2013年1月28日月曜日

一途に一心に、学び続けよう!!

 もうすぐ立春。日々は極寒の中、古の人々は、冬至を過ぎ、元日から小正月、節分へと、季節の移り変わりを節目に、来る春に思いを寄せてきました。そして春3月、本学は学位授与式を迎えます。看護学科では第2期生が巣立ちます。夏から秋の太陽の恵みを糧に、厳しい季節をやり過ごし、春を予感する冬芽のように、4年間の学修を終え、その日を迎えます。4年間の学びは、冬芽のごとく、厳しく時には辛いものであったかもしれませんね。しかし、卒業生は、看護学を学問として修め、的確な看護実践力を備えた、“ヒューマンケアのプロ”としての基礎力を身につけました。少し難しく言うと、正確な多くの知識とそれを基に予測することができる「認知的な領域」と「的確な技術の領域」、そしてそれらを統合して行為に移すための原動力となる姿勢(意欲)や態度といった「情意的な領域」。この三領域の能力を磨き統合する4年間であったといえます。卒業後は、この統合力をさらに磨き続けていかねばなりません。

 ちょうど昨年の今頃、日本中が一つの手術に注目しました。2012年2月18日に行われた、東大と順天堂大合同チームによる天皇陛下の冠動脈バイパス手術ですね。執刀されたのは、順天堂大学心臓血管外科の天野篤教授です。東大以外の医師が手術に携わるなど、異例中の異例ですが、天皇陛下は、見事にQOLを取り戻されました。天野先生は、心臓外科医として四半世紀以上、6,000人を超える手術を経験されていますが、その著書の中で、現在も、「もっといい手術ができるように、もう一歩、もう一歩」と、納得できるレベルを望む自分があることを述べられています。そして一途一心に、実践を積み重ねて中に、異常を察知し、苦境を乗り切り、新たな発見を導く感覚が磨かれてきたこと。また「回していた鍵の番号がすべて一致してカチッと開いたような瞬間」といった表現もされています。まさしく優れた医学的統合力の実践を、ひたむきにひたすらに継続されてきたことの証を述べられています。

 さあ、卒業生の皆さん(在校生の皆さんも)、4年間の貴重な大学生活を糧に、“一途に、一心に”、学び続けてください。ヒューマンケアのプロを目指して!!


2013年1月21日月曜日

私の駆け出しの頃の思い出(医者ともあろう者が)

 私は初め小児科の医者として将来は開業するものばかりと思っていたのですが、小児科の教授には内緒で微生物学教室の扉を叩いたのが運の尽きというか、それからはずっと微生物学という基礎医学と関わり合いを持つことになりました。また当時微生物学講座教授であった中井益代先生がとりわけ私をかわいがってくれたというか気が合ったのでしょうか、居心地の良い教室で自由に実験や研究をさせていただきました(研究ノート1参照)。

 国際学会などにも3回ほど連れて行ってもらいました。1回目はバンコクで、この時は中井先生がチュラロコン大学で講演があるのを幸いに、秘書さんを含めてほとんど教室員全員が教室費で行くことになりました。中井先生はわれわれの別行動を快くお許し頂き、リクリエーションと称してプーケット島というリゾートに行くことになりました。遊んだ後、バンコクで合流すればよろしいと言うことでした。途中、ピピ島という007のロケ地を訪れたりしてからプーケット島に戻りました。ケープ・パンワホテルというリゾートホテルに泊まることになり、そこからコーラル・アイランドというビーチまで渡船をチャーターして渡って遊ぶことになりました。その時の船員の一人が余りにも私に似ていたので同僚達は皆大笑いしたものです。コーラル・アイランドではバナナボートやパラ・セーリング、シュノーケリングなどを堪能しました。ホテルに戻ってからはダウンタウンまで行き買い物や食事をしました。帰りがけに店先で売っているフルーツ(ランプータン)を買いましたが表示された価格が1個の値段と思っていたものが実は1盛りの価格で紙袋一杯になり、ツクツクに乗り合わせて帰る際に皆で分けて食べても充分の量でした。食べかすは肥料にと途中の森の中に放っておきました。

