2011年4月25日月曜日

Finding fault with others

入試によく出る英熟語の一つに“finding fault with others(他人のあら探しをする)”というイディオムがあります。
最近の日本人、ややもするとこの傾向に過ぎるのではないでしょうか?

京大での携帯カンニング事件を起こした受験生は「偽計業務妨害」容疑で逮捕されました。
スポーツ界では、八百長問題で日本相撲協会は嵐のようなバッシングをうけ、本場所が延期に追いやられました。
外国籍の市民から、数十万円の政治献金をうけた外務大臣が、その職を追われたことも記憶に新しいところです。
巷にあふれる週刊誌や、TVニュースは、こぞって著名人や芸能人のゴシップを挙げつらい、非難の集中豪雨を浴びせます。
もちろん、これらのことは「悪い事」ではありましょう。けれど、ここまで言及され、処罰されねばならないのでしょうか? 
ちょっと厳しすぎやすまいか?

社会の閉塞感が、他者への許容や思いやりを奪い去っているように思えてなりません。
一昔前の日本人は、自分と他人の区別は今ほど際だってはおらず、他者を受け入れる寛容(generosity)の精神構造がありました。

今回の東北・関東大地震で、未曾有の大災害に見舞われた日本。
今こそ、他人の痛みと苦しみを感じることのできる、日本人本来の精神を取り戻す、その時なのでしょう。