2010年3月29日月曜日

まちの保健室活動

本学看護学科では、地域交流の一環として、はすいけディサービスを利用されている高齢者の方々を対象に、「まちの保健室活動」というボランティア活動を実施しています。
健康相談や時節のトピックス等を取り上げたミニ講話、レクリエーションなどの多彩な内容を組み入れ、高齢者の方々がいつまでもお健やかに、そしていつまでも住み慣れた地域で暮らしていただけることを願い、年に4~5回ではありますが、手作りの温かい雰囲気を大切に、地道に続けている活動です。

先日も、ボランティア員6名で、この「まちの保健室活動」に行ってきました。
この日は、アレンジメントフラワーの作成を通して「癒し」をプレゼントさせていただこうと…。
でも反対に、お花にも優る満面の笑みをプレゼントしていただきました。
そして、お別れの時、私たちボランティア員の姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくださったこと、癒されたのは私たちの方でした。心と心のふれあい…、これぞボランティアの素晴らしさですね…。

こんな心温まる瞬間を、私たちと一緒に分かち合いませんか?興味のある方は、どうぞお気軽に声をかけてください。
いつでも、大歓迎です。



  素敵な笑顔です    願いごとは「健康」… 


看護学科 谷口由佳

2010年3月22日月曜日

スケッチブック

小児看護学実習中に密かに楽しみにしていることがあります。
それはスケッチブックを開くこと。
スケッチブックには「こどもたちと学生の時間」が見える様に思うのです。


これは何歳のお子さんの絵でしょう?



入院しているこどもは非常に緊張が強く医師や看護師には勿論私たち実習生に対しても恐怖心があり「こんにちは」とあいさつに行くだけで泣き出したりお母さんの後ろに隠れてしまったりこちらを見ようともしてくれない事が殆どです。また病状や治療による苦痛が大きく、泣いたり暴れたりしている姿もよく見られます。

実習では乳幼児期のお子様を受け持たせて頂くことが多いので、実習を経験した学生さんなら「そうやった、そうやった!」と思い出すでしょう。これは発達途上にあるこどもだからこその反応であり、こどもが病気になるということ、入院するということ、治療を受けるということの影響がよくわかります。私たち小児看護従事者にはこどもの本来の姿を取り戻し発達を促す看護が求められています。

こどもの緊張や苦痛を緩和し主体性を取り戻す為に、実習中は遊びをきっかけに関わることが多くなります。お歌、絵本、折り紙、絵の具、粘土、トランプ、工作などなど。
なかでも大きなスケッチブックと色とりどりのクレヨンを使ったお絵かきは、安静が必要なこどもや点滴が身体についているこどもでも取りかかりやすく、実習1日目から2日目には学生とこどもが黙々と絵を描いている姿をよく見かけます。とても微笑ましいです。初めは両者とも緊張しているのだけれど、学生はこどもが描いたものを見て「これはなあに?」「上手に書けるね」と話し始めるきっかけを得、こどもは新しいものに興味を持ち自分で色を選び自由にできる喜びを感じながら学生の様子を窺っています。

そうやってこどもと学生は少しずつ近づき、学生はこどもの思いを知ろうとし看護を考え始めます。こどもは徐々に緊張が解け本来の姿を取り戻し持っている力を発揮し困難なことにも立ち向かい始めます。怖がっていた聴診器での診察を受けられた、嫌がっていた吸入を最後までお口を開けて自分でできた、苦いお薬を頑張って飲めた・・・小さな体で全力で取り組むその姿は何度見ても感動します。同時に、こどもたちの力を引き出そうと努力する学生達の姿にも心打たれます。
そんな場面を見てきたからそのきっかけとなった絵を見ることも好きになりました。描いたものにどんな思いが込められているのか、これを描いた時どんな気持ちだったのか、学生もきっと緊張しながら一緒に描いたのだろうなあ、ふたりだけで交わした言葉があるのだろう、ふたりだけに分かる時間があるんだなあ…と思うと胸がきゅーっとなるのです。

こどもと学生の合作

そんな私も10年前看護学生でした。
その時に出会ったお子さんに頂いた絵です。

私です→               

このお子さんとお母さんとの出会いがあり、
尊敬する看護師と実習指導者との出会いがあったから
私は小児看護の道を選び進んできました。
看護学生にとっての実習はその後の看護師人生に
大きく影響すると私は思っています。
どうか学生達が実習で充実した時間を得られるように、
また良き出会いがあるようにと願いつつこれからも
こどもと学生を見守り共に成長していきたいと思います。

看護学科 石井麻紀

2010年3月15日月曜日

先生からの葉書

1862年、ロンドンのとある劇場で80才の大女優がミュージカルに出演し、歌と踊りを熱演しました。
ところがそこでとんだ失敗を。
あとで彼女はこう言いました。

「人は何か新しいことに挑んだことを決して悔いるべきでない。―― 決して、決して、決して」
"One should never be sorry one has attempted something new—never, never, never."