 バンコクで指定したホテルに行くとロビーに講演を終えた中井教授がおられ、半日一緒に市内観光しました。夜は教授の友人で住職もしている方の経営するノーハンズ・レストラン・ギャラクシーという中華料理店で食事をすることになりました。名前の通りゲストの両脇に女性が付き料理を食べさせてくれる店なのですが、大勢の中からその女性二人を各人が選ぶ仕組みになっています。私は誰でも良いと言ったのですが、どうしても選ばないといけないことになり美人を2名選びました。ところがその美人は私の同僚の若い大学院生に付いてしまい、結局何のために選んだかが分からなくなってしまいました。食事後は隣接するクラブに連れて行かれましたが、ここでも踊っている女性を指名する必要がありました。仲の良かった大学院生は食事の時に付いてくれた一人が良いと急に言い出したものですから、またレストランに戻って探しましたが見当たりませんでした。こう言ったことで時間を費やしてしまい結局何もできないでホテルに戻りました。このクラブも先の住職が経営していると言うことで“医者と坊主は何とやら”を地でいっているような住職と教授?でした。

 2回目は香港での国際電子顕微鏡学会、3回目はクア・ルンプールでのアジア・太平洋電子顕微鏡学会と続きますが、こちらは次回お楽しみと言うことで。

2013年1月14日月曜日

進歩とは?

 2012年5月28日付新聞に音楽評論家の吉田秀和氏死去の記事が大きく出ていた。といってもクラシック音楽に興味のない方には記憶にないかも知れないが。私は子供の頃祖父の手回し式蓄音機でSP盤レコードをかけて遊んでいた、昭和30年頃のことである。その後ステレオ装置など機器の発展があり、昭和40年頃から本格的にオーディオに傾倒して、当時ベルリンフィルを指揮して脂の乗りきった時期のヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のドイツグラモフォンレコードを多く買ったものである。そして、LPレコードもPCM(pulse code modulation)録音したものからレコード化する方式が現れ、さらにデジタル信号のまま録音できるCDが現れて音楽再生芸術に大きな変革期をもたらすことになった。
 大きな進歩と思われたCDであるが、CD主流になってから再生音楽があまり楽しくない。透明感があり再現性も良いはずであるがレコードで得られた重低音に欠ける。高域もレコードより遙かにシャープであるにもかかわらず。
 CDは当時人の耳に聞こえる高域限界の20000Hzまで再現できれば良いとの考えから、AD変換のサンプリング周波数を44000Hzに設定してあり、再生周波数は22000Hzまでしかない。音域という点ではアナログレコードは山のように広い音域の底辺を持っているが、CDはビルのようにあるところからストンと落ちている。信号特性を考えてみてもアナログレコードは交差点を緩やかなカーブを描いて右折する車のイメージだが、CDはデジタル信号が微分されているため直角に曲がるイメージである。確かにメリハリがあるのは直角に曲がる方であろう。どうもこのようなところが微妙に影響しているように思う。丁度この記事を書いているとき(12/30)TVニュースで2012年はレコードの売り上げが増加したという報道をしていた。今やレコードはデジタル音源しか知らない人には新鮮な音らしい。
 1960年代からアンプはソリッドステート(トランジスタ)化が進み真空管アンプは国産のラックスや欧米製品を除いて姿を消ししつつあったが、音源がCDに置き換わってから、皮肉なことに歪みが大きいとかで評価されなかった真空管アンプが見直されてきた。 私がよく行く神戸のジャズ喫茶や東京出張時に寄る神田神保町のタンゴ喫茶「ミロンガ」もレコードと真空管アンプで気持ちの良い音を聞かせてくれる。プレーヤー、アンプ、スピーカーとも1960~70年代ものであるが、デジタルオーディオでは味わえない気持ちよさがある。
 冒頭であげた吉田秀和氏が朝日新聞に連載していた「音楽展望」というコラムがある。 芸術、文化、歴史、哲学を織り交ぜて軽妙な筆致で毎回これを読むのが楽しみであった。 亡くなる1年前の2011年6月26日の記事から一部を紹介したい。
「それはちょうどSPからLPに切りかわる時の話。ロンドンで私は当時日本の音楽好きの間でも評判の高かったLPプレーヤーを求めて、店に行った。そこの店員は私に自慢の最新式プレーヤーで試聴させてくれたあと、あれこれとその機械の長所を説明した。その説明は私を納得させた(私は自慢ではないが、機械のことは苦手である-今も昔も)。私はその機械を買うことにした。ところが、その店員はこう言い出した。『この機械は最も新しく、最も進んだもので当店の自慢の商品。いかに素晴らしい機能をもっているかは今ご自分でも経験した通り。しかし、これはまだできたばかりで、従来の商品と比べ、どんなにすぐれているかはよくわかっているけれど、進歩した半面、どこか悪いところ、不具合になったところができたかどうかはまだ誰もよく知らないのです。ものごとは、ある点で改良されると、それに伴って今までなかった不都合が生じるというのも、ありがちです。』
 これが有名なイギリスの保守精神の実例か、と私は思った。そうして、彼のいう最新最高の機械でなくて、その一つ手前の機械を買うことにした。
 何もイギリス人がみんなこうだと思っているわけではない。しかし、私はあの時、最新最良性能のものが最も望ましいものと受けとる習慣から抜け出す手がかりを持ったと思っている。」
 我々は、「進歩は善」と単純に思いこんでいないだろうか。進歩や新技術が招く災いもあることを、過去の教訓から学んでいないのではないか。特に若い世代にはこのような視点を持ってほしいと考える。

