2011年9月26日月曜日

水平線を目指して泳ぎたい!

 27歳のころ、私はユーロパスという、1か月や3か月の期限付きで一定料金さえ払えば鉄道や連絡船に乗り放題のパスを使ってヨーロッパに4か月近く行き、歩いたことがある。行きたいところは東西のヨーロッパ、けれど先立つモノはなく、ある町で観光したら、夜その駅で洗顔と歯磨き、眠りやすい服に着替えて夜行電車に乗って到着駅まで眠って移動する、つまり電車を移動兼宿泊でフル活用しながら貧乏旅行をしていた。

 ギリシアにも行った。アテネの古代遺跡、たとえばパルテノン神殿の宝物や美術品はイギリスやオランダ、スペインの列強帝国時代に大方奪われて返してもらえない廃墟の遺跡を訪ねた。 もともと歴史に疎く活動派の私は、ロマンも夢も燃え立たすことができず、やたら多い人と車と、その煤っぽさがすごい排気ガスと猛暑~光化学スモッグで煙る空気の悪さに閉口して、早々にエーゲ海クルーズの観光に鞍替えした。フェリーで都心から1時間も離れただろうか、濃紺から、真っ青、そしてエメラルドグリーンまでグラデーションしていく透明度の高い海に胸を躍らせ、水平線を眺めていると、青い空と海の間に小さな白い島がはめ込まれたようにして近づいてくる。海岸線に小高い山が迫ってその傾斜に白亜の壁とオレンジ色の屋根が密集してへばりついている、生活道路の、これまた白亜の道がグネグネとその家々の間を縫って大方は階段になって山を張りめぐらしている石畳の道路、それは息をのむ宝石のような島に着いた。

 ガイドの案内でその島はヒドラ島と教えられ、「このような海と山が急峻に迫る地形では、車は用をなさないので一台もない。代わりにロバが小高い傾斜に住んでいる人の生活必需品や人を乗せて運ぶ」と聞いた。その説明と生きている美術品のような島に、「絶対滞在をしなといけない」と誓った。寝台車でない列車で寝る生活はさすがに一週間もするとすこし堪えていたし、たまには張り込んで大地の上でそれもベッドで!個室のコテージで!それも自動車文明から汚染されていないこの長閑なパラダイスアイランドで!」と夢は膨らみ、早速自由時間に宿探しに行って即宿泊予約して船に戻って、荷物をまとめ、3、4泊していくことを告げガイドさんと別れた。エーゲ海クルーズは毎日運航しているのとパスはいつ使っても差支えないいから、こういうスケジュールの気まぐれが許されるのがいい。

 水着も首尾よく持ってきていたのでビーチに行って海と遊ぶ、しかし、困った。ヨーロッパの人達って男も女も子供も大人もシニアも、こういうリゾート地では全部すっぽんぽん、ひとつは目のやり場に困った。で、海に泳ぎに行こうと沖に10mも進むと、すぐ足がつかなくなる。泳ぎは中学の時以来、まともに練習していなかったため足がつかなくなると不安で呼吸と心臓が乱れ、足と腕の協調運動が乱れ、今にも溺れそうになってそれ以上遠くに行けない。素っ裸で水平線に向かって遠く泳ぐ老若男女を恨めしく見守りながら、ビーチから10mで後退をやむなくされ、砂の上でも脱ぐ勇気も自信もおおらかさもなく~本当は誰も見てない、気にしてないんだけど~1人居たたまれなかった。あんな美しい海を目の前にして10mより先に泳げない!その時の悔しさ、「水平線に向かって私も泳ぎたい!」私のプール通いが始まったのはそれからだ。初めてどのくらいたったかいつのまにか2kmをクロールで泳げるようになった。20年後の今、2.5kmを泳いだあと、25mの潜水5~10本を週に1~2回泳いでいる。目下の目標は、「空気ボンベなしで10m以上の水深でゆっくりお魚を見て泳ぎたい!」である。
ヌードビーチは? ウン十年前にチャレンジしちゃいました。目標を持ってチャレンジし続けるって、やっぱり楽しい!

            保健科学部 看護学科 老年看護・国際看護担当:黒野 利佐子

2011年9月19日月曜日

臨地実習の醍醐味

 今週から、保健科学部看護学科2期生(3年生)の本格的な臨地実習が始まりました。

 これは看護学を学ぶ上での最大の山場である看護を実践する実習です。学生の皆さんは、この実習を経て知識も技術も、また看護する人としても大きく成長することとなります。

 私は現在、病気の診断や治療過程にある対象を理解して看護を学ぶ実習(療養支援実習Ⅱ)で学生と一緒にベッドサイドに立っています。この実習指導はとても奥が深く、一緒に取り組めば取り組むほど私自身の人の捉えや、看護の偏りが明らかとなって、私も看護者として成長している過程が実感できます。

