慢性の栄養不足状態に陥るのだという。
 元に戻って、アジスの空港から、迎えにきた娘とホテルの車に乗り込んだ。親日的なホテルマンに心安らぐ。エチオピアの人たちは、概ね心優しく、日本人好きで争いを好まない。その夜は前回果たせなかったエチオピアンダンスを観に、娘の友人と女3人で繰り出した。首や肩の関節をカクカクとゆすり、頚椎がどうにかなりそうな激しい動きのダンスで、その独特な振り付けは、農耕する男女を描いていると、説明なしで私は確信した。ここエチオピアでしか見ることの出来ない、一見の価値ありのショーであった。お肉も使った高級なインジェラと地ビール3種と「タジ」と呼ばれる蜂蜜入りのワラのにおいのするお酒を、女3人で飲んだ。飛び入りでエチオピアンダンスを踊ろうかという勢いだった。

翌朝私たち親娘は、世界遺産で有名な「ラリベラ」へ飛行機で向かった。
途中、ゴンダール城の世界遺産も飛行機は寄ったが、ここは前回訪れた。ラリベラは「岩窟教会」として、NHKで特集番組でも放送され、国一番の観光地であり、観光客は欧米人が多かった。岩山を手で掘り抜き、教会の中は背の高い天井で、外にはキリスト教にちなんだ独特な文様が彫られていた。そんな教会がいくつも続く。圧巻は、立っている地面より下方の岩を繰りぬいた教会で、半年前に観光客が覗き込んで落下し、亡くなったとガイドの青年が教えてくれた。柵も何も無いのだ。16世紀、25年かけて天使が彫ったのだと彼は教えた。固く信じているようだった。本当はどれだけの人の手で、どれだけの歳月を要したのかと、気の遠くなる思いを馳せた。
キリストの聖地であるイスラエルへは巡礼して行くには遠く及ばない為、このラリベラを聖地として、人々は国中から、延々とひたすら時間をかけ、歩いて集まる。荷物を小さなロバの背中に乗せて。

 エチオピアは、この季節「ジャガランタ」という木に、一斉に紫の花が咲き誇り、良い香りを放っている。丁度日本の桜のように、最盛期は花一色で、徐々に葉が出てきて、そのうち花が終わり、みどり一色となる。そして、エチオピアは野鳥の宝庫である。色鮮やかでその種類の多さは世界に誇り、 人間を恐れない。「ブルーバード」その名の通り、青い鳥が群れになって飛び交っていた。ガイドの青年は、流暢な英語でエスコートしてくれた。私のデジカメをすっかり気に入って、あちこち自分で選んだ場所で、私たち親娘に構図をとって、シャッターを押してくれた。エチオピアの小学校の就学率は高く、90%に上ると言うのに驚いた。働いている子どもたちをよく見かけるからだ。途中で止める子が多いらしい。それまでは現地の「アムハラ語」で、中学2年から英語教育と切り替わり、大学へ進む決め手となるということだった。その夜は、ラリベラ一のホテル「マウントビュー」に泊まった。ベランダからの景色は、広大で、砂漠に緑が点在したと例えるのか、他は何もない。お月様だけが三日月だった。
 
翌日、ラリベラを後にして、娘の赴任先のバハルダールへと飛んだ。岩窟の山から下りてきた私はこの田舎町が妙に都会に思えた。ここは、人力車のような小型車が行き交い、自転車の青年も多かった。この町で女性が運転しているのは、娘が一人だそうで、走っていると確かに皆の目が私達を追う。
翌日、娘のフィールドの仕事先へ同行した。走ること1時間、中国が作った長い長い灌漑用水の川のお陰で、広大な茶色の砂漠のような土地に緑が蘇った。村には外国の援助で建てられた、れんがとセメントで作られた立派な学校や診療所の建物が集合していた。人々はわらぶきの小さな小屋が住まいである。診療所の前には、人々が地べたに座って、静かに順番を待っている。医師は居ない。現地のナースと薬剤師、検査技師が活動していた。5歳以下の小児の診察風景に同席させて貰った。肺炎の子や、足が感染して膨れ上がっている2歳位の子どもの症状を、分厚い大きなカルテに要領良く書き込んで、薬を処方していた。多分、親は何時間もかけて、抱いて歩いてここに連れて来たのだろう。
検査室は、がらんとした部屋の机の上に、電気を引いて裸電球をダンボールで囲み、熱でプレパラートを乾燥させていた。その横に顕微鏡が一つ。褐色の肌に白衣の似合う小柄の検査技師の女性が仕事をしている光景に、娘はとても感激していた。数ヶ月前に教えたが、その後なかなか機能していなかったのが、ようやく実を結んだということだった。見届けるまで、このような巡回が重要になってくる。別の建物の前のベランダでは、郡の保健局の職員のモハメッドが、彼は博士号もとっている人だが、住民の一番小さな40世帯の集団をまとめている「ケーソー」と呼ばれるボランテイアの人々を
前に、衛生教育をしていた。病気や医療のことの質問は時々娘に聞いていた。運転手のナビュウは、娘に英語で通訳してくれていた。炭素病や狂犬病で死んだ牛を食べて、人間も炭素病に侵された悲惨なカラーの写真を、A4のパウチにして、人々に配っていた。熱心にノートにメモっている人や、質問を次々にしていた。この巡回教育のお陰で、やっと最近は病気で死んだ牛を食べなくなったという。
ただ、そのまま放置するため、そこに生えた草を牛が食むので、また病気になる。住人の病気の症状は、絵入りのカードで、このケーソーの人に集まり、それを看護助手の人が集約し、ヘルスポストに集まり、病気の程度や種類でヘルスセンターへと上がり、情報の集約や、治療の対象となる。一人の看護助手が5000人を受け持つ計算であるという。このような仕組みづくりを、娘たちが始めたということであった。私はこの間、周囲を写真に収めるためにカメラを持ち動き回った。どこから湧いてきたかと思うほどの小学生の群れに、取り囲まれた。口々に「フォトフォト」と写真を撮ってくれという。そして見せてと、怒涛のように頭を突っ込んでくる。集まるかと思えば、こちらが動作すると、サッと散る。その繰り返しがしばし続いた。学校は休憩時間なのだろうか。子どもたちの目は一様に優しく、笑っていた。こうして私は、医師は居なかったが、医療の原点ともいえる現場と、元気な子どもたちの群れに囲まれるという貴重な体験をさせて貰った。



