2011年4月18日月曜日

最近の教育観へ一言

 勉強や運動会などで競争により子供が傷つかないようにとの教育的配慮は、一見もっともらしく、仲良く平等を良しとする民主主義的教育と評価されています。しかし見方を変えれば、競争を罪悪視した画一化教育であり、差を認めないのは個性や才能の否定に通じるのではないでしょうか。


 人間は競争によってもまれ成長して自分の立つ位置を見出すもので、平等や優しさが過ぎると自分の生き方が分からず自立ができなくなります。競争なき社会は退廃し国家は滅亡する、競争は人間社会の原理なのです。互いに切磋琢磨する環境が精神力の強い人間を育て、それぞれ個性に合った生き方ができるのです。他人との違いを知ることにより自分を知ることができ、多様な価値観が生まれます。弱者への蔑みやいじめは競争が原因でなく、徳を軽んじ知に偏り過ぎた結果であり、人間としてあるべき姿を家庭や学校でしっかり教えなければなりません。


 核家族化による家族教育機能の喪失や少子化による過干渉、過保護により、若者は考えなくなり闘わなくなりました。平和な社会の中で敷かれたレールの上を仲良く皆で一緒に走る姿は、若者から個性や創造力を養う貴重な時間を失っています。感性を磨き、競争し挑戦する経験もなく、緊張感も責任感も自立心もないまま成人となる。一歩海外へ出たら、仲良く平等になんて甘い考えは通用しません。


 外国人とぶつかり自分の考えを正しい価値観で論理的に主張できなければ相手にされません。無競争、仲良しの無菌状態の教育からは、気骨のある志をもった真の武士や国際人は生まれません。  


 そこに今回の東日本大震災が起こりました。自然の力の前には人間はなすすべもなく打ちのめされましたが、今こそ、人間一人ひとりに何ができるのか、何をなすべきかを自ら問わねばなりません。人口減、少子高齢化、財政難そして今回の大震災と、今、日本は大きな試練に直面しています。過去二回の奇跡、すなわち明治維新と敗戦後の経済大国への発展には、夢に向かって必死に生きる若者や子供の姿があった。


 人間として果たすべき義務と役割の自覚を促す、柔軟な熱意溢れる教育があった。第三の奇跡には新しい時代をこじ開ける若者の力が必要です。その若者を育成する教育には何が必要なのか。我々に課せられた大きな宿題です