2013年2月11日月曜日

叱られることについて考える

近年すべての大学では、文部科学省の指示により「キャリア教育」が行われている。

「キャリア教育」の定義は、各大学で異なる。しかし、一般的に、広義には「卒業後、役に立つもの」として捉えている大学が多い。

人生においては、自らが、「積極的に」、また、「主体的に」、考えて動くことが大切である。

「積極的に」行動するということは、「失敗して叱られる」というリスクが伴うのである。

そのため、「失敗して叱られない」ために、「積極的に動かない」ということを考える人も、世の中には多く存在する。

学生時代の特権の1つに、「叱られても良い」ということが挙げられる。無論、法律に触れるようなことは絶対にしてはならない。しかし、学生は、まだ教育課程内の範囲にあり、失敗を恐れるよりも積極的に失敗することが重要だ。


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積極的に動いて叱られた場合でも、当然、落ち込むことになる。

そのようなことが続けば、普通は、「叱られるくらいならば、行動するのをやめよう」と考える。

これは一見すると、論理的で、すばらしい考えに思える。しかし、これが続くと、最終的には全く動かない人間となってしまう。

つまりこの考えは、短期的な方針としては正しいが、長期的な方針としては正しくないことがわかる。

それでは、どう考えれば良いのか。

私の場合は、積極的に行動して叱られた場合は、「叱られることは、積極的に動いた結果であり、1つの勲章」と考えている。

思い返せば、多くの人から、多くの勲章を頂いてきた。これからも、きっと勲章をいただけると思う。


学生の皆さんには、是非とも積極的に行動して欲しい。