 私のエチオピアの旅も終盤で、「ブルーナイル」という山岳地にある滝を見に、1時間も砂埃のガタガタ道を娘は車を走らせてくれた。なぜかポーランド人が作ったという石の橋を通り、山道を登ったところに、幅の長い白い滝が目の前に広がった。また、タナ湖という琵琶湖の5、6倍の湖畔のレストランにも行ったが、ここもジャガランタの木が紫と緑で美しく、風にそよいでいた。そして、 忘れてはならないのは、コーヒーセレモニーである。これはコーヒーの国エチオピアの代表的なカスタムだ。豆を炒る、引く、直火にかけた壷のような容器を斜めにして沸騰させる。水の中に直接コーヒーを入れるが、斜めにしている為一箇所に沈殿し、そっと小さなカップに注ぐと良い香りが立ち込める。必ずポップコーンと一緒に供される。田舎も都会も皆同じスタイルである。コーヒー一杯、首都で飲むと5ブル、日本円で25円というところか。守衛さんの1ヶ月の給料が450ブル、お土産に買ったネクタイと同じ値段だ。こうして私の旅の終わりの日を迎えた。最後の晩餐ではなく、ランチをとったが、首都に最近出来た韓国料理屋さんで焼肉とビールで別れの祝杯をあげた。
 又来ることがあるだろうかと少しの感傷を秘めて、道路までしか送ることの出来ない娘を後にして、たそがれの空港へと一人入って行った。

2011年6月13日月曜日

私は、忙しい毎日に疲れたら現実逃避するために、ちょっとの時間を見つけて旅行に行き身も心もリフレッシュします。
最近では2泊3日弾丸トラベルでグアムに行き、チャモロ料理を食べてきました。これは「甘い!」。胃もビックリするし、小さな息子は「ステーキが食べたい。」と贅沢なことを言い出す始末で、2日目はかの有名なハードロックカフェへ。ここは映画好きの私たち親子には刺激的な場所でした。ターミネーターの原寸大模型や天井にはジェラシックパークさながらの恐竜の骨がぶら下がり、エイリアンたちもぞろぞろ。興奮気味のところに、なんとエルビスプレスリー?の登場。













極めつけはトイレの中。並んだ洗面台のガラスはジョーズの口で、入っていったら何匹ものサメに襲われているような錯覚におちいります。
ということで巨大なステーキを間食している暇もなく、この後、深夜にグアムを飛び立ちました。あー疲れた。次はどこに行こうかな。

2011年6月6日月曜日

 「同窓会のバラ」



 通信制課程の教室がある4号館前の植え込みには欅の大木が茂っている。厳冬の冬は枯れたように葉を落とし春はいち早く新芽をつける。早緑の美しさに見とれている間にぐんぐん葉が茂り、4月末には3階の研究室の窓はさながら緑のカーテンを引いたようになる。
 欅の木間には紫陽花、椿・バラ・つつじがそれぞれの季節を違えることなく花をつける。神戸常盤大学のキャンパスの此の場に根付き、年々歳々自身のありのままを淡々と生きているようだ。内緒にしていたが、時々花盗人になって小枝を折り研究室に頂戴するが、そのときは必ず「ごめん頂きます、ありがとう」と言い訳に挨拶している。
 昨年の初夏に、この欅の根元に一本のバラの苗木を植えた。昨年の夏は暑さが厳しく枯れるかと心配したが、学園祭の日にこのバラの産みの親である卒業生とともに、小さな芽を確認して喜びあった。このバラに「同窓会のバラ」と私が勝手に名前を付けている。
 2009年3月の卒業式は大雨だった。2007年に一緒に入学した学生の卒業で私にとっても始めての卒業式だった。県立文化体育館での祝賀会で、学位記を手にした卒業生の顔は安堵と自信と喜びに輝いていた。卒業までの苦労が思い起こされ、長い看護教員生活で幾度となく卒業生を送り出した私にも感慨深い祝賀会だった。祝賀会も終わり、退席する卒業生に同窓会からバラが一輪贈られる。教員が1人ひとりの卒業生に言葉をそえてそのバラを手渡す。その年の夏、「卒業式のバラが咲きました」と言って真紅のバラを一枝持って、卒業生が研究室を訪ねてくれた。聞けば祝賀会で貰ったバラが、帰宅すると花が折れていた。雨で和服の濡れるのを気にして花に注意がいってなかった。申し訳ない気がして庭に挿し芽した。それが根付いて花をつけたということだった。私はとても感動した。花頸の折れたバラに命をつなごうとした卒業生が愛おしく、一気にいろいろな思いがこみ上げたようだった。こんなに喜んでくれるなら、と卒業生は根付いたバラから再度挿し芽して、もう一株のバラを育て、昨年の初夏に鉢に移し替えて届けてくれた。研究室のクーラーは花に適さないと考えて花壇に鉢を下ろした。用務員の黒田さんに何としても育てたいと相談し、植え替えの時期を計っていただいた。今バラはしっかりと根付いており、根っこには新しい力強い芽が伸びて存在感を示している。もう直ぐ花をつける準備をしている。
 「先生、あの日花の頸が折れていなかったら、挿し芽をしようとは考えなかったと思うんです」その卒業生のことばである。神戸常盤の通信で学び、学ぶ事の出来る喜びと知る楽しさに励まされて卒業し看護師になり今の自分がある「学校のおかげです」と。困難にぶつかってもあきらめなかった自分への思いがバラの命をつないだということだろうか。
 この小さなバラの若木も深く根を張り、やがてずっと前からここにいるような顔で、季節には自分らしく花をつけるだろう。出勤時挨拶するのが習慣になった。ときわで学ぶ通信の卒業生の誇りと「ときわ人」の思いを明日につないでおくれ「同窓会のバラ!」と。




短期大学部看護学科通信制課程  高宮洋子

2011年5月16日月曜日

【頼れる診療所】

-中央アルプス木曽駒ケ岳の麓の村にある診療所を紹介します-



①診察開始時間 午前7時



学校や仕事を休むほどの症状ではない場合,
とても助かります.
診察が終わった後,遅刻せずに登校・出勤OK!

②24時間体制

  基本の診療時間はありますが,何時でも電話連絡をすれば診察を受けられます.
  深夜に子供の状態が急変して電話すると,確認されるのは診療所への到着時間だけ.
いつでも先生が準備をして待っています.

