2011年8月29日月曜日

血小板抗原・抗体検査 -母子不適合妊娠-



 臨床検査技師として40数年、いくつかの仕事を今日までにしてきました。主たる研究分野は輸血・移植分野の仕事です。その中で今一番力を入れている血小板型の話を少ししたいと思います。
 止血に関与する血小板にも赤血球同様の血液型が存在します。今日では、国際的にHPA(human platelet antigens)と統一・命名され、表に示す通り1~17までの系が公認されています。高頻度抗原にはaが、低頻度抗原にはbがつけられて呼ばれています(aとb両抗原が公認されているものは1~5までと15の6つの系で残りの系はまだbのみしか公認されていません)。
 国際的には数年(およそ4年に1度)ごとの国際輸血学会、我が国では日本血小板・顆粒球型ワークショップ(会長:東京大学医学部附属病院輸血部の高橋孝喜教授)が日本輸血・細胞治療学会の開催に合わせてワークショップ会議を開催して、技術の向上と臨床の現状把握と関係者への周知を行っています。筆者は日本血小板・顆粒球型ワークショップの事務局長(事務局:神戸常盤大学保健科学部医療検査学科永尾研究室)として微力ながらお手伝いをしています。
 血小板抗体はHPAが母児間で異なることから新生児血小板減少症(nonatal alloimmene thrombocyto penia:NAIT)を、不適合輸血による輸血後紫斑病(post-transfution purpura:PTP)を起こしたりして臨床的に問題となることがあります。特に前者のNAITはしばしば第1子から起こるので少子化の今日でも問題となります。我が国ではHPA-3a抗体により水痘症を起こして数年の闘病生活の末に死亡した例、血小板数著減のために、通常の産道分娩が行えず帝王切開による分娩後、HPA適合血小板輸血を行い救命した例、高力価のHPA-4a、4b抗体保有例では児の血小板数が著減していたために、分娩後HPA適合血小板製剤の輸血を行った例が報告されています。一方、不適合を起こしていても、臨床症状が著明でないことからあまり気づかれることなく経過する例が多いので、その対応に我々関係者は苦慮しているのも事実です。このことを解消し、1人でも多くの患者さんを救うことを目的に、今日まで技術的な講習会や技術・臨床の話を交えた講演会の開催、書籍の作成等を行ったりしてHPAに関する啓発活動に努力を重ねてきました。
 今年は台湾で行われる国際輸血学会で、初めて「アジア地域の血小板型ワークショップ会議」を東大の高橋教授が中心になって行います。この事業を成功させることが日本の血小板抗原によるトラブルを解決する大きな原動力になると考え、私も事務局長として全力投球しています。

2011年8月22日月曜日

  先日米国在住の友人から、アメリカインディアンのシアトル酋長の言葉が送られて来ました。ご存じだかと思いますが、シアトルは19世紀の中頃、米国のワシントン州に住むインディアン・デュアミッシュ族の酋長でした。白人との土地争いの血なまぐさい抗争を避けるため、彼らの土地を白人に与えることに同意しました。勿論、シアトルと言う名前は現在もワシントン州の州都として残っています。
友人は今頃、何故、シアトル酋長が白人に土地を明け渡すときに白人に対して行ったスピーチを私に送ってきたのでしょうか?
  それは、東日本大震災とそれに引き続いて発生した原発事故を憂いて送ってくれたものなのでしょうか?原文はもちろん英語なので、訳したものを以下に書いてみました。

  「私達が子どもたちに伝えてきたように、あなた達(白人)の子どもたちにも
伝えてほしい。大地は私達の母。大地に降りかかることは、すべてわたしたち大地の子らにも降りかかるのだと。大地を傷つければ、その創造主に対する侮辱を重ねることになる。あらゆるものが繋がっている。
  私達はこのことを知っている。大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ。あらゆるものは、一つの家族を結びつけている血と同じように、繋がり合っている ―― 私達人間は命という織物を自分で織ったわけではない。私達はそのなかで、ただ一本のより糸であるに過ぎないのだ。
  生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸を慕うように、私達はこの大地を慕っている。もし私達(インディアン)がどうしてもここを立ち去らねばならないのだとしたら、私達が大切にしたようにこの土地を大切にしてほしい。
  美しい大地の思い出を、受け取ったときのままの姿で心に刻み付けていてほしい。そしてあなた達の子供のそのまた子供たちのために、この大地を守り続け私達が愛したように愛してほしい。いつまでも」

  19世紀以降、非白人国家の中で、白人の文明と社会を学び取り、近代化に成功した日本は、今その真価が問われようとしています。祖先から大事に継承してきた美しい大地を、子孫に譲り渡すことが出来ぬまで文明と言う名で汚してしまいました。
  今こそ、自然と対決するという思い上がった西欧的文明を改め、人類は自然の中で生かされているのだというインディアンと同じ思想である「人間は自然によって生かされている」という日本古来の大自然の前には、恐れひれ伏すという謙虚な気持ちに戻る時が来たのではないでしょうか?