…というエピソードが書かれた葉書が恩師から届きました。
失敗を恐れず新しいことに挑むべきだという叱咤激励のメッセージが伝わってきました。

初めて受けた授業から早25年。
恩師は変わらず温かくそしておっかないです。

2010年3月12日金曜日

能管との出会い

能管というのは、能の囃子に使用される横笛です。
 
初めて本格的にお能を観たのは、成人式の日でした。
演目は「三番叟 鈴之段」、演者は茂山千五郎(現 狂言の人間国宝 千作)さんでした。
それはそれは素晴らしい舞台で、一度でその魅力の虜なりました。
三番叟はその後何度か観ましたが、あの気迫・力量に勝る舞台にはまだ出会っていません。
同時に囃子の中でも、笛の音が心に響きました。
やがてお稽古に通い始めましたが、始めは音が出ません。
闇雲に息を吹き込むばかりで、終いには頭がくらくらしてしまいました。
今でも歌口の角度が悪いと、少しも良い音を出してくれません。
サボってばかりなので、ご機嫌斜めです。
少し性根を入れて、お稽古しなければーーーー。

※ 能管の仕様
  本体は矢竹です。
  これを黒く染め縦割りにし、内径がきれいな円になるよう表皮を内側に組んで、
  ひっつけます。
  歌口(息を吹き込む穴)と7つの指穴を開ける。
  歌口と指穴の間を切り、喉竹を入れ(能管独特)薄板で補強し、籐(樺)で巻く。
  頭部分を付け、黒漆を塗った後艶消しをする。
  頭の内側に重りの鉛を入れ、密蝋で封じて完成。



(「能楽囃子体系」 (財)日本伝統文化振興財団 
P.27笛図)

2010年3月3日水曜日

白い歯は美人の象徴―中国における歯の社会史―

 中国・唐時代の詩人杜甫に「哀江頭」という詩がある。この中で安禄山の乱により
非業の死をとげた楊貴妃を哀悼して「明眸皓歯、今いずくかに在る(かがやくひとみ、
ましろき歯、今いずこ。吉川幸次郎訳)」と詠じている。ひとみと、皓歯、すなわち白い歯
が美人の象徴として用いられている。
 このような表現は中国の文学的伝統である。時代をさかのぼってみていくと、三国
時代魏の曹植「洛神賦」に「丹唇は外にあきらかに、皓歯は内にあざやかに、明眸は
善くながしめし、靨輔(読みはようほ)(えくぼ)は権を承く」とある。 次に、後漢時代、
傅毅(ふき)「舞賦」に「般鼓をかえりみては則ち清眸をあげ、哇咬(あこう)を吐いては
則ち皓歯をあらわにす」、また前漢時代、司馬相如(しばしようじよ)「美人賦」に「蛾眉
皓歯」、同「上林賦」に「皓歯粲爛」、枚乗(まいじよう)「七発」に「皓歯蛾眉」、とある。 
戦国時代では「曼理皓歯」(『韓非子』揚権篇)、「朱唇皓歯」(『楚辞』大招篇)とある。 
以上のように、白い歯は、明眸以外に赤い唇や蛾眉(蛾の触覚に似せて描いた眉)、
きめ細かい肌とともに、美人の一要件であり、美人の象徴であった。この表現は戦国
時代までさかのぼる。
 また一方、同じ戦国時代で、徳のある人物の描写に「真珠が並んだような歯」(『荘子』
盗跖篇「唇は激丹のごとく、歯は斉貝のごとく、音は黄鍾にあたる。」)という表現がなさ
れている。美人だけでなく男性の美称表現でもあったのである。
 古代中国社会においては白い歯に大きな価値がおかれていたことがわかる。
 そのため、人々は歯の健康とともに白い歯を保つことを心がけていた。虫歯や歯周病
と並んで歯の黄ばみや黒ずみの治療法もあり、桑の黄色の皮を酢に一晩漬けた液で七
回洗う、というものであった(日本・丹波康頼『医心方』巻五、治歯黄黒方に引く『新録方』)。
桑の黄皮の薬効は不明であるが、歯を白くするのに酢を用いることは今日でもある。しか
し、強い酸性の酢は歯を溶かすことによって白くしているのであるから、歯の健康にとって
決してよいことではない。昔も美人は苦労していたのである。

医療検査学科 大野 仁