③入院施設完備
平屋建ての病棟に座敷部分があります.
子どもが胃腸炎などを起こして点滴を
受けるときにはそこへ入院します.
赤ちゃんが入院したら,お母さんが横で
添い寝できるので安心です.
  働いているお母さんには,子どもが退院する時,
「仕事が終わった後に迎えに来たらいいよ」と,
個人に合わせた時間で対応してくれます.
一般病棟では,寝たきりの方などに寝台車による送迎サービスがあります.

④待合室の楽しみ
  待合室にある本や雑誌,コミックの品ぞろえが豊富で新鮮,
本を読むだけでも行く価値があるほどです!
 病院がちょっと嫌いな子どもでも,絵本や漫画を楽しみに行くことができます.
  ちなみに本の選択は先生の役割らしい...

⑤充実したスタッフ
  看護師さんはもちろん事務方もベテランぞろい,対応は的確で迅速.
  目を見張るほどです.
  訪問看護・リハビリテーションもあります.

⑥先生は,いつも走っています。
  こんな素晴らしい診療所を経営しているお医者さん.
  どんな人かというと,いつも半そで白衣で走っています.
  訪問診療,集団予防接種,健診などで見かける時,いつも駆け足.
  いつ受診しても,そのいでたちのため,24時間白衣を着ているのかも…との噂(笑)

子育て中は特に心強い味方.
介護をしていても,安心して最後まで自宅で過ごせます.

2011年5月9日月曜日

知ることは楽しい

遅ればせながら、紙面をお借りして、東日本大震災で被災された皆様には、心よりお見舞い申しあげますとともに、一日も早い復興を心よりお祈り申しあげます。

さる4月6,7日に当大学では新入生の学外オリエンテーションがありました。
その活動の中で、各学科の学生と教員が混ざってのグループワークが行われました。
私が入ったグループは、司会をして下さった幼児教育学科の学生さんが活発に行動して下さり、その時の自己紹介で、まず、自分の趣味や長く続けていることを話されたのをきっかけに、他の学生も、我々教員も。私は今まで趣味として話したことのない、長く続けていることを1つ思いだし自己紹介に付け足しました。

それは、「サロン・ド・K」という知り合いの大学教授夫妻が趣味で開いている会に20年以上参加し、またお手伝いもしてきたことです。
この会は、「サロン」という言葉の本来の意味のもので、ただ食べたり、飲んだりしておしゃべりをしているものではありません。
医学系だけでなく、いろいろな分野の専門家に90分ほどお話ししてもらい、その後、演者と食事をしながらなんでも気さくに質問するという、講演会をもっと身近にしたようなものです。
素人が、何でも聞けるところがいいです。
縁者は大学の先生や企業のスペシャリストが多くなるのですが、音楽家、俳優、宮大工さんや卸売市場のメロンの専門家のような職人気質の方も・・・・。

この会は年に10回あるので、私は200以上のスペシャリストのお話を聞いたことになります。
このごろ思うことがありこの話を書きました。
それは、学生さんたちはインターネットで調べ、ネットでお話しするという方法が多くなっていると思われることです。
それもいいのですが、ネットだと自分の興味ある分野にかたよりがちです。
直にお話を聞くとその方の情熱が伝わってきます。
皆さん、本当に「自分の仕事が大好きで、自信を持っておられる」ことが。
また、好きなことを仕事にできて幸せに見えますが、自分に向いているのかどうかわからないままに、自分の仕事を深く深く深く理解するうちに大好きになっていった方があることも。
こういう分野を問わずお話をきいていると、自分には全く興味がないと思っていたことに引っ張り込まれたりしてまたおもしろいものです。
音楽音痴な私がオペラ専用劇場の建築の話を聞いたのをきっかけに、オペラを聴きに行くようになったのですから。
学生の皆さんにもいろいろな機会を利用して、分野に関係なくたくさんの方のお話に、直に触れていただきたいなと思っています。

医療検査学科 北野 悦子

2011年5月2日月曜日

逃げ場所

新年度が始まって約2カ月。
生活の環境が変化してもしなくても、新年度の慌ただしい生活の中での疲れがドッと出てきてしまう時期です。
そんなときに自由になれる時間が欲しい!!! と痛切に思うのですが、
なかなか日常と離れる時間を持つことは難しいです(――゛)

ここ10年くらい趣味で、ダイビングをしています。
ダイビング仲間の中には、医師や警察、看護師・・・といった24時間緊急での呼び出しのある職業や会社の重役さん達もたくさんいます。
その方達に、「なぜダイビングを趣味にしているのですか??」と質問をすると、多くの方から「海の中にいたら、呼び出しの電話もつながらないからね(笑)。強制的に日常から離れないとリフレッシュができない」との回答がありました。

確かに、携帯やメールで365日、24時間(こちらの都合はお構いなしで・・・)連絡が取れる時代になり、便利にはなったが、その反面、仕事と私生活の区切りが難しくなっているとも思います。

私もダイビングにはまったのは、海の生物を見たい!! という理由というよりは、海の中で浮かんでいて、日常とはかけはなれた空間、感覚が大好きだからです。

最近は、なかなかそのような時間を作ることも難しいですが、自分のためにもリフレッシュできる場所の大切さを、真っ青な海を見ながら改めて感じます。

2011年4月25日月曜日

Finding fault with others

入試によく出る英熟語の一つに“finding fault with others(他人のあら探しをする)”というイディオムがあります。
最近の日本人、ややもするとこの傾向に過ぎるのではないでしょうか?

京大での携帯カンニング事件を起こした受験生は「偽計業務妨害」容疑で逮捕されました。
スポーツ界では、八百長問題で日本相撲協会は嵐のようなバッシングをうけ、本場所が延期に追いやられました。
外国籍の市民から、数十万円の政治献金をうけた外務大臣が、その職を追われたことも記憶に新しいところです。
巷にあふれる週刊誌や、TVニュースは、こぞって著名人や芸能人のゴシップを挙げつらい、非難の集中豪雨を浴びせます。
もちろん、これらのことは「悪い事」ではありましょう。けれど、ここまで言及され、処罰されねばならないのでしょうか? 
ちょっと厳しすぎやすまいか?

