2009年12月22日火曜日

心にときめく贈り物を

誕生日、クリスマス、お正月・・・
子どもが贈り物をもらう嬉しいチャンスが、一年に何度かありますが、
皆さんのおうちでは、子どもへの贈り物の決め方をどのようにされていますか。

このところ目立って多くなっているのが、本人に聞いて決めると言うやり方のようです。
これが悪いと言うのではありません。
日頃、子どもが欲しがるものを我慢させているので、
誕生日やクリスマスなどに「何でもいいから欲しいものを言いなさい」と約束し、
子どもの選択に一切文句を言わないという方法を実行しているおうちもあります。

子どもの選択に任せるということは、結構勇気のいることですし、
一年のうちの限られた機会だけというところに意味があります。
子どもは、あれこれ迷いながら大いに興奮するでしょうし、
大人の方も、ハラハラドキドキしながら子どもの返事を待ちます。
こういう「ときめき」がある場合はいいのですが、
最近は、このときめきをなくした贈り物が多くなっているように感じます。

贈る側が、子どもに尋ねると、
「あれが欲しい」「これが欲しい」と言うのが当たり前のように行われるのを見たり、
さらに、「これはサンタさんから」「あれはおばあちゃんから」と、
相手まで指定する子もいると聞くと、なんだか違うような気がしてしまいます。
なにが喜んでもらえるかなと、一生懸命相手のことを考えて、思いを込めて選ぶことが、
贈り物の醍醐味だと思うのですが。

ずいぶん昔のことになりますが、私の育った家庭では、
クリスマスの朝、枕元に風呂敷に包まれたプレゼントが届き、
寝ぼけ眼で枕元をまさぐり、風呂敷に手が触れると、嬉しくて跳び起きたものでした。
中には、晴れ着と草履、下着、お箸と茶碗など、新年に使う生活用品や本だったように思います。
手にした時の喜びとともに、もののない時代に、両親が相談しながら準備してくれたことを思うと、
今でも熱いものがこみ上げます。
ですから、親になったとき、今度は自分が子どもを喜ばせたいと、
大いに張り切って準備したものでした。
その甲斐あってか、息子は、年齢を重ねるごとに、
風呂敷包みのプレゼントを心待ちにする気持ちが強くなりました。

6歳のクリスマスイブのことです。
何かゴソゴソしていた息子が寝入った後、ふとテラスの窓ガラスを見ると、
「ぼくのいえはここです」とたどたどしいひらがなで書かれた紙が張られ、
室内には「こーひーどーぞ」というメモとコーヒーカップが置かれていました。
絵本を読んでいて、我が家には煙突がないことに気付き、
プレゼントが届かないのではと心配した、息子なりの精一杯の工夫だったのです。
朝起きて「やったーサンタさんきてくれた!」と息子が大喜びしたのはもちろんのことですが、
ここに至る息子の姿を通して、ひと時でも子ども時代にタイムスリップできた私も、
素敵なプレゼントをもらったような気持ちがしました。

贈り物とは、手渡された「もの」よりもむしろ、
そのものに託された「心」を受け取ることだと考えると、
本人に聞くという方法を安易に選ぶことは、
相手のことをあれこれ思いやる楽しい時間も、
贈られた時に味わうあの「ときめく」様な喜びも奪うことにもなりかねません。
子どもが手にする大きな喜びを心に描きつつ、
我が家流の、贈り物のしかたを楽しみませんか。
        
幼児教育学科  上月素子