2011年9月5日月曜日

ポプラの木

 風に吹かれ、すべての葉っぱがそれぞれの方向にパタパタとはためいている、そんなポプラの木を見るのが好きだ。自分の中の複雑で、簡単に言葉では言い表せない、せつなさや哀しみの気持ちを表してくれているようで。。。

 25年前のことである。私の親友がそれまで2年間、癌と闘いながら生活を続けていたが、ついにその年の12月に、病院でターミナルを迎えていた。「年を越せるかどうかわからない。」と主治医から言われていたが、彼女はもちろんそのことを知っていた。下旬に入り、年賀状を書く時になり、彼女へのカードだけが1枚残ってしまった。何と書いたらいいかわからなかった。必死でひねり出そうとするのだが、本音の言葉が出て来ない。しばらくして言葉を見つけるために、散歩に出てみた。K大学のキャンパス内を歩き、芝生の上に腰をおろして、もう葉っぱは落ちてしまっていたが、いつものお気に入りのポプラの木々をじっと見ていた。するとやがてその背後に、大きな夕陽がゆっくりと落ちて行った。家に帰ってすぐ机に向かい、「今、K大学のキャンパスで、あなたのことを想って、夕陽を見ています。」と書いた。新年に入り、彼女はその年賀状を気に入ったと言ってくれたが、それから数日後に訃報が届いた。

 ターミナルケアに加え、スピリチュアルケアというものも聞かれるようになった。あいまいで多義性のある“スピリチュアル”という言葉の意味について、今年はじっくりと考えたいと思っている。

看護学科 教職員 しろいひまわり