社会の閉塞感が、他者への許容や思いやりを奪い去っているように思えてなりません。
一昔前の日本人は、自分と他人の区別は今ほど際だってはおらず、他者を受け入れる寛容(generosity)の精神構造がありました。

今回の東北・関東大地震で、未曾有の大災害に見舞われた日本。
今こそ、他人の痛みと苦しみを感じることのできる、日本人本来の精神を取り戻す、その時なのでしょう。

2011年4月18日月曜日

最近の教育観へ一言

 勉強や運動会などで競争により子供が傷つかないようにとの教育的配慮は、一見もっともらしく、仲良く平等を良しとする民主主義的教育と評価されています。しかし見方を変えれば、競争を罪悪視した画一化教育であり、差を認めないのは個性や才能の否定に通じるのではないでしょうか。


 人間は競争によってもまれ成長して自分の立つ位置を見出すもので、平等や優しさが過ぎると自分の生き方が分からず自立ができなくなります。競争なき社会は退廃し国家は滅亡する、競争は人間社会の原理なのです。互いに切磋琢磨する環境が精神力の強い人間を育て、それぞれ個性に合った生き方ができるのです。他人との違いを知ることにより自分を知ることができ、多様な価値観が生まれます。弱者への蔑みやいじめは競争が原因でなく、徳を軽んじ知に偏り過ぎた結果であり、人間としてあるべき姿を家庭や学校でしっかり教えなければなりません。


 核家族化による家族教育機能の喪失や少子化による過干渉、過保護により、若者は考えなくなり闘わなくなりました。平和な社会の中で敷かれたレールの上を仲良く皆で一緒に走る姿は、若者から個性や創造力を養う貴重な時間を失っています。感性を磨き、競争し挑戦する経験もなく、緊張感も責任感も自立心もないまま成人となる。一歩海外へ出たら、仲良く平等になんて甘い考えは通用しません。


 外国人とぶつかり自分の考えを正しい価値観で論理的に主張できなければ相手にされません。無競争、仲良しの無菌状態の教育からは、気骨のある志をもった真の武士や国際人は生まれません。  


 そこに今回の東日本大震災が起こりました。自然の力の前には人間はなすすべもなく打ちのめされましたが、今こそ、人間一人ひとりに何ができるのか、何をなすべきかを自ら問わねばなりません。人口減、少子高齢化、財政難そして今回の大震災と、今、日本は大きな試練に直面しています。過去二回の奇跡、すなわち明治維新と敗戦後の経済大国への発展には、夢に向かって必死に生きる若者や子供の姿があった。


 人間として果たすべき義務と役割の自覚を促す、柔軟な熱意溢れる教育があった。第三の奇跡には新しい時代をこじ開ける若者の力が必要です。その若者を育成する教育には何が必要なのか。我々に課せられた大きな宿題です

2011年4月11日月曜日

学生時代のボランティア活動

東日本大震災から1カ月以上が経ち、
少しずつ復興に向けて進んできているように感じています。
当大学からもボランティアセンターから炊き出しに行かれていましたね。
本当にお疲れさまでした。

少し、私の経験をお話させてもらいます。
私は、阪神淡路大震災の時は、神戸に住んでおらず、
被害の大きさや避難所での生活について、
ニュースでしか知りませんでした。
震災から5年が経ち、街も整備されたころ、
復興住宅でのコミュニティ作りを目的としたボランティア活動に参加し、
健康相談やレクリエーションを教員と一緒に行っていました。
学生だった私は、このボランティア活動に気軽に参加しました。
神戸の街が復興するとともに、震災があったことも風化していたのでしょう。
しかし、健康相談などに来られる方とお話することで、
被災することの意味を知りました。
街は整備されても、生活は元には戻りません。
何十年と暮らしてきた家も、家族も失う辛さ、
学生の私には、受け止めきれないものがありました。
お話を伺いながら、涙を堪えるのに必死だったことを覚えています。
私には何ができるのだろう。。。そんな気持ちでいっぱいでした。
復興住宅で新たな地域での生活に慣れることは、
容易なことではありません。
ましてや、コミュニティを形成していくのは難しい。
だからこそ、家に引きこもるのではなく、
学生の元気をもらうために行ってみようと思ってもらえるように、
月1回の活動に参加しようと考えるようになっていました。
卒業とともに、ボランティア活動は終わりましたが、
16年経った今でも、震災のお話をされると、涙ぐまれる方もいらっしゃいます。

被災体験というものは、最期を迎えるまで、心に残っていることを忘れず、
被災していないから、被災地を知らないから、というのではなく、
被災された方の思いを感じとれる感性を磨いていきたいですね。

2011年4月4日月曜日

ダイビング

3月11日に発生いたしました東日本大震災により、被災されました多数の皆様、及びご家族の皆様に対し、謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧・復興を心からお祈り申し上げます。

20年前のクリスマスイブ。私は粉雪舞う和歌山県串本の海で海洋実習を受けていた。ダイビングのライセンスを取得するためである。
何のリサーチもせず、“この時期は講習費が安い”というだけで申し込んだことに、とても後悔していた。
3mmのウェットスーツではすぐに体が冷えてしまい、水中では20分も我慢できない。
一緒に潜っているインストラクターは、余裕のドライスーツ(水がスーツ内に入ってこない冬用のスーツ)である。
あの日以来、私は温かい海以外のダイビングはしていない。
俗に言う「リゾートダイバー」である。
夏は沖縄、それ以外の時期には海外でと決めている。
ここ10年くらいは同じフィールドのダイビングショップを利用しているが、それまでは転々とスポット巡りをした。
日本では和歌山県の串本、沖縄県の本島を始め久米島、宮古島、西表島、渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島。海外はお決まりのサイパンそしてグアム、パラオ、モルディブ、フィジー、バリ… 




いろんな海を潜り、辿り着いたところが沖縄県慶良間諸島にある阿嘉島。
今の私にとって第二の故郷とも言える場所である。
やはりここの海は最高だ。海もガイドも実に繊細である。
砂地に這いつくばって体長5cmほどのハゼを撮影していても、上から潜行してくることもなく、砂を巻き散らかして泳ぐこともしない。
凶暴なサメに餌づけして、ゲストに見せることもない。
とにかくダイバーにも環境にも優しい。
ボートのアンカーリングを行う際にも、水中に潜りサンゴのないがれきにアンカーを置いてくるのである。
もちろん魚を集めるためだけの餌づけもしない
。人間としておごること無く、自然の生態系を守りながらゲストを楽しませる、“これこそプロの仕事だ”と、私はいつも密かにほくそ笑む。
この心地よさを求めて、今年もまた神秘な海に漂うのだ。

