2010年5月17日月曜日

人を信じる力

母が亡くなって、1年が過ぎた。
今まで多くの人を看護し看取ってきたけれど、なぜか自分の親だけはいつまでも生きているものだと思っていた。
あれこれと支配しようとする母を、私は大嫌いだったはずなのに、亡くなって1年経ってもなお、ふと気が緩むと涙が止まらないことがある。

最近の世界的な不況感の高まりに関するニュースを見たり聞いたりしていると、昔、母に繰り返し聞かされた話を思い出す。
昔、といっても、80年代前半くらいのことだったように記憶しているのだが、決して豊かではない家計の中、父が起業することになった。
しかし当然、その運転資金など十分にあるはずもなく、困った母は、近くの銀行に開店時間と同時に出向いて、窓口のお姉さんに「こういう事情で起業したいのだけど、融資してもらえないだろうか」と、真剣にお願いしたらしい。
もちろんその場で即行、断られたのだけれど、そんなことでいちいち気弱になっていては、現状は何も変わらない。とにかく前に進みたい、なんとしてでも、という母の決心は固く、その日以降も、毎日毎日開店と同時に入店し、「融資してほしい」と訴え続けては、即、断られるということを繰り返していた。「あのオバはん、また来てる。うっとおしいなあ。」という銀行員の声も聞こえた。
そんなことを繰り返して1週間くらい過ぎたある日、その日はいつもと違っていて、奥の方から、母と同年代か少し下くらいの男性が出てきた。
「あなたが毎朝、通って来られている様子を、ずっと見ていました。困っておられるようですね。お話を伺いましょう。」と、商談室に通してくれ、母の話を真剣に聴いてくれたようだ。
男性は、その銀行の支店長で、母の話を最後まで聴き終わった後、「あなたの真剣な姿を1週間、ずっと見ていました。そこから確信したのは、あなたは絶対に裏切らない人だということです。あなたを信じましょう。いくらお貸ししたらよろしいのですか?」と、信じられないことを口にしたそうだ。
起業の大変さも何も知らない素人である母は、「30万円ほど、お借りしたいのです。」と答えると、支店長は「奥さん、真剣に商売をするのなら、腹をくくりなさい。30万円で何ができるの?せめて500万円準備しなさい。私が保証人になりましょう。これはあなただから、あなたの熱意と行動力に心を動かされたからなんですよ。」と、融資のこと以外にも、起業の興し方、経営の仕方、資金繰りのノウハウ等、さまざまなアドバイスをしてくれたらしい。
その後、順風満帆とはいかないけれど、それなりに軌道に乗って、今は私の兄が経営を受け継いでいる。

最初にこの話を聞かされたとき、なんというのか、あまりにも出来すぎた話だし、平和な古き良き70年代前半くらいのことかと思っていたのだけど、たいして昔の話でもなくて(それでも30年は経っているけど)心底驚いた覚えがある。そんなお人好しな支店長が本当にいるんだなぁ、と。支店長のお人好しもさることながら、母の行動力にも頭が下がる。

この話を思い出す度、何事も「こうしたい」という強い信念と情熱と地道な努力、そして何よりも「人を信じる」という力の大切さを思う。
昨今の、不況による生活への影響は深刻さを増す一方だけれども、だからこそ「お金がないから」、「資格がないから」、「時間がないから」、何もできないのではなくで、その気になればなんだってできるんじゃないのかな、人を信じる力があれば・・・と、今日も母を想う。

                            看護学科  上野理恵