2010年3月3日水曜日

白い歯は美人の象徴―中国における歯の社会史―

 中国・唐時代の詩人杜甫に「哀江頭」という詩がある。この中で安禄山の乱により
非業の死をとげた楊貴妃を哀悼して「明眸皓歯、今いずくかに在る(かがやくひとみ、
ましろき歯、今いずこ。吉川幸次郎訳)」と詠じている。ひとみと、皓歯、すなわち白い歯
が美人の象徴として用いられている。
 このような表現は中国の文学的伝統である。時代をさかのぼってみていくと、三国
時代魏の曹植「洛神賦」に「丹唇は外にあきらかに、皓歯は内にあざやかに、明眸は
善くながしめし、靨輔(読みはようほ)(えくぼ)は権を承く」とある。 次に、後漢時代、
傅毅(ふき)「舞賦」に「般鼓をかえりみては則ち清眸をあげ、哇咬(あこう)を吐いては
則ち皓歯をあらわにす」、また前漢時代、司馬相如(しばしようじよ)「美人賦」に「蛾眉
皓歯」、同「上林賦」に「皓歯粲爛」、枚乗(まいじよう)「七発」に「皓歯蛾眉」、とある。 
戦国時代では「曼理皓歯」(『韓非子』揚権篇)、「朱唇皓歯」(『楚辞』大招篇)とある。 
以上のように、白い歯は、明眸以外に赤い唇や蛾眉(蛾の触覚に似せて描いた眉)、
きめ細かい肌とともに、美人の一要件であり、美人の象徴であった。この表現は戦国
時代までさかのぼる。
 また一方、同じ戦国時代で、徳のある人物の描写に「真珠が並んだような歯」(『荘子』
盗跖篇「唇は激丹のごとく、歯は斉貝のごとく、音は黄鍾にあたる。」)という表現がなさ
れている。美人だけでなく男性の美称表現でもあったのである。
 古代中国社会においては白い歯に大きな価値がおかれていたことがわかる。
 そのため、人々は歯の健康とともに白い歯を保つことを心がけていた。虫歯や歯周病
と並んで歯の黄ばみや黒ずみの治療法もあり、桑の黄色の皮を酢に一晩漬けた液で七
回洗う、というものであった(日本・丹波康頼『医心方』巻五、治歯黄黒方に引く『新録方』)。
桑の黄皮の薬効は不明であるが、歯を白くするのに酢を用いることは今日でもある。しか
し、強い酸性の酢は歯を溶かすことによって白くしているのであるから、歯の健康にとって
決してよいことではない。昔も美人は苦労していたのである。

医療検査学科 大野 仁