2011年3月28日月曜日

自然

神戸は、南に向かえば海が見え、北に向けば緑の山々が見えます。
そして、街の中のあちらこちらで季節の変化を感じることができます。
この環境が当たり前である方達にはどうかわかりませんが、都会で生まれ育った私には、驚きとともに感動を覚えます。
神戸にある本学も例外ではありません。

神戸常盤大学は広くはありませんが、自然環境に恵まれているとところが、私は好きです。
桜の花や銀杏の木は、皆さんも良くご存じだと思います。
 
毎年私が気にしているのは、入学式の日に桜の花がどのくらい咲いているかです。
また、幼稚園の桜の花を2号館の非常階段の上で見ると桜の花を横から見ることができます。
横から見る桜の花は、とても近くにあり見上げるのとは違って見えます。
そして、余り人が歩いていない緑風館の横の道が、ピンクの絨毯を敷き詰めたようになっているのも、とてもきれいだと思っています。
秋、銀杏の木は鮮やかに黄色に染まり、一瞬吹く強い風で吹き飛ばされた葉がまるで黄色い牡丹雪が舞っているように幻想的に見え、授業中でもしばし見とれてしまいます。
また、テニスコートの横の林に入ると、建物が余り見えず、テニスコートの学生の声が遠くなり、静かで聞こえるのは鳥の鳴き声と歩く時に踏みしめる落葉のカサカサという音、そして風が木々の間をとおりぬける時の葉っぱのこすれる音だけになります。
まるでハイキングに来ているような気分になれるので、寒い冬以外の季節はですが遊歩道をゆっくり歩くのが好きです。

授業もなく例年研究室にこもりがちな3月の今頃の自然はどうかしらと思い、買ったばかりのデジカメを持って花を探しながら散歩をしてみました。
すると、1時間くらいで20枚くらいの写真が撮れました。
三寒四温と言われる季節ですし、建物が点在している関係で日当たりの良し悪しもありますし、冬と春が混在しているように感じました。

緑風館を出て始めに気付いたのは、桜の花です。
もうすでに満開を過ぎていました。
次には、大輪の白い椿、赤い椿、ピンクの椿などです。
林の中では花ではありませんが、何種類かのドンクリ(本当はドングリ以外のクヌギやシイの実なのでしょうが、私には判別がつきませんのでご容赦下さい)を、研究棟のウラウンド側にはサザンカ(多分)を見かけました。そして、正門から駐車場への通路ではジンチョウゲの好い匂いがしていました。
また、緑風館の2階の庭園ではユキヤナギや満開のシダレウメが見られました。

日々の忙しい勉強や仕事の合間に少し周囲を見回してみませんか。
緊張がほぐれ、気持に余裕ができます。試してみて下さい。

2011年3月24日木曜日

「がんばろう! 日本」 すばらしい選手宣誓

東日本大震災発生から12日後の3月23日、
「がんばろう! 日本」をスローガンに、
第83回選抜高校野球大会が開幕しました。
その中でも開幕式の選手宣誓が素晴らしく、話題になっています。
おそらく後世に語り継がれることでしょう。

日本もまだまだ捨てたもんじゃないですね。

以下、全文を掲載させていただいておりますが、動画 を見るともっと感動します。

是非ご覧ください。


---以下全文----

宣誓。

私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。

「がんばろう! 日本」。

生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

平成23年3月23日
創志学園高等学校野球部 野山慎介主将

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2011年3月15日火曜日

地震発生後、Twitterで投稿された心に残るつぶやき

1人でも多くの方々に読んでほしい、少し元気になれるメッセージ集

「Pray for Japan」

これは、東日本大震災後、
栃木県の避難所にて、
停電のなか最初の夜を明かしている20歳の学生によって作られました。


例えば、こんな心温まるようなつぶやきが・・・

「子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、
順番が近くなり、レジを見て考え込み、
レジ横にあった募金箱にお金を入れて、
お菓子を棚に戻して出て行きました。
店員さんがその子供の背中に向けてかけた
『ありがとうございます』という声が、震えてました」
@matsugen


寒さ厳しい毎日ですが、心がとっても温かくなります。

是非、ご一読を!!

2011年3月7日月曜日

ワンコとの暮らし

日本はいまペットブームの真っ直中にあります。ちょっと歩けば動物病院あるいはペットショップや美容院があります。飼い主にとっては誠に便利な世の中になりました。
辞書で調べるとペットは、人間の生活圏に寄食していた動物が飼い慣らされたのが起源とされ,きわめて古い歴史があるそうです。古くは石器時代から犬がペットとして飼われ、そのお墓も残っているとのことです。
我が家にもペットのワンコがいます。家内はペットではなく、家族の一員と言います。今年の夏で7歳になります。犬の場合、7歳は人間で言えば40歳代に相当するようです。我が家のワンコは、家内を主人と思っているようで、私は、家内・犬の次に位置しています。ワンコからすれば、餌やお菓子をくれる人がご主人様なのでしょう。ちなみに、我が家のワンコは、家内が食事以外にお菓子などを与えるため、メタボの予備軍となっています。ところで私の存在が発揮されるのはと言いますと、朝の散歩の催促のときと仕事を終えて家に帰ってきたときだけです。
犬は病気になっても保険がききません。膨大な医療費がかかります。1~2ヶ月ごとに行く美容院でのカットとシャンプーの費用は、私の散髪代を遙かに超えるものです。家内に言わせるとカットする毛の量が違うので高くて当たり前だそうです。ワンコの服代も馬鹿にならないほど高くつきます。
このように贅沢(?)にしているワンコですが、我が家にとっては癒しの息子(オス)です。老夫婦となり二人だけの我が家では、ワンコが老夫婦の絆となっています。我が家のワンコがメタボにならず、何時までも元気でいてくれることを願うばかりです。

2011年2月28日月曜日

スポーツ大好きなんです・・・けれど・・・

私は子どもの頃からスポーツ大好き! 
とにかく汗をブルブルかきながら無心になれる
その瞬間に幸せを感じる人間です。
ところが数年前から同じ動きをしても滑らかさに欠け
「歳だから仕方ないかー」と思いつつ続けていましたが、
徐々に痛みを感じるようになり、時に歩行さえも辛くなることがありました。

「これはまずい!」と思い整形外科を受診、
ドクターから「あなたには何の治療もお薬もありません! 人工関節にする手術以外ないです。車椅子になりたくなければ、運動は一切禁止です。」な・な・なんと冷たいお言葉ドクターストップ!