2013年1月7日月曜日

透明標本

 2013年、新しい年を迎えました。新年の必需品といえばカレンダーですね。一年間毎日見て過ごすのだからお気に入りを見つけようと、毎年年末になると書店や文具店を探し歩きます。研究室の今年のカレンダーは魚の透明標本カレンダー、アジやカワハギの骨格や皮が赤や青に染まって不思議な美しさです。最後のページにニワトリの透明標本があって、以前(といってもずいぶん昔のこと)していた実験のことを思い出しました。

 それはニワトリの受精卵から中身を取り出して育てるというものでした。取り出した卵をインキュベーターで温めながら毎日観察していくと、黄身の上のうっすらと白い胚に赤い点が多数現れ、やがてその点がつながって血管で出来た網目を作ります。丸い血管網の中心の小さな胚にもっと小さな赤い粒ができてやがて拍動が始まります。胚は少しずつ育って雛の形に近づいていきます。残念ながらその頃は羽化させることはできませんでしたが。

 話が逸れましたが、カレンダーを見ていてこの胚の骨の発育を確認するために、先輩が骨格標本を作っていたのを思い出したのです。私は染色をしたことがなかったので、少し調べてみました。骨格の染色では、硬骨にアリザリンレッドSという色素、軟骨にはアルシアンブルーという色素を使うそうです。アリザリンレッドSは金属イオンと結合して赤く発色する色素で、硬骨に含まれる金属のカルシウムを染色し、アルシアンブルーは軟骨に豊富な酸性ムコ多糖(サプリメントとしてよく耳にするコンドロイチン硫酸やヒアルロン酸など、糖質の一種)の硫酸基やカルボキシル基と結合する青い色素です。アルシアンブルーは病理検査にも使われる試薬です。標本を透明にするためには、筋肉などのタンパク質を分解するのだそうで、タンパク質のペプチド結合を加水分解するために水酸化ナトリウム水溶液など強アルカリで処理するか、トリプシンというタンパク分解酵素を使います。こうして見ると生化学でも出てくる化学の用語がいっぱい。生物の体を化学の目で見ると組織・器官ごとに特徴のあるいろいろな成分で成り立っていることが、またそれらを見つけるために様々な化学的な手法が用いられていることが分かります。