2012年2月27日月曜日

文章を書くということ

文章を書くということ。
これが意外に難しい。学生のテストの答案やレポートを読んでいて、
その学生の個性や思いが伝わるものはうれしい。また自分自身の勉強にもなる。


しかし全員がそうということもない。
とてもよくまとまっているものもあるが、それが必ずしも心を打つというわけでもない。
また文章の構成がめちゃくちゃで、行きつ戻りつしている文章でも心惹かれるものもある。



何が違うのか?



その人の匂いの有無である。うまい下手でいうと、うまいほうがいいに決まっている。
しかしうまいだけの文章は、なんだか、時として冷たくまたさみしく感じる。
言いたいことはわかるけど、それ以上でもまたそれ以下でもない。
思いの伝わる文章は、読んでいてその人が話しているようであり、
またその人の声になって聞こえてくるものである。



保育士時代いろいろな文書を書いていた。
月のカリキュラム、週案、日案。月の反省に、個々の連絡帳、保育日誌。
児童要録に保護者へのお便り。事例の発表に研修の報告。
日々追われるだけで、決して自分らしい文章ではなかった。
いま読み返してみても、何にも思いが伝わらない。
匂いのない文章である。
つまらない。


ただ日々の保護者とのやりとりや子どもの姿を書いている連絡帳だけは、今読んでもおもしろい。
言葉が躍っている。
いきいきとしている。
こどもに対する思いやその時の楽しさ、悔しさが文章からにじみ出ている。
またその当時の事がリアルに思いだされる。こどもの笑い声や汗のにおいが感じられる。



今、自分の書く文章はその当時に比べてうまくなった気がする。
しかしうまくなるにつれて、匂いがなくなっている気もする。
匂い=その人の思い」だとすれば、思いのない逃げの文章、小手先の文章になってきている。
少し反省。



4月から新しい学科がはじまる。
いろんなことが初めての新鮮な学生を前に、
自分自身もうまいではなく、匂いの伝わる生きた文章を書きたい。
そのためにも、日々自分が生をリアルに感じれる感性と視点を忘れずに行こう!


常盤に来て10年を迎える、区切りの宣言です!


                           幼児教育学科 小崎恭弘