「私運動してないとストレスが・・・」
けれどやはり歩けなくなるのは困るので、今は激しい動きをしないよう我慢の日々が続いています。
すると、なんと今まで頑張って保ってきた体型に変化が・・・ギョッ!
体脂肪も一挙に5%upです。
携帯に付いている歩数計を毎日チェックしていますが、
1日平均5000~6000歩程度。1日1万歩の目標達成にはほど遠い現状です。

このように運動したくても出来ない方、運動する時間なんて無いという方は、
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか? 

そこで

活動量計ってご存知ですか? 

今や歩数計より「活動量計」と言われています。
「活動量計」は身体のゆれを3次センサーで感知するしくみで、
座って話すなどのわずかな動きも計測して消費エネルギーを算出してくれます。

歩数計と比較すると日常生活の活動量をより正確に把握でき、
使い方も年齢・性別・身長・体重・体脂肪率・歩幅を設定し、
胸もしくは腰などに装着するだけの手軽さで、
生活改善による減量や健康維持に役立つと注目されているようで、
価格も4000円くらいからのお手頃価格です。


「タニタ:カロリズムスマート」23gと軽量で、マグネットやクリップで洋服に装着が可能。



「パナソニックデイカロリ」ダイエット目標体重を設定すると1日の消費カロリーの算出や時速何キロで何分歩くと効果的、等のアドバイスも出来る。



メタボに悩める皆様、健康に不安を感じるお年頃の皆様、
ご一緒に1度試してみてはいかがでしょうか?

参考

タニタ
パナソニック

2011年2月21日月曜日

母乳で子育て?人工乳で子育て?

 母乳で育った子供に虫歯が多いという報告があります。

びっくり!!じゃないですか?

だって、お母さんのお乳には免疫力を高める力もあるし

人工のものより

絶対いい!!って思いますよね

 ところが、ところが、

 赤ちゃんが、お母さんのおっぱいをくわえながら、寝ちゃう(可愛いけど・・)

 母乳の量が少なくて、あかちゃんの母乳を飲む回数が増える・・・

 赤ちゃんが、ぐずるとおっぱいをあげちゃう・・・

なんてことが、原因と言われています。

 

スキンシップからすると、

一大事!!って思いますよね。

 

でも!でも!

歯が生えていないお口の中には、虫歯菌は増えることができません。

じつは、身近な保育者から赤ちゃんへ虫歯菌はうつってしまいます。

だから!

 みなさん、ちゃんと歯磨きしましょう!!

 正しい歯磨きを覚えましょう!!

 一度プロにきれいにしてもらって、歯磨き効果のよいお口作りをしましょう!!

って、ことで・・・

口腔保健センター(神戸常盤大学付属歯科診療所:研究棟1階)で、受け付け中!


2011年2月14日月曜日


214といえば・・・!?

今日は・・・。そう、バレンタインday

と・いうことで、今日は世界のバレ

ンタインについて書いてみます。

まず、日本でバレンタインと言えば、思いつくのが“チョコレート”や“女子から男子へ愛の告白”といったところでしょうか。基本的に女子から男子へ贈り物をするというのが風習です。しかし、世界のバレンタイン事情を覗いてみると、日本とは少し異なるようです。例えば、アメリカではバレンタインデーに男の人から女の人に花やチョコレートやキャンディーをプレゼントするのが普通とのことで、女の

人から男の人にプレゼント、というのはあまり多くないそうです。フィリピンでは、男性から女性へ愛を伝える日となっており、バレンタインデーはクリスマスの次に重要なイベントだそうです。面白いものとして、韓国ではさらに、4月14日に「ブラックデー」というイベントがあり、このブラックデーという日は、バレンタインデーに何ももらえなかった男性が、韓国料理のチャジャン麺を食べて自分を慰めるという日になっています。

これだけ書いたのだから、今年のバレン

タインは男子から素敵なプレゼントが届くこと間違いなし!!と思っているのは私だけでしょうか・・・。[]

とにもかくにも、今日というこのよき日が、みなさんにとって幸多い1日となりますように・・・。



2011年2月7日月曜日

空が好き~

キャンパスに向かう時,誰もが歩く通称,常盤坂。
実は幼い頃から坂道,ハイキング,登山が苦手な私・・・
勤め始めた当初は,西代に,あるいは新長田に着いてからのひと踏ん張りがハードでした。

今でもハードなことには変わりないのですが,楽しみを見つけました!
私は随分と前から,ルートを変えて正門へと向かう道を歩くことにしました。
そこには西門へ向かう道にはない楽しみが・・・・
ついつい煙突と言ってしまいそうになる阪神高速の巨大な換気口?を目指すと・・・
お天気がいいと空の青さと木々の緑と綺麗に映ります。








車が通るので十分に注意しないといけないのですが,
この道は空の面積の大きさを感じることができて,気持もいい感じになれます。
坂を登り初めに首を右に向けると(左に向けると山側なのでだめです)・・・
視野に空がいっぱい入ってきます。








そして,最初のカーブに向かう頃に・・・つかの間のお空満喫~








カーブを超えるとこの楽しみがなくなるので,後はひたすら足元の白線を見ながら・・・
真上の面積の小さい空を見上げながら・・・・
息があがりかけつつ,最後まで登って行きます。
(登ると言ってもたいそうなことではなく,わずか5分程度のものですが・・・)

ちょうど数日前は,天気のいい満月で夜空も満喫できました。
坂道を下りながら写真撮影を試みたものの・・・・カメラの性能が耐えられませんでした。残念。
この季節は,南にオリオン座が探しやすいです。
月と換気口とオリオン座が並んで見えていました。
季節限定のオリオン座と季節に関係ない月のことを,勝手に私のお友達と呼んでいます~

(間違えずに探せる数少ない星だから。呼ぶくらいは自由でしょうし・・・・)

先日プラネタリウムで学んだ有名な冬の大三角形も目視確認しました~
オリオンは大きいのと小さいのと2匹の犬を連れているそうで,三角形ができるとのこと。
(オリオン座のベテルギウス・こいぬ座のプロキオン・おおいぬ座のシリウスの3つ)

