2011年8月8日月曜日

2011年3月11日。地震と大津波が東日本を襲ったあの日、病院で勤務中だった私は、本棚がカタカタと小さく揺れる音で異変に気づいた。間もなくテレビで大津波のニュースが流れ、あまりにも衝撃的な映像に血の気が引いたのを覚えている。
新聞、テレビやラジオで伝えられる被災地の状況は、私の想像をはるかに超えており、言葉にならない悲しみが込み上げてきて、涙が溢れた。

あれから4ヶ月が経った。
ふと気がつくと、もう梅雨が明け、大学キャンパス内にも夏の香りが漂い始めていた。










どんな状況であろうと、季節は巡る。それが自然の力なのだ。
私は、思わず、ある小説を手に取った。
「何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、
自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにどんなに石を敷きつめてみても、
芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――
春は都会のなかでさえもやっぱり春であった」  トルストイ『復活』

もう、夏が来ている。