 臨地実習は大学内の授業や演習と違って、シナリオ通りに進むことはありません。学生は、指導を受けて看護援助の方法を詳細に計画し、準備を整え患者さんの前に立つわけですが、患者さんの想いや状況とかみ合わなければ勿論無理やり進めることはできません。まず多くの場合、学生はどのようにすれば患者さんに受け入れられるか、自分の計画を実行できる方法を考えます。その提案が断られると「どうしたらいいのか・・・」と途方に暮れます。ここでしっかり悩めると「患者さんはどう想っているのか?」と相手の立場に身を置いて考えることにつながります。自分なりに考えた患者さんの想いをご本人に伝えるとあら不思議、「せっかくだからやってもらおうか」となることも少なくありません。筋書きのないストーリーの部分が多く、臨場感あふれるダイナミックな学びです。

 看護援助の計画や準備段階に指導している私は、学生さんが壁にぶつかることも前提に含め、どうやったら学びにつながる関わりの場をつくれるか、長期的に、短期的に、そして瞬時に判断していきます。そんな中、常に危機感を感じているのは、学生さんが本来持っている能力や素質を活かせないことで、言い換えれば『芽を摘む』ということです。最近は、趣味のバラ栽培でも「この新芽摘んでも大丈夫?」と躊躇してしまう状況です。話は逸れますが、バラ栽培は教育と重なる部分が多く、1~2月までの寒い時期にどれだけ肥料が効果的に与えられたかで、その年の開花状況と成長が決まります。まるで臨地実習前の大学での教養・基礎科目の修得と同じように。





 学生の皆さんは真摯に看護の対象となる人に向かい学んでいます。その横にいる教員の私、こんな気持ちで取り組んでいます。


                                保健科学部看護学科
                                   岩切由紀

2011年9月12日月曜日

夏祭りが終わって

 夏祭りが終わり、静かな日曜の昼下がりにパソコンに向かって打っているが、これが教員ブログにアップされるのは、9月中旬と聞いている。よって、季節外れの内容になるとわかりつつ綴ることをお許しいただきたい。

 先週は、氏神神社の夏祭りがあり、町内を引き回しているだんじりが近づくとにぎやかな「コンコンチキチン、コンチキチン」のお囃子と手打ちが屋内にいても聞こえ、夏がきたと感じた。この手打ちは「大阪締め」と呼ばれ、私は小さいころは何と言っているかよく聞こえないまま真似をしていた。今は、メディアでも紹介され、「打ちましょ」シャンシャン、「もひとつ(もうひとつ)せぇ」シャンシャン、「いおうて(祝うて)三度」シャシャンシャン と声に出してできる。この「大阪締め」、日本三大祭りの一つの「天神祭」のあらゆる場面、場所で耳にする。「天神祭」の本宮の船渡御では、行きかう船で挨拶代わりに使われる。私は、「大阪締め」の由来は知らないが、受け継がれていってほしいと思っている。

 ところで、この「天神祭」の船渡御、「今年は○○が復活しました」、「今年は・・・」と言われ、年々変化し、規模が大きくなっている。その昔、諸事情で何度となく中断されてきたようである。私が記憶しているのは、オイルショックで中止したことである。今や奉納船が、日清食品やサントリー、アサヒビールのような企業だけなく、大学のものもある程多数大川を行き交う。また、奉納花火も盛大に打ち上げられる。2か所から打ち上げられるが、特徴は打ちあがったのを見るだけでなく、奉納船に乗った人が川に映し出されるのも楽しむため、さほど高くは打ち上げられないことである。


 話が氏神神社の夏祭りから「天神祭」へと展開したのは、大川近くに住む私にとって、1年の中で楽しみにしている行事だからである。今年は、平日であったため、昨年・一昨年のような賑わいほどではなかったけれども、曜日の巡り会わせが良い年に是非見てみませんか。大川にかかる橋からみると船も花火も見られていいと思うかもしれませんが、橋には真上から神様を見下ろしていけないと、ベニヤ板(今年はビニールシートだったが)を2か所立てられていますので、ご注意を。

2011年9月5日月曜日

ポプラの木

 風に吹かれ、すべての葉っぱがそれぞれの方向にパタパタとはためいている、そんなポプラの木を見るのが好きだ。自分の中の複雑で、簡単に言葉では言い表せない、せつなさや哀しみの気持ちを表してくれているようで。。。

 25年前のことである。私の親友がそれまで2年間、癌と闘いながら生活を続けていたが、ついにその年の12月に、病院でターミナルを迎えていた。「年を越せるかどうかわからない。」と主治医から言われていたが、彼女はもちろんそのことを知っていた。下旬に入り、年賀状を書く時になり、彼女へのカードだけが1枚残ってしまった。何と書いたらいいかわからなかった。必死でひねり出そうとするのだが、本音の言葉が出て来ない。しばらくして言葉を見つけるために、散歩に出てみた。K大学のキャンパス内を歩き、芝生の上に腰をおろして、もう葉っぱは落ちてしまっていたが、いつものお気に入りのポプラの木々をじっと見ていた。するとやがてその背後に、大きな夕陽がゆっくりと落ちて行った。家に帰ってすぐ机に向かい、「今、K大学のキャンパスで、あなたのことを想って、夕陽を見ています。」と書いた。新年に入り、彼女はその年賀状を気に入ったと言ってくれたが、それから数日後に訃報が届いた。

 ターミナルケアに加え、スピリチュアルケアというものも聞かれるようになった。あいまいで多義性のある“スピリチュアル”という言葉の意味について、今年はじっくりと考えたいと思っている。

看護学科 教職員 しろいひまわり