天文学部出身でもなく,得意でもないので,書くにあたり調べなおしましたが。。。。

勝手にお友達と呼んでいた割には知らなかった。
おまけに,おうし座とふたご座も近くにいるとのこと・・・奥が深すぎる。
私は平野部の街中で生まれ育ったので,なかなか首を真上にせずに空を眺める機会がなく,
神戸に来るようになって以来,空を感じやすくなって満喫しています。

ちなみに,夜空はカメラが耐えられなかったので,少し前に撮った
始発電車に乗って着いた朝焼けの空を代わりに・・・・。







先ほどの換気口は,よそさまの物でありながら常盤のいい目印です。
なんとなく親しんでいるので一緒にパチリ。
朝焼けも素敵です~

ここ長田区から見る神戸の海は,六甲アイランドやポートアイランドがあるような東側の海とは異なり,
大型の船も結構近くを通っているのが見えます。
お天気が悪いとかすんでしまい,大きな空と一体化してしまうのですが,
対岸の大阪側がはっきりと見えるような日は,
行き交う船や神戸空港あるいは関西空港から飛び立つ飛行機も見えます。(飛行機好きな私~)
あ~~~~,夜空だけではなく,船や飛行機がちゃんと写るカメラを1つ買うべきだと・・・と思いました。(次回への課題です)

2011年1月31日月曜日

兵庫県は広い

兵庫県は広い!ですね。
瀬戸内海も日本海もあります!(当然といえば当然なのですが・・・)

今週、学生が実習でお世話になっている保育所に行って来ました。
まだ!雪が残っていて、先週なら雪だるまが溶けていなかったのに、
とおっしゃっていました。凍結防止のために水道の水を出しっぱなしにしていたら
1メートルほどの立派な氷柱(つらら)ができていたそうです。
その周辺は一谷ごとに10センチずつ雪の量が増えていくそうです。

氷柱、見たことありますか?
氷柱の保育所も来年度から幼保一体化になるとのことで、
今、大きくてきれいな建物を建設中だそうです。
所長先生は、新しい施設への引っ越し準備も急がなくちゃいけないし、
保育所は3月31日まで開けておかないといけないし、4月1日開園だし、と本当にお忙しそうでした。

十年位前だったか、幼保一体化になった施設に学生が実習でお世話になっていて、訪ねました。
その年は開園の初年度だったので、ものすごく大変そうでした。
でも、その建物はとっても素敵です。森の中に建っていて、ログハウス風です。
オゾンもたっぷり、居ながらにして森林浴ができるし、お花畑も畑も中庭にあります。
去年伺ったらびっくり!卒業生が園長先生になっておいででした。

あちこち回っていたら、思わぬところで卒業生に出会います。
みんな素敵な先生になっていて見違えるようです。わたしはというと、見違えるように・・・涙・・・。

それから、スタバの先生へ(リレーブログではないのにごめんなさい。)
「ユー・ガッタ・メール」というメグ・ライアンとトム・ハンクスの映画を思い出しました。
その映画の中で、スタバに行って注文するとき口が勝手に動いて、
自分の思い通りの(低脂肪乳入りでとかバニラシロップ入りでが、言えない)ものが買えない、
それどころかほしくないものを頼んでしまう、という場面がありました。
先生のブログを読んで思ったのです。
人間には2種類ある。スタバに行って思い通りの注文ができる人とそうでない人。



ところでこれを読んでくださっているあなた。あなたは、どっちですか?

2011年1月24日月曜日

コーヒー好きです。

といっても、豆の挽き方、焙煎の仕方等にこだわりがあるわけでもなく、
また産地にこだわりがあるわけでもなく、
思いつくまま気になったコーヒーを飲んでいるという、
ぬるいコーヒー好きです。

かつての私にとっては、コーヒーといえば明治のコーヒー牛乳であり、
コーヒーに牛乳を入れないでブラックで飲むのは、
疲れたサラリーマンのすることだと思っていたほど、
コーヒーに頓着がなかった私に変化が訪れたのは、
サンフランシスコに住んでいた友達を大学生の冬休みに尋ねた時のことです。

「お茶でもしよう」と連れていかれた場所は、
いまや日本のカフェ文化の王道であり、誰もが知るスタ-バックスコーヒー。
その香ばしく甘い香りが充満したイタリアンテイストの店内、
アメリカのフランクな感じも手伝って、
注文したトールラテを一口飲んだ瞬間、
身体いっぱいに広がる風味の虜になりました。
当時、日本にはまだスタバがなく、神戸に帰ってから、
サンフランシスコでそれはそれは美味しいコーヒーを飲んだことを家族や友達に自慢したものです。

それからというもの、
後に日本上陸を果たしたスタバの商品はほぼ全種類を制覇、
タンブラー購入はもちろんのこと、
「低脂肪乳で」とか「バニラシロップ入りで」というカスタマイズを楽しんだり、
タリーズやドトールコーヒーにも積極的に入るようになりました。
ついには、ネスプレッソのエスプレッソマシンを自宅に買って自宅カフェ。
「ヴォーノー」などと呟きながら、気分はイタリアのバルでした。気分だけですが。

その後ちょうどエスプレッソコーヒーに飽きた頃、
自宅近くの隠れ家的イタリア料理店に行った時に出てきたコーヒーにはまったんです。

ドリップなのに、夜飲んだら明後日ぐらいまで眠れなくなるのではないか
というような濃厚な味わいと深い香り。
店主に豆のメーカーを訊ねネットで調べてみたところ、
1948年からイタリアのナポリで製造している
「パッサラックア社のメハリコーヒー」 (HPはイタリア民謡が流れていて雰囲気満載)とのこと。

早速、教えてもらったお店で購入。
やっぱり深い味わい!私の朝のお供となりました。
しかも、そのパッケージもお気に入り、可愛らしいマスコットガールが舌を出しているんです。
でもよく見たら・・・日本でもこんな人形みたことありますよね(笑)