2011年8月15日月曜日

なでしこジャパン監督の姿

 7月19日のサッカー女子ワールドカップで初優勝した「なでしこジャパン」の日本代表選手には、INAC神戸レオネッサからMVP に輝いた澤穂希(主将MF)や、PK戦でアメリカの第1キッカーのシュートを横っ飛びの右足でブロックした海堀あゆみ(GK)らの7名が選ばれました。表彰式終了後に選手達は日本サッカー協会が用意した「To Our Friends Around the World, Thank you for Your Support」のフラッグを掲げて場内を一周し、観客からは東日本大震災の支援の為に立ち上がった世界中の人々への感謝のメッセージと受け止められました。日本外務省の100年の仕事をしてくれたと評価する人もいます。PK戦直前の休憩中に佐々木則夫監督が、厳しい表情では無く、非常ににこにこしながら選手達に激励と指示を与えている姿が一瞬テレビに映し出されました。長年に亘る監督と選手の信頼関係から導き出された姿と思われ、来年3月に1期生を送り出す国試直前の教員の姿もこのように有りたいものと感じました。決して奢り昂ぶる事のない選手達の姿には世界中の人々から好感が持たれているようで、80歳を超える38年前の留学先のアメリカのボスからも私にお祝いメールが届きました。 
 
A Big Win: A Trophy of Joy, World Soccer Champion    
Women's Soccer Team of Japan, Frankfurt, Germany
             



                                           Y.A.

2011年8月8日月曜日

2011年3月11日。地震と大津波が東日本を襲ったあの日、病院で勤務中だった私は、本棚がカタカタと小さく揺れる音で異変に気づいた。間もなくテレビで大津波のニュースが流れ、あまりにも衝撃的な映像に血の気が引いたのを覚えている。
新聞、テレビやラジオで伝えられる被災地の状況は、私の想像をはるかに超えており、言葉にならない悲しみが込み上げてきて、涙が溢れた。

あれから4ヶ月が経った。
ふと気がつくと、もう梅雨が明け、大学キャンパス内にも夏の香りが漂い始めていた。










どんな状況であろうと、季節は巡る。それが自然の力なのだ。
私は、思わず、ある小説を手に取った。
「何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、
自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにどんなに石を敷きつめてみても、
芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――
春は都会のなかでさえもやっぱり春であった」  トルストイ『復活』

もう、夏が来ている。            

2011年8月1日月曜日

Change, Choice and Challenge

 本年4月、第4期生の新入生諸君と一緒に神戸常盤大学保健科学部医療検査学科に入学いたしました。今まで、公立医科大学を卒業後37年間の間に、国立大学5年、米国州立医科大学2年、私立医科大学5年、私立大学医学部5年、公立医科大学20年と数年ごとに職場を変えてきました。神戸常盤大学は、私にとって6度目のChangeです。

 数年間、同じ環境にとどまると、その場でできること、得られる知識と技術、そして数年後の自分の立場が見えてきます。植木や花でいえば、より大きく育てるため、より美しい花を咲かせるために、植木鉢をより大きいもの、栄養のある新しい土に、換えてやる必要が出てきます。そのまま放置すると、その環境での限界点に達してしまうからです。そのように意識したからばかりではないのですが、若い時代の私は、数年ごとに職場を換えてきました。職場環境を変えることは、新しい栄養と新たな人間関係の構築が可能となります。私にとってChange, Choice and Challenge『より高きものを求めて!』であります。

 しかし前任地では、計画したからではないのですが20年間も一つの職にとどまっていました。それなりに考え、新しい研究技術の導入などマンネリにならないように工夫を重ねては来たのですが、誰もが陥るスランプにあったのかもしれません。最後の数年間は教室からの英文業績は年間10篇以下に減少し、公的研究費も取れなくなくなりました。20年間は少し長すぎると気付いたため、アクティビティーが低くなる前に、人生最後になるかもしれないChangeをChoiceしてみました。明確な目標のない『青い鳥症候群』ではなく、生産性の高いbest choiceにしたいと考えています。

 前任地からは、私に名誉教授の称号を授与したといってきましたが、これから数年間はこれを忘れて、18歳の新入生諸君と神戸常盤大学のchoiceを楽しみながら、神戸常盤大学で新しいことにchallengeしてみたいと考えています。今は初夏の緑深まる季節、キャンパスが大変美しい神戸常盤大学です。近畿唯一の細胞検査士養成大学として、全国にその名前を知らしめたいと考えています。    
                                 医療検査科   覚道健一