ちなみに、不二家のアイドル「ペコちゃん」誕生は1950年…
うーん、微妙だなあと思いながら、今日も濃厚な味わいを楽しんでいます。

2011年1月17日月曜日

“ケアリング”に思う

 本学の保健科学部の「教育研究上の理念、目的」の一つに、“トータルヒューマンケアの視点を身につける”とあります。また、看護学科の教育目標に「看護の対象の個別性・特性を尊重し、“ヒューマンケアリング”を行うことのできる能力を養う。」とあり、医療検査学科では「ト-タルヒューマンケアを身につける。」とあります。では、各学科において、“ケアリング”“ヒューマンケアリング”について定義や概念を学ぶ科目がどのくらいあるのでしょうか。教職員や学生はどのように認知しているのでしょうか。私自身、どのように認知し取り入れているか、十分ではないことを反省しています。

 私は、若い頃、“ケア”という用語を使うのは看護職だけだと無意識の中で思っていました。しかし、哲学者ミルトン・メイヤロフ(Milton Mayeroff)の著書「ケアの本質~生きることの意味~」に出会い認識を変えられたのです。

 「ケア」について、メイヤロフは、「ケアの本質~生きることの意味~」の〈序〉において、『ケアすることを一般的に記述すること、ケアすることがどのようにして全人格的な意義を持つか、その人の人生にどのような秩序づけを行うか』の説明を主題とし、ケアする経験、ケアされる経験について詳細に述べ、ケアの主要素として、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気を挙げて説明しています。

 ◇ケアとは;「一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。(略)相手が成長し、自己実現することをたすけることとしてのケアは、ひとつの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方であり、それはちょうど、相互信頼と、深まり質的に変わっていく関係とをとおして、時とともに友情が成熟していくのと同様に成長するものなのである。」
   「他の人をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、ケアする人は自身の生の真の意味を生きているのである。の世界の中で、私たちが心を安んじていられるという意味において、この人は心を安んじて生きているのである。それは支配したり、説明したり、評価しているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのである。」

 ケアは決して医療関係や看護の世界だけのものでなく、一般に母子関係や親子関係、友人関係、教育における教師と学生(生徒)の関係においてもいえることであり、ケアの対象は、常に特定の誰か、特定の何かという具体的なものです。

 看護学や教育学においてもケアリングの研究は進められ、発展しています。
 看護学では、マデリン・レイニンガー(Madeleine M Leininger)、ジーン・ワトソン(Jean Watson)、パトリシア・ベナー(Patricia Benner)など看護理論の展開のなかで説明している理論家は少なくありません。

 文化ケア理論の創始者であるレイニンガーは、文化人類学の手法を取り入れて患者とその家族の価値観や人間関係のあり方の研究をとおしてヒューマンケアリングを系統的に研究し、“ヒューマンケアリングこそが看護の本質である”と述べた最初の人として知られていて、レイニンガーは、「ケアは看護の真髄であり、看護の中心的、優先的で中心をなす焦点である」とする命題を提案しました。
 レイニンガーは、ケア、ケアリングを以下のように定義しています。

◇ケアとは、「人間の状態や生活の仕方を改良、改善するために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他者に働きかけ、または他者のために経験と行動を助け支援し、できるようにすることに関係した、抽象的なそして具体的な現象を指す」
◇ケアリングとは、「人の状態や生活の仕方を改良、改善したり、死と立ち向かわせるために、明らかにニードのある、またはニードがあると予想される他の個人や集団を助け、支援し、それができるようにすることに向けられた行為や活動を指す」
  →ケアは現象であり、ケアリングは行為・活動である。

 ワトソンは、ヒューマンケアリング理論の提唱者です。
 ワトソンは、「人と人との関係のなかでケアリングは成り立ち、ケアリングによって健 康がもたらされ、ケアリングを実践することが看護の目指すところである」と述べ、看 護のあるべき姿について論じています。

◇ヒューマンケア(human care)とは、「看護の道徳的な次元での理念」であり、「ヒューマンケアとは、感情とか、関心、心構え、人のためになりたい願望といったものではない。看護を道徳的理念から観た場合に、ケアといわれるのであって、そこにおいては、人間的尊厳を守り、高め、維持することが目的とされている。」

 ワトソンは、トランスパ-ソナルな関係性を重視し、近年では、ケアリング理論の基盤となるものを「トランスパ-ソナル、ケアリング」であると述べている。

◇トランスパーソナル(transpersonal:人間と人間のとの間の、または間人的、個人を超越したという意味)とは、人間対人間の間主体的な関係を指し、看護師という人間が、もう一人の人間に影響を与えると同時に影響を与えられる関係のことを言います。
◇トランスパーソナルケアリング(transpersonal caring)とは、「人と人との結びつきであり・・・お互いがお互いの人間の核心に触れ合うもの」と定義されています。


 ケア/ケアリングを行うには、単に感情’(優しさ)だけでは成立しません。メイヤロフ がいうように、知識・リズムを変えること・忍耐・正直・信頼・謙遜・希望・勇気などがそ こになくてはなりません。また、ワトソンが言うように、お互いの人間の核心に触れ合う結びつきでなければならないと思うのです。それは人間として、その上に看護専門職人として、教育者として・・・。
 看護学では重要な理論と考えられています。ケアリング理論の真髄が、「看護師が患者とともにそこにいる意味をを示すものであり、看護独自の専門性を支えるものである」というところにあります。

 難しいですね。私も、今、学習の途上で、十分にケアリングを伝えられません。
 学生の皆さん、一度ケアリングについて学習してみませんか?

★全学生(看護学科以外の学生の皆さんにも)の皆さんにお勧めです。
1)ミルトン・メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳、「ケアの本質~生きることの意味~」、ゆみる出版、2000.

★看護学科の学生、看護のケアリングに関心のある学生さんにお勧め
2)Ann Marriner-Tomey著、都留伸子監訳、「看護理論家とその業績」、医学書院、1991.
3)マデリン M. レイニンガ-著、稲岡文昭監訳、「レイニンガ-看護論~文化ケアの多様性と普遍性」 、医学書院、1995.(4900円+税)
4)Watson, J.著、稲岡文昭監訳、「ワトソン看護論~人間科学とヒューマンケア」、医学書院、1988.
5)Jaqueline Fawcett著、太田喜久子、筒井真優美監訳、「フォ-セット~看護理論の分析と評価」、医学書院、2008.(4000円+税)

★その他
6)Em Olivia Bevis、Jean Watson著、安酸史子監訳、「ケアリングカリキュラム~看護教育の新しいパラダイム」、医学書院、1999.(3800円+税))
7)中野啓明著、「教育的ケアリングの研究」、樹村房(